第22話 指輪の繋がり
久しぶりの部屋は実家と比べると狭いが、とても落ち着く。
明かりをつけると外で物音がし、ドアを開けると従兄弟の京野大地が立っていた。
「どうしたんだ?」
「どうしたじゃねえ。お前、儀式やったのか?」
肩を強く掴まれ、揺すられた。息をするのもやっとで、優月は大地の腕を跳ねた。
「苦しいって。儀式はやったよ。いずれやらなきゃいけなかったし」
「なんでそんな平気そうにしてるんだよ……」
「平気ってわけでもないよ」
実際にリュカを迎えてしまったことは一生心に残り続けるだろう。彼は彼なりのうまみがあると言うが、建前もあると知っている。うまみだけで彼は動く人間ではない。
「しかもよく判らない外国人だっていうし」
「ちゃんと自己紹介したって」
「それでその外国人って? 誰だ?」
「お世話になってる人。もう儀式は終わったし、いいじゃんか」
今日の彼は目が血走っている。
「……そうじゃねえだろ」
「兄貴?」
優月も背は大きいが、大地はさらに大柄だ。
大地は片手でドアを閉める。
大きな影が覆い被さり、優月は壁に追いつめられた。
彼のしようとしていることと、優月の頭に浮かぶことが交差している。
あと数センチで髪の毛が触れそうになったとき、外から従兄弟を呼ぶ声が聞こえた。
「ここにいるよ!」
優月はわざと子供みたいに無邪気な声で叫んだ。かくれんぼをしているかのように。
案の定、大地は怯んだ。隙をついて分厚い胸を押し、ドアノブを回す。
「兄貴ならここにいるよ!」
もう一度、叫んだ。後ろから伸びてきた手は躊躇し、優月は裸足のまま外へ飛び出した。
伯母は優月を見つけ、しかめっ面をした。
すぐに顔つきは元に戻るが、月の神子を恐れている彼女ならば仕方ないだろう。
「兄貴、呼ばれてるけど」
部屋から大地が出てきた。できるだけ明るく振る舞うが、大地は顔を真っ赤にしている。照れているわけではない。あの顔は激怒だ。
「月の神子は渡さねえ」
すれ違うとき、大地は耳元で囁いた。
全身の産毛が立ち、頽れそうになる。足の指先に力を込め、しっかりと地面を踏んだ。
部屋に戻り、壁を背にずるずると地べたにへたり込んだ。
あと数センチの差で唇が奪われていた可能性がある。
大地のそういう趣向の話は、今まで聞いたことがなかった。
今思えば、距離感が近かったようにも感じるが、後の祭りだ。
ぞっとするような寒気はなくならず、ひとまずシャワーを浴びることにした。
熱い湯で身体を流し、とにかく眠った。また大学もアルバイトもある。日常生活はもう始まっている。
「指輪、どうしたんだ?」
平賀は目ざとく優月の薬指を見やる。
指には銀色の太陽が添えられている。磨かれた新品同様に光を放っていた。
「覚悟の表れ?」
「なんだそれは。恋人か?」
「そうじゃないんだけど……難しい。でも、ふたりで決断したことだから、つけようと思って」
恋人でもない人との決断と説明しても、平賀にはわけが判らないだろう。
「なあ、お前アイドルに興味あるか?」
「アイドル? ない」
優月はきっぱりと告げる。
平賀は鞄をあさり、細長い封筒を取り出した。
中にはチケットが二枚入っていて、聞いたことのないアイドルグループの名前が書いている。
「平賀、アイドル好きなのか?」
「全然。けど、このグループは別。付き合ってくれねえか?」
「いいよ」
端末にメールが来ている。相手はリュカからだ。
──似合いますか?
添えられた写真には、彼の左手が写っている。
薬指には同じ指輪だ。元々は彼の指のサイズに合わなかったが、手直しされたものはよく馴染むようだ。
「なにやってんの?」
「うう……壁に頭を打ちつけたい気分……」
「発作か?」
「そんな感じ。そういう気分」
「お疲れさん」
やや早口で放たれた言葉を平賀はしっかりと聞き取り、優月の背中をさする。
──素敵です。最高です。これからアイドルのコンサートへ行ってきます!
すると「大学生活を存分に楽しんで下さい」とメールが返ってきた。
リュカとは儀式を行っ以降、距離が近くなった気がした。薄い膜が剥がれたようで、彼の笑顔に凝りがなくなっている。声に出して笑うときもあるし、甘いものが食べたいと遠慮なく口にするようになった。
嘘がないリュカの笑みは、ずっと側で見守りたいとさえ思う。
バスに乗って京都駅で降りた。ライブ会場までの道のりは平賀に頼るしかなく、後ろをついていくだけだ。
「ここ? 地下?」
「地下アイドル」
「地下アイドルって本当に地下で活動してるんだ……」
「なんだと思ってたんだ?」
「なにかの比喩表現かと思ってた」
高層ビルの地下へ通じる階段を下りれば、ライブ会場となっていた。
ピンクのシャツを着た男性たちがペンライトを持ち、いわゆるオタ芸というものを熱心に練習している。
「なんでまた地下アイドル? 好きなのか?」
「妹がいるんだよ」
照明が次第に暗くなり、カーテンが開いた。
優月はぎょっとし、ステージに立つ少女たちをまじまじと見つめる。
女性というより、女子児童だ。化粧をしているが、年齢は十二才から十五歳ほどに見える。
大の男が小さな少女たちに吠える姿を見ていると、かくまってやりたくなる。彼女たちが望んだものか、はたまた大人の事情が絡んでいるのか。笑顔を振りまく彼女らを見ていると、いたたまれない気持ちになった。
「一番小さい、右よりの子」
まさに最年少ではないだろうか。化粧も無理をしているように見えて、年相応には思えなかった。
小さな身体を目いっぱい揺らし、細腕を振り回して大きく見せている。
「おと」
「おとちゃんって言うのか」
「音に兎って字を書く」
「へえ、漢字だけなら俺読めないかも」
「母親のつける名前は癖だらけだからな」
「平賀の名前も母親がつけたのか?」
「…………一応」
平賀の名前は隼だ。彼は名前で呼ばれることを嫌う。平賀と仲良くなれたのも、お互いを名字で呼ぶ間柄ということがきっかけだ。なんともおかしな引き合わせだが、優月も月の名を呼ばれるのは抵抗があったため、巡り会いに感謝だ。
「おとちゃーん!」
自己紹介が終わると、彼女に歓声が飛ぶ。
「指一本でも触れたら許さねえ」
平賀は舌打ちをした。
「スタッフの人もいるし、大丈夫だって」
「そもそもあいつ十二歳だぞ? 群がるなんておかしいだろ。狂ってる」
「どういう経路でアイドルになったんだ?」
「知らねえ」
「知らない? 家で妹に聞かないのか?」
「一緒に住んでないんだよ。俺の母親と知らない男との間に生まれたのが妹」
「異父兄弟なのか」
複雑そうな家庭だ。
「派手な母親だったからな。真面目な父親に嫌気が差して出ていった。俺は小さかったからあんまり覚えてねえけど」
「妹と面識は?」
「一応、ある。けど向こうは俺のことをなんとも思ってないかもな」
残り数曲を歌い終わると、写真撮影のコーナーに入るようだ。
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