第31話 激昂の愛情

「私とリュカの出会いは聞いていると思いますので割愛します。昨日の話からですが、リュカから『優月が攫われた』とメールが入りました」

「攫われた? 俺はリュカさんに『オリバーさんと先にイギリスへ行ってます』とメールをしただけですよ」

「あの子は攫われたと判断したのでしょう。現にそれが当たった。イギリスへ来てからの話をお願いします」

「それが……俺自身がさっぱりで。空港でオリバーさんがいなくなってしまったんです。捜してたら目の前にリムジンが現れて、中からブロンドヘアーの女性が出てきました」

 優月はそっと頬に手を当てる。平手打ちをされた箇所に湿布が貼られていた。

 親のような愛情に、目の奥が痛くなる。

「車は森へ向かいました。そこで俺は降ろされて……女性は俺の指輪を見て怒っていました。その後はひとりぼっちになって、スマホでリュカさんに連絡を取ろうとしても繋がらなかった。タイヤの跡を追って、なんとか町中にたどり着いたんです」

「なるほど。あなたの痕跡が消えた理由も判りました」

「痕跡?」

「勝手ながら、緊急事態だとリュカからあなたの電話番号を聞いたのです。相違なく、私たち二人の判断です。番号からあなたの居場所を突き止めようとしましたが、途中で反応しなくなってしまった。しばらくしてようやく繋がったと思ったら、とんでもないところを歩いていました。あなたに電話をかけようと思いましたが、これだけの仕打ちをされて知らない番号に対応するとは思えなかった。ですから、直接出向きました」

「そうだったんですか……なにから何まで……。リュカさんと連絡を取りたいんですが、繋がらないんです」

「リュカは明日、こちらに来ます。有沢さんとはまた違った事情でスマホを使えない状態でした」

「無事なんですか?」

「そんな柔な男じゃあありませんよ」

 月森はおどろけてみせた。長いこと異国で暮らしていたためか、日本人があまりしない仕草をする。

「怒り狂っているでしょうから、それを宥めるのがあなたの役目です」

「怒り……?」

「大切なあなたを傷つけられて、どのような行動をするのか想像もできない。国一つ滅んでもおかしくない」

「そんな大袈裟な」

「大袈裟かどうかは、明日に判ることです。さあ、残りを食べましょう。デザートのケーキもありますよ」

 デザートのタルトは、とにかく甘かった。シンプルで、甘みが全力で襲いかかってくる。

 月森はこれをトリークル・タルトと言った。日本語だと糖蜜パイ。

 普段ならば甘すぎて食べられなかっただろうが、全身は糖分を欲していた。途中で胃が拒絶反応を起こしかけていたが、疲れた身体にはちょうどいい。

 食べたあとに一眠りすると、次の日は全快していた。


 国一つ滅んでもおかしくない──ブリティッシュ・ジョークかと思いきや、彼の言葉は正しかった。

 朝の九時にリュカはホテルへやってきて、今まで聞いたこともないくらいの早口の英語でまくし立てる。

 これまた英語で月森に咎められ、リュカは二、三度深呼吸をした。

 肩に置かれた手の圧が凄まじいが、まずは黙って彼の話を聞くことにした。

「リュカさん、俺はこの通り元気になりました。まずはリュカさんの話を聞かせて下さい」

「そうですね。まずは私が落ち着かないと。あなたからメールをもらい、私は顔面蒼白状態でした。あなたが攫われた後……」

「攫われたわけじゃないです」

「さ・ら・わ・れ・た」

「そうですね、攫われました」

「あなたが攫われた後、何度もあなたに電話をかけましたが、残念ながら通じなかった。すぐに師匠へ連絡をしました。優月がイギリスへ向かってしまったので、保護してほしいと。着いてしまえば、あなたは身動きが取れなくなる。ここにはオリバーやモニカがいます。この二人は厄介です。それに日本語が通じない。誰が敵で味方なのかも、あなたには理解が難しい」

「あの人はやっぱりモニカさんだったんですね」

 モニカはリュカの婚約者だ。前にリュカは恋人はいないとはっきり言っている。リュカにとってモニカはその程度の認識なのだろう。

「イギリスに飛んできましたが、空港でモニカが待ち構えていました。不本意ですが彼女とお茶をして過ごし、あなたがつらい思いをしている間、少しのゲームもしていました。すぐにでも連絡をしたかったのですが、鞄ごと取り上げられている状態だったのです」

「モニカよりもあなたを取ってしまったら、逆上して手をつけられなくなるからですよ」

 月森は助け船を出す。

「師匠は私の実家へ怒りの電話を一本入れてくれました。正確に言いますと、激昂するふりですが。顧客のご予約をスルーするなど、言語道断だと。電話に出た乳母が慌てて私に代わり、モニカの手から逃れることができました。ホテルでお客様が待っている、と。骨董商の仕事については乳母は何も知りませんから、おかしいと思わなかったのでしょう」

「けっこう行き違いになってたんですね」

「夜まで私は解放されませんでした。優月のことは昨夜、師匠から事情を聞いています。本当に本当に、心からお詫びをしたい。一生かけてでも償いたい。あんな人でも、オリバーは私の兄です。こんな怪我までして……モニカにやられたんですね」

 リュカは優月の右の頬を撫でた。師匠も弟子も、優しさの固まりだ。

「いや……その……」

「ごまかそうとしなくても、私には判ります。モニカは左利きです。右の頬が腫れているということは、平手打ちでもされたのでしょう?」

「まあ……はい。でも月森さんが湿布を貼ってくれて、ほとんど痛みは引いてますから。月森さんにもリュカさんにも、たくさん助けてもらって、俺は果報者です。謝る必要なんかないです。ただ疑問に思うことはあって、オリバーさんとモニカさんって繋がってたんですよね? なんで俺を森に置いてったりしたんですか?」

「指輪です。あなたの実家や風習などをモニカは把握しています」

 同じ指輪をしている者同士はどこにいてもいずれ交わるという伝承だ。

「あなたをどこに置いてこようとも、指輪の効果が本物なら私たちはいずれまた引き合う。だから優月を森でほったらかしにしてきたと。生まれて初めて女性を殴りたいと思いました」

「いや、だめですって」

「あなたがまさか手を出されているとは、ここに来て初めて知りました。やはり一発……」

「だめですよ、本当に」

 よほど堪えているのだろう。話ながらも、リュカは深呼吸を繰り返して怒りを鎮めようとしていた。

「オリバーとは今朝、連絡を取りました。彼もまたモニカに騙されていたようです。あなたが森に置き去りにされた件も、まったく知らない様子でした。けれどオリバーも同罪です。彼女が危険だと判った上で、優月を託したのですから」

「俺は無事でしたし、本当に気にしないで下さい。これからどうします?」

「モニカの元へ行きます。もとあと言えば、私がのらりくらりの態度をしていたせいであなたを巻き込んでしまいました。師匠、重ねてお願いがありますが、優月を預かってもらえませんか?」

「ちょっと待って下さい。俺も行きます」

「あなたは師匠の元にいて下さい。私が一番信頼できる人です」

 リリーホワイト家の誰より、リュカは師である月森茉白が一番だと断言した。家族からどのような愛情を注がれてきたのかと、少し心が痛んだ。

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