第32話 ラブソングは歌わない
『――以上で、生徒たちによるライブパフォーマンスは終わります! 休憩を挟んで15分後、大物ゲストによる特別ライブが開催されますので皆さん遅れないようにね!』
講堂のボルテージは最高潮に達していた。
ざわつく生徒たちをよそに、俺はステージ裏で湖宮さんと対面している。つい先ほどまで音々たちと新曲のリハーサルに挑んでいた。
「どうかな、この格好……」
支倉さんの手で愛らしいメイクが施され、髪の毛が結われ、ピンクや白の花が添えられている。衣装はスレッドの入った黒いワンピースだ。
「すごく似合ってるよ。いつかテレビで見た、ステージ上で輝いている音々にも引けをとらないよ。さすが歌姫だ」
いまの湖宮さんを見ていると嬉しいのと同時に切なくなる。
手の届かない遠い存在になってしまいそうで。
俺の心情を察したのか、湖宮さんは優しく瞳を細めた。
「ありがとう。でも私はここにいるよ、陽人くんの手が届くところにいる。これからもずっと」
やさしく頬を包み込むとそっと体を引き寄せた。
香水の匂いが強くなり、ぴたっと額を当ててくる。
「ライブ、見ててね、目をそらさないで」
「うん。見てるよ、絶対に目をそらさない」
……わぁああああああ
大歓声が響き渡る。今をときめく歌姫・音々が舞台に姿を見せたのだ。
『こんにちはー! 音々でーす! みんな元気ー?』
「「「元気でーす」」」とレスポンスが返ってくる。音々が連れてきたバックバンドも賑やかに囃し立てた。
俺は生徒たちを押しのけてステージ下に移動した。ここから湖宮さんを見守ることにした。
「よぅ、湖宮見つかって良かったな」
運悪く隣にいたのは高阪だ。
先ほどの一件、湖宮さんを呼び止めた卓球部の生徒を問い詰めると別の生徒に頼まれたと白状した。その生徒もまた別の生徒から言われたと……結局犯人は有耶無耶になってしまったが、俺の中では高阪が主犯格だという確信がある。
「ライブでられなくて残念だったな。楽しみにしてたんだけどぉ?」
「そりゃどうも。」
こいつが登場したライブパフォーマンスも暇つぶしに見ていたけど、自分の格好良さに酔って観客の反応なんかまるで眼中にない。カラオケの時から何も成長していなかった。こいつは変わらない。変われない。本人が気づかなければ。
ステージ上では音々が軽快にトークを繰り広げている。
『みんなボクのことを歌姫って呼ぶけど、じつは元々は歌じゃなくて楽器を弾く方が得意だったんだ。うーんとちっちゃいころからピアノを習っていてね。だから一曲目は特別に演奏する側に回らせてもらうよ。こんなふうにね!』
電子ピアノに駆け寄るとポロロン、と鍵盤をかき鳴らす。
かわいー!かっこいいー!と悲鳴が上がった。
『ありがとー。あ、でももしかしてこのまま弾き語りすると思ってる? 残念。一曲目はもうひとりの歌姫を紹介したいんだ。前座っていうのかな、余興だと思って楽しんで』
灯りが落ちてステージが暗くなる。
(いよいよだ)
俺の心臓が早くなった。
『紹介するよ、ボクが推してやまない歌姫――”さぷれ”』
ステージに光が戻る。
光の中心で深々と頭を下げているのは湖宮さんだ。
「はぁ? なんで湖宮が?」
高阪が不満そうな声を上げた。
他の生徒たちも怪訝そうに顔を見合わせ合っている。
湖宮さんはゆっくりと顔を上げてマイクを掲げる。
『初めましての方も、そうじゃない方も。さぷれ――こと、一年三組の湖宮望です。よろしくお願いします』
堂々とした佇まいと凛とした声で一瞬で生徒たちを黙らせた。
『これから歌う新曲は、ある人たちの協力を経て作った大切な曲です。想いをこめて歌います。それでは聴いてください。さぷれ、「ラブソングは歌わない」』
音々が軽快に鍵盤をはじく。
湖宮さんが俺を見た。
やわらかく微笑んだかと思うと、ぱちん、とウインクする。
『――ラブソングは歌わない、ハッピーエンド、その先を、あなたと知りたいから』
たった一小節。それだけで湖宮さんの凄さが伝わる。
高阪がぽかんと口を開けて固まっているのがその証拠だ。
ドラムが鳴り響き、ギターがかき鳴らされる。音々のピアノも負けてない。
(すげぇ、俺の作った曲がこんなふうになるなんて……)
まるで別物だ。
震える。
『――はじめて出会った歩道橋、あなたの瞳が優しかった。泣きたくなった。あれから何度助けてもらったんだろう、ありがとうを伝えきれない』
歩道橋で押し倒したこと、電車の中で痴漢を捕まえたこと、いろんな思い出が蘇ってくる。
『――ときめき、嫉妬、胸キュン、ジャンプ、全部あなたが教えてくれた。私に恋を教えてくれた』
曲の盛り上がりにつれて生徒たちもノリノリになってきた。
アップテンポだけど歌いやすくて皆が口ずさみたくなる曲を目指していたのが見事に当たったらしい。
『――見て、私だけを見てて。よそみしないで、お疲れさま頑張ったねってちゃんと褒めて、ぎゅっと抱きしめて、さみしくなっちゃうから』
(湖宮さんってそうだよな。だれもが振り向く美少女なのにちょっと子供っぽいところがあるっていうか……ギャップが可愛いんだ)
『――ラブソングは歌わない、ハッピーエンド、その先を、あなたと知りたいから。まだ終わりたくない、終わらせたくない。この先もずっと側にいたい』
サビに差し掛かり、盛り上がりは最高潮。
演奏も激しく一方だけど湖宮さんはずっと俺を見ている。
(支倉さんが言ってた公開告白ってマジだな。こんなん、恥ずかしくて聴いてられないよ)
※
あっという間に曲の終わりに差し掛かる。
賑やかだったバックバンドが控えめになり、湖宮さんが最後の一節を口に乗せた。
『――ラブソングは歌わない。ハッピーエンド、その先を、あなたと知りたい。だから伝えるよ、いま、あなたに……』
『さぷれ「ラブソングは歌わない」でした。ありがとうございました』
お辞儀をすると大歓声が講堂内を埋め尽くした。
隣の高阪も呆然と立ち尽くしている。
(すげぇな湖宮さん。ひとりでやりきった。もう俺がいなくても平気だな……)
なんとも言えない気持ちで胸がいっぱいになる。
(でもちゃんと褒めてやらないと。お疲れ様、これから頑張れよって肩を叩いてやって、それで……)
だめだ、涙があふれて止まらない。
『あの、すみません、まだこれで終わりじゃないんです!』
急に大声を上げてマスクを握り直した。
一体なんだろう。
『音々さん、生徒の皆さん、貴重な時間をいただきありがとうございました。最後にもう少しだけ時間をくれませんか?』
『もちろん、いいぞ!』
『ありがとうございます。すぅ……はぁ……いっ、一年三組、仁科陽人くん!!』
「え、俺!?」
突然呼ばれて声が裏返った。
『そう、あなた! すっ、ステージに上がってきてもらっていいですか!?』
一体何が始まるのか。
周りの好奇の目にさらされながらゆっくりとステージに上がり湖宮さんと向かい合った。
「すぅ……はぁ……」
マイクを切り、一心に俺を見つめてくる。
「仁科陽人くん、いままで、私を支えてくれて本当にありがとう。このラブソングはあなたに捧げます。陽人くんのことが、だっ、大好きです。私と付き合ってください!!」
束の間の静寂の後…
うぉおおおおおおお……この日最大の歓声が上がった。
(マジかよ)
まさか全校生徒の前で告白されるとは思わなかった。
正直頭の中が真っ白でなにも考えられない。
(でも……)
赤くなった顔、真剣な眼差し、不安そうな唇。
俺にこの一言を伝えるために頑張ってきたんだよな。
それなら俺も全力で応えたい。
「湖宮望さん」
「ひゃ、ひゃい!」
びくっと肩が跳ねる。緊張しすぎだろ。
「いつも一所懸命な湖宮さんのことが好きです。こちらこそ、よろしくお願いします」
不安そうだった湖宮さんの顔がアイスクリームみたい溶けていく。
「ほっ、ほんとに?」
「うん」
「夢じゃない?」
「マジマジ」
「……やったー!!!」
ぴょんぴょん跳ねると同時にギターや鍵盤がガチャガチャと鳴らされる。
「ありがとう! 大好き!」
懐に飛びついてきた湖宮さんを抱きしめると講堂全体が割れんばかりの悲鳴や絶叫に包まれた。
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