第28話 Hi花の過去
「ふぅーいい湯だった」
宿自慢の温泉を堪能して脱衣場に上がったところで姉ちゃんからメールが届いていることに気づいた。
「……ぅげっ」
とんでもないことが書かれている。
『機材トラブルがあって今日は会場に泊まり込むことになりそう。せっかくの温泉に入れないのは残念だけど今夜は二人で過ごしてね! ただし仲良くしすぎて一線越えないよう秩序を保つこと。宿には連絡済み、料金はもう払ってあるから心配しないでね。よろしく~』
(つまり今夜は湖宮さんと二人きり……!? つか『一線』ってなんだよ姉ちゃんのアホ! 余計な一文のせいで意識しちゃうじゃないか)
温泉で火照った体がさらに熱くなる。
悶々としながら男湯を出た。
(ひとまず湖宮さんに事情を説明して……ん?)
湖宮さんと待ち合わせしている自販機前のスペースにいくと先客の姿が。
腰に手をあててコーヒー牛乳を飲み干している。理想的なまでの湯上りの光景だ。
俺の存在に気づいて目を丸くする。
「なんと! そこにいるのはどさくさに紛れて逃げ出した仁科くんじゃないか!」
「げ、音々さん」
ピンク髪の音々だ。まさか同じ宿だったとは。
思わず引き返そうとすると「まてまて」と袖を引っ張られた。
「べつに取って食ったりしない。その様子だと風呂上がりだろう、丁度いい。君とは深いふかーい話をしたかったんだ。コーヒー牛乳を奢ってやるからここに座りたまえ」
ぺしぺし、と隣を叩く。
「いや俺は待ち合わせしてて……」
「――陽人くん、どうしたの?」
後ろから現れたのは湖宮さんだ。なんてタイミングが悪い。
音々が目を輝かせた。
「おお! すごい美少女! 高校生のくせに恋人と泊まりだなんて仁科くんも隅に置けないな」
「いやだからこれは」
「はい、陽人くんの彼女です!」
「ふへ?」
湖宮さんが自信満々に言い切るものだから変な声が出てしまった。しかし当の本人は毅然とした態度を崩さない。
「歌姫の音々さんですよね? 申し訳ないですがこのあと二人でイチャイチャしたいので、彼はこのまま連れて行きますね。行こ、陽人くん」
言うが早いか俺の腕を掴んでぐっと引き寄せる。
あまりの強引さに音々もポカンとしていた。
「本当にすみません。明日のステージ頑張ってください」
「あ、ああ」
「私たちも負けませんからね!」
ああ、余計な一言。
呆気にとられていた音々が大きく目を見開いた。なにかに気づいた顔だ。
「――臨むところだ」
ニッと歯を剥いた。
これは宣戦布告だ。
※
「湖宮さん、湖宮さん、もう音々いないから腕放していいよ」
渡り廊下に差し掛かったところで声をかけた。
湖宮さんは一瞬腕をゆるめかけたが逆に力を込めてきた。
「もうちょっとこのままでいたら……だめ?」
しっとりと濡れた髪に、ピンク色に染まった頬。白い鎖骨を髪からの水滴が滑り落ちていく。
ああエロい。なんて煽情的!
「まぁ俺は構わないけど。音々にも恋人って言いきっちゃったし」
「良かった。あ、向こうで夕涼みできるみたいだから行ってみない?」
縁側に用意された草履を履いて飛び石を辿っていく。手入れの行き届いた庭にぽつんと現れた東屋の中にあったベンチに腰を下ろす。虫の音が響くだけでとても静かだ。石造りの燈篭にともった淡い光が幻想的な雰囲気を醸し出している。
「静かだな」
「うん……。まるで知らない国に来たみたい」
甘えるように体を寄せてくる。胸、あたってます。
さぁっ、と風が通り抜ける。
湖宮さんの髪が乱れてくすぐったそうに身をよじった。
見上げた空には満天の星。心が洗われていくようだ。
いまなら、言えるかもしれない。
「――俺さ、何年か前に『Hi花』って名前でストリートピアニストやってたんだ」
「Hi花?……聞いたことあるかも。M音のピアノ部門ですごく有名な人だよね」
「自分でも知らないうちに勝手に周りから持ち上げられただけだよ。俺自身はピアノが大っ嫌いだった」
大っ嫌い、という部分にやけに力がこもってしまった。
湖宮さんは黙ったまま俺の言葉を待っている。
「俺の父親、それなりの従業員がいる会社の社長やってるんだよ。一年中仕事のことばかりで、子どものころ一緒に風呂に入った記憶もない。放任っていうか、完全に母親任せだった。一方で母親はちょっと変な人でさ……毒親っていうのかな? 『才能』ってものに異様に固執する人だった」
「才能? 陽人くんの耳が良くて私の鼻歌を覚えていること、みたいな?」
「うん、そう、そういう他の人とは違うとこ。母親は平凡な自分に強烈な劣等感があったみたいで、姉ちゃんは物心つかない内からスポーツ、音楽、勉強なんかを次々とやらされてすごく大変だったらしい。母親は色んな経験をさせることで何か突出した才能を見出したかったらしいけど、毎日習いごとの連続で友だちと遊んだ記憶がないって言ってた」
「……かわいそう」
「毎日へとへとになりながらも母親の期待に応えて頑張っていた姉ちゃんは、自分なりに音楽が好きってことに気づいて次第に夢中になっていったんだけど、それは母親の求める『才能』とは違った。ただの『趣味』だって。だから『音楽』そのものを取り上げようとして――さすがの姉ちゃんもキレて家出したらしい。小学五年の時って言ってたかな。補導されて家に戻されたけど母親のことはガン無視して、中学は全寮制の私立に行くことにしたらしい。父親の会社に乗り込んで直談判したって言うから一刻も早く呪縛を逃れたかったんだと思うよ」
いまでも酔うとたまに武勇伝を語ることがある。
『ランドセル背負った小学生が『社長に面会に来ました!』と言うもんだから、受付のお姉さんたちびっくりしていたわ。いま思い出してもすごい行動力よね』って。
じっと耳を傾けていた湖宮さんが「あれ、でも」と小さく息を呑んだ。
「勘違いだったらごめんなさい。……陽人くんと彩子さんの年の差って」
「あたり。姉ちゃんは二十七の早生まれ。俺は十六。十二歳差。母親がなにを考えて俺を身ごもったのか想像つくだろう」
「…………ひどい。」
湖宮さんの顔がはげしく歪む。
「ひどいよ! 陽人くんにも彩子さんに対してもひどすぎる!」
こんなに感情をあらわにする湖宮さんは初めてだ。
俺のために怒ってくれているんだ。
「俺の場合は小さいころから聴覚が鋭いって分かったから、鍵付きの部屋でひたすら音楽聞かされて、ピアノで再現する訓練をやらされた。うまく弾けるとオヤツがもらえるんだ。それだけが楽しみだった」
「そんなの……音楽じゃない。全然楽しくないよ」
泣きじゃくる湖宮さんの肩をそっと抱いた。
「小学校の卒業式のあとだった。高卒で就職して全然顔を見せなかった姉ちゃんがひょっこり現れて自分にあったことを話してくれたんだ。自分が逃げたばかりに申し訳ないって土下座されて、なんつーの、情緒不安定。おかげで中学ではめちゃくちゃ荒れて、髪は金髪、耳にはピアス。校則なんてガン無視して夜まで遊んでた。家には帰らずにぶらぶらしてた。Hi花として活動したのも小遣いを稼ぐためとストレス発散のため。姉ちゃんがアカウントを開設してくれた。……で、ある時とうとう補導されてさ……ああこれで家に戻されちまうって観念したんたけど、迎えに来たのは姉ちゃんだった。母親は『うちにはそんな子いません』って拒否ったらしい。いまも妊活してるらしいぜ、笑えるよな、はは……」
乾いた笑い声が清廉な空気に溶けていく。
湖宮さんが手を伸ばしてきた。目元を拭われる。俺は泣いていたらしい。
「ごめん、泣くつもりなかったのに」
「ううん。話してくれてありがとう。陽人くんと彩子さんのこと、もっと深く理解できた気がする」
「姉ちゃんと暮らしはじめてからも数えきれないくらいケンカしたけど今はもうお互い気心知れてるっていうか、母親のことも含めて笑い話にできる。だから湖宮さんにもその輪に入ってもらいたかったのかもしれない。重い話でごめんな」
「ううん。嬉しい。ありがとう」
寄り添ってくる湖宮さんを自然と抱き寄せることができた。
思いの枷を外したからかもしれない。
叶うなら、このままずっと――……。
「くしゅっ」
湖宮さんが体を震わせた。
まずい、長居しすぎたか。
「ライブ直前に風邪引いたら大変だ。部屋に戻ろうぜ」
「うん!」
手をつないで「すみれ」へと駆け戻る。
そういえば大事なことを言い忘れているような――と考えていたら、部屋に入って襖を開いた瞬間に思い出した。
(姉ちゃん、宿の人になんて説明したんだ……!)
布団がふたつ、寄り添うように並べられているではないか。
これではまるで新婚カップル……。
「ぴったりくっついてて恋人同士みたいだね」
恥ずかしそうに髪を撫でる湖宮さん。
「家族以外と一緒に寝るの初めてだから、もし寝言いってたらごめんね」
ああカワイイ。
「あとあと寝相悪くて陽人くんの方に転がって行ったら本当にごめんね」
「ぜんぜんオッケー!」
だめだ。今夜は寝ない&寝られない。
明日寝落ちしないことを祈ろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます