第29話 さぷれオンステージ!
眠れない一夜を過ごし、朝が来た。
天気は快晴、気持ちの良い青空が広がっている。
「ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
旅館の人に見送られて外に出る。会場行きのバスが到着するバス停までは徒歩で二十分ほどだ。
お土産をたくさん詰め込んだ荷物を手にゆっくり歩いていると湖宮さんが申し訳なさそうに呟いた。
「ごめんね、私すごく寝相悪くて……。ちゃんと寝られた?」
「イヤ、ゼンゼン、ヘイキ。アハハハ」
説明しよう。いま俺はとてつもなく眠い。
昨夜、隣の布団で寝ていたはずの湖宮さんがいつの間にか俺の布団の中に転がってきて、あろうことか抱き枕のように背中にしがみついてきたのだ。首筋にスース―と穏やかな寝息を吐きかけられたら睡魔なんか吹っ飛んでいく。お陰で寝不足だ。
なんとかバス停に着いた。
まだ早い時間にもかかわらず長蛇の列ができている。最後尾についたが、感覚的には昨日よりも相当多い。それもそのはず、今日はメジャーなアーティストが多数登場するのだから。
(シャキッとしろ。今日はさぷれにとって重要な一日だ。寝ぼけて音外したら洒落にならん)
ここは一発、気合いを入れてもらおう。
「湖宮さん、なにも言わずに俺の頬をがつんと叩いてくれないか?」
「え、なんで?」
困惑している。
「たのむ! 喝を入れてほしいんだ!」
「わ、わかった」
戸惑いながらも右手を握りしめて振りかぶる。
(よし、こい)
ぎゅっと目を閉じていると――ぺちっ、と弱々しい衝撃があった。
「優しすぎるよ湖宮さん……」
「だ、だって。怒っているわけでもないのに陽人くんを叩くなんてできないよ。だからこれで許してください。おねがいします」
そう頭を下げられたらウンと頷くほかないだろう。
「かわりに私にも喝入れて。はい」
今度は自分の番、とばかりに目を閉じて身を乗り出してくる。
まるでキスをねだられているようだ。
こんな無防備な、しかもツルツルの頬を叩くなんて出来るはずがない。
(くそぅ、俺がアホなことを言い出したばっかりに……)
「は・や・く」
自己嫌悪に陥る俺を甘く促してくる。
「――こほん、あんたたち公衆の面前だってこと忘れてない?」
ハッと目を見開くと姉ちゃんが半眼になって睨んでいた。
「なんでここに!」
「お客さんが多くなる時間だからバスの誘導していたの。ついでにあんたたちと合流して会場に向かうつもりだったわ。……にしても、ずいぶんと仲良くなったのね? ん?」
「誤解です!」
湖宮さんが恥ずかしそうに視線をそらした。
「陽人くんが頬を叩いて欲しいって言うから私も気合い入れてもらおうと思って。ね?」
「そう。俺がちょっと寝不足だったから力いっぱい叩き起こしてもらおうと思って。なぁ?」
「へぇ……なんで寝不足なのかしらねぇ?」
どきっ。
痛いところを的確についてくる。
「まぁいいわ。荷物もってついてきて。ここでバス待っていたらリハに間に合わないかもしれないからスタッフの車で会場に連れて行くわ。元々そのつもりで待ってたんだし」
こうして、奥に停めてあったワンボックスカーで会場へ向かうことになった。
道中、徒歩で会場に向かう客も多く目につく。
「姉ちゃん、客の入りはどんな感じなんだ?」
「当日券は完売御礼! 大大大大盛況よ。お陰でスタッフは目が回るような忙しさだけど、さぷれはあたしが専任スタッフになっているから大丈夫よ。気兼ねなく歌ってちょうだい。
「そのつもりだけど」
「すみません彩子さん! 音々のセットリストって分かりますか?」
「音々の? どうして?」
姉ちゃんがバックミラーごしにちらっと湖宮さんを見た。
彼女がなにを考えているのか俺にも理解できず、真剣な面持ちの湖宮さんを見つめるしかない。
「いろいろ悩んで決めたんです。さぷれが歌う最初の曲は――――」
※
リハが終わった。
もうすぐ本番だ。
言い知れぬ不安と緊張がまとわりついてくる。
Hi花として大勢の面前でピアノを弾くときは何も感じなかったのに、いまは違う。
ステージ裏のテントの中、湖宮さんはイスに深く座ったまま微動だにしない。
目を閉じて精神統一しているようだ。とても声をかけられる雰囲気ではない。
(さすが
リラックスリラックス、と自分に言い聞かせても心臓の鼓動が早くなるのを止められない。
「緊張してるの、陽人くん」
そっと手を握られる。
いつの間にか俺を見つめていた。
「うん。正直めちゃくちゃ緊張してる。湖宮さんはさすがだよな」
「そんなことないよ。ほら」
握りしめた手が小刻みに震えている。俺と同じ、いやそれ以上だ。
「本当は怖くてたまらない。ステージに出てお客さんが誰もいなかったら? 歌っている途中でくるりと背中を向けられたら? 下手くそって笑われたら? ネガティブなことばかり考えちゃう。いますぐにでも逃げ出したい」
「俺も同じだよ。……でも昨日言ってたじゃないか、俺はどこにもいかない。後ろでずっと湖宮さんを見てるよ。目をそらさずに」
青白い手に自分の手を重ねると震えが小さくなった。
血の気が引いていた顔に笑みが浮かぶ。
「そうだったね、歌詞間違えたら陽人くんに怒られちゃう」
「俺も音外したら湖宮さんに叱られちゃうな」
「叱らないよ、ちょっと睨むだけ」
「こわいこわい」
一心同体。一蓮托生。
ステージにいる間はどこにも逃げられず現実と向き合うしかないのだ。二人で。
「湖宮さん、陽人――”さぷれ”の出番よ。いけそう?」
姉ちゃんが声をかけてきた。
互いの顔を見合わせ、強く頷く。
「よし行くか、さぷれ」
「うん! あっこれ忘れ物だよ」
ばさっと被せられたのは茶髪にロングウェーブのウィッグだ。当然、女もの。
(くそう、なんで俺が女装なんて……)
昨日支倉さんから出された『とっておきのアイデア』がこれだ。女装すればHi花だとバレる確率がぐんと下がる、という謎理論によるものだが。
「くく、陽人、意外と似合うわね」
「笑うな!」
「似合ってるよ
「湖宮さんまで!! 今回限りだからな!」
いつの間にか満面の笑顔になっていた。
これを狙っていたとしたら支倉さん、すげぇな。
『こんにちは、さぷれです。本日はよろしくお願いします!』
マイクを持ってステージに立つさぷれ。
観客はざっと二十人ほど。一番目立つところで支倉さんが団扇を振っている。その後ろを波のうねりのように集団が通り過ぎていく。目的は音々だったりrefだったり。湖宮さんのビジュアルに惹かれて視線を向けてくる人もいるけど足を止めるまでには至らない。分かっていたけどキツイなぁ。
しかし湖宮さんは少しも臆した様子がない。
高々と腕を上げると、
『では早速聞いてください。一曲目――……音々さんの『KOIBUMI』』
ぱちん、と指を鳴らした。
それを合図に俺はおなじみのイントロを弾く。
(目には目を、歯には歯を、音々には音々を。とんでもない選曲だよな)
自分の曲をアピールするはずのライブで他人の、しかも、少し離れたメインステージで本人が熱唱している曲を歌う。その度胸。その覚悟。ただ者じゃない。
『Ohーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!』
滑らかでパワフルな歌い出し。
また一段と上手くなったな。
『――おはようおやすみいまなにしてる? メッセージだけじゃ足りないよ! 今すぐ飛んでいって抱きしめてキスしたいよ』
澄み渡った青空みたいな歌声だ。
テンポが速くて音程もはげしく動く曲なのに一音一音を的確にとらえて言葉を乗せていく。雑音がない。ブレない。揺れない。気持ちいい。
『――昼も夜も君への言葉であふれてる。でも一番大切なスキが言えないよ♪』
以前は直立不動で歌っていたのに、いまはリズムをとって楽しそうに動いている。観客ひとりひとりに目配せしながら近づいたり離れたり、曲に合わせてノリノリだ。
正面に回って表情を見られないのが残念だけど、支倉さんがHi花の俺じゃなく”さぷれ”に釘づけになっている点からして相当いい感じらしい。俺も目の前で見てぇ。
ちらほらと立ち止まる客が増えてきた。
もちろん集団のほんの一部だけど、ぽろぽろと、木の皮を剥ぐように少しずつ、さぷれの歌声に惹かれて輪に加わっていく。それは確かな手ごたえだ。
『――ああ~ス・キだよ。あ、すき焼きのことだからね勘違いしないでよね♪ うそでーす!!泣』
ジャジャン! 曲が終わった。
さぷれが頭を下げるとパラパラと拍手が降ってきた。だが同時に人が動き出す。区切りのいいところで別ステージに行くつもりだ。
『――る、るる』
そうはさせない、とばかりに次の歌に入った。
俺は鍵盤に触ってない。アカペラだ。
『――ハトじゃないよ。ドバトだよ。土鳩じゃないよ堂鳩だよ。なにがちがうのぉ?』
さぷれの「ハトの唄」だ。
公園で湖宮さんが歌っていた不思議な曲。どうしても歌いたいと言うのでリストに入れた。
『――遠い遠い昔にやってきて、人の手で改造されたんだよ。クックルークックルー、餌が欲しいな、クックルークックルー、愛が欲しい。ほしい』
うん、何度聞いても変な曲だ(褒め言葉)。
『――あるとき聞いてみたの。勝手に改造した人間のこと嫌いじゃないの? うらんでないの? そしたらドバトさん答えました。なにを嫌うことがありましょう、ワタシタチは人間が大好きですよ。お側にいたいんです、たとえ蹴り飛ばされても、石を投げつけられても、見捨てはしません。だってワタシタチがいなかったらベンチでうずくまる人をだれが慰めるのですか? 人間は弱いからワタシタチがいてあげなくてはね。はは、餌を探すフリも大変なものです』
二番はさらに変な歌詞だ(褒めてない)。
客たちの反応もイマイチだ。ほら、輪から出て行こうとしている。
(ごめん湖宮さん!)
タイミングをみて次曲『アイロン』のイントロを差し込んだ。
曲を変えられた湖宮さんは一瞬俺を振り向いたが、ぷくっと頬を膨らませつつ前を向いた。
さぷれの歌声はますますヒートアップしていく。
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