第27話 旅館にて
逃げるように会場をあとにして湖宮さんが到着しているはずの旅館の門をくぐった。
傍目には古くて歴史のある旅館って感じだったけど、広々としたロビーにはシャンデリアや革張りのソファーが並んでいて雰囲気がいい。和モダンっていうのかな、さすが姉ちゃんが選んだ旅館だ。
「いらっしゃいませ、ご宿泊のお客様ですか?」
フロントの女性に声を掛けられる。
「三名で予約している仁科です。先に連れが到着していると思うんですけど……」
「ああ、お連れ様でしたら、あちらにいらっしゃいますよ」
にこにこしながらフロントの右側に手を向ける。示された方向には小ぢんまりとした売店があり、浴衣姿の湖宮さんが真剣な表情でお土産を選んでいるところだった。
「かれこれ一時間ほどいらっしゃるでしょうか、相当悩まれているみたいですよ」
「一時間も!? ご迷惑おかけしてすみません!」
「いえ大丈夫ですよ。ごゆっくりお寛ぎください」
「ありがとうございます!」
フロントの女性に頭を下げ、大急ぎで湖宮さんの元へ向かった。
眉根に皺を寄せていた湖宮さんは俺の足音に気づいて笑顔で振り向く。
「陽人くん! 早かったね」
「色々あってな。随分長くここにいるんだって? なに見てるんだ?」
「叔母さんへのお土産。ごぼうのクッキーと人参のクッキー、どっちがいいと思う?」
くだらねぇ……と言いそうになってごくんと飲み込んだ。本人が真剣に悩んでいるんだから寄り添わねば。
「いっそのこと両方買うって選択肢は?」
「ひと箱十二個入りだよ。叔母さんそんなにいっぱい食べるかな」
「土産話しながら湖宮さんも一緒に食べればいいんじゃないか? それでも余るようなら叔母さんが職場に持っていくかもしれないし」
「そっか! 全部ひとりじめしなくてもいいんだね。分け合えばいいんだ。ありがとう陽人くん。こういうのよく分からなくて……」
そんなことも知らないのかって笑うのは簡単だけど、修学旅行にも行ったことがない湖宮さんは、大切な叔母さんへのお土産を自分なりに一生懸命に考えていたんだろう。きれいな顔に皺を寄せて、必死に、一時間も。
そう考えると、なんだかカワイイな。
「お会計してくるからちょっと待ってて」
「おう。ゆっくりでいいよ」
スリッパをぱたぱた鳴らしてフロントの女性に話しかけに行く。
出会ったときはコミュ症で言葉を話せなかった湖宮さんがいまは自ら他人に話しかけている。目覚ましい進歩だ。
一方で俺はなにも変わってない。
姉ちゃんに言われるまま湖宮さんと親しくなり、ラブソングの作曲を手掛け、姉ちゃんのお膳立てでフェスに来た。情けないな。
「お待たせ! かわいい袋に入れてもらったよ」
水色のレジ袋を嬉しそうに見せてくる。
良かったな、と頷いて一緒に歩き出した。
「叔母さんもきっと大喜びだろうな」
「うん、そうだといいな。……でも、だれかの為に物を選ぶのってすごく難しいんだね。喜んでくれるかなって考えると不安で自信がなくなって、もういっそ何も買わない方がいいんじゃないかって考えちゃった。陽人くんもコレすごく悩んでくれたんだよね?」
愛しそうに音符のアクセサリーに触れる。
「それなりに。形や大きさもそうだけど、金・銀・ピンクゴールドとか色もたくさんあってなかなか決めきれなかったよ。最後の姉ちゃんの一押し」
「でも私はこのアクセサリーが一番良かったと思ってる。私のために悩んでくれたその時間が嬉しいの」
「サンキュ。叔母さんへのお土産も大正解だよ。湖宮さんが選んでくれたものが一番だ」
「――うん、ありがと!」
宿泊するのは5階の奥にある「すみれ」という部屋らしい。湖宮さんに先導されてトコトコついていくとエレベーターを降りたところで「はっ!!」と悲鳴を上げた。
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってて!!!」
血相を変えたかと思うとすごい勢いで走っていく。
(なんだろ、部屋にヤバイものでもあるのかな。俺に見られたら困るもの……)
それはそれで気になる。
速足で追いかけると「すみれ」と札が掲げられた部屋の扉の下からぴらっと紙が飛び出してきた。メモ帳の切れ端みたいだ。
(湖宮さんの落とし物か?)
拾い上げて裏返すと人間のイラストが書かれている。目がでっかくて少女漫画ぽいけどそこそこ上手い。
(この男……もしかして俺? 似顔絵か?)
目つきや髪型がどことなく自分に似ている気がする。
湖宮さんが描いたのだろうか。
「きゃー!」
中から悲鳴がした。
慌ててドアノブをひねる。
「どうしたんだ!? 入るぞ!」
「待って! だめえー!!」
時すでに遅し。
扉を開けると和室らしい
(なんつー紙の量だ。なんかの儀式か?)
足元に散らばっている切れ端のひとつひとつに「恋人」とか「愛」とか「やきもき」とか書いてある。
「だめだって言ったのにぃ……」
半べそかいてメモの束を抱きしめている湖宮さん。よほど慌てていたのか、豪快にはだけた浴衣と恨めしそうな眼差しが目に焼きついた。
――歌詞を作るときはキーワードを書いたメモやイラストを描いてカルタのようにばらまいて、くっつけたり離したり並び替えたりしてイメージを膨らませながら文章にしていく……と聞いたのは、泣きじゃくる湖宮さんを宥めてからだった。
※
「勝手に入って悪かったよ。でもそれならそうと言ってくれれば良かったのに」
「だって、片づけできないだらしない子と思われたくなくて」
なんとか落ち着きを取り戻した湖宮さんだったが、用意されていた茶菓子の饅頭をふて腐れながら食べている。メモ帳はすべて回収して旅行鞄の中に詰め込んだ。
「だからゴメンって」
「むぅー」
だめだ、話題を変えよう。
「そうだ、明日のステージ見てきたんだ。ほらこれ、その名も『磨けば光る原石ステージ』。完全屋外で日差しを遮るテントも雨除けもない。ちょうど歌っている人がいたから撮って来たけどステージから客席までの距離が遠くて、メンタルの強さを試されてるって感じたよ。音響とかは問題なさそうだったけど」
湖宮さんは身を乗り出して食い入るようにスマホの画像を見つめている。
口の横に饅頭の皮ついてるけど真剣な表情だ。
「入場ゲートからまっすぐメインロードを進むとこの『原石ステージ』があるんだけど、手前に分かれ道があるんだ。明日さぷれが歌うとき、右は音々、左はrefのステージに続いてる」
「つまり、メインロードからきたお客さんが最初に目にするのが私が歌うステージで、その奥に他のステージがたくさんあるってことだね。私の歌でお客さんを足止めしないと後で戻ってきてくれるチャンスはほぼないってことだね」
「うん。しんどいよな」
「でも私の覚悟は決まってるから」
強く頷くのを見て、俺の心もようやく決まった。
うだうだ悩むのはもうやめた。ここまで来たらやってやる。
「あとこれはまったくの偶然だけど『音々』に会ったぞ。なんとさぷれの大ファンなんだって!」
「歌姫の音々が?」
「おお。『いちごっこ』は神曲って推してた。せっかくなら明日歌ってみるか? 音々に聴きたかった―!!って言わせてやろうぜ」
「…………。陽人くんって意外とイジワルだね」
真顔の湖宮さん。
「やっぱダメかな?」
冗談のつもりだったけど嫌味だったかもしれない。
「ううん、そういうところも好き!」
にかっと歯を覗かせて笑っている。
「こら、一瞬冷や汗かいただろ」
「ごめんなさ~い」
こんなふうにじゃれ合っていると本当に恋人みたいだ。悪くない。ぐんと距離が縮まった気がする。
「さっきから気になってたけど口に饅頭の皮ついてるぞ」
「え? なんで早く教えてくれないの? イジワル」
「ごめんごめん、ほら、ここ」
なんとはなしに手を伸ばし、湖宮さんの口元に触れた。
桃色の柔らかな唇に指先が不意にあたる。どきっとした。
「――っ」
湖宮さんが目を見開く。
「あ、ごめん俺――」
「いいの、そのままで」
慌てて手を引こうとするのを押しとどめたのは湖宮さん自身だ。
俺の手を包み込んで自らの頬に触れさせる。ほんのりと顔を赤らめて、妙に色っぽい。
「陽人くんの手、おおきい」
「あ、えと……」
どくん、どくん、心臓が早鐘を打つ。
浴衣ごしでも分かる胸の大きさ、色白な肌。首元に光る音符のネックレス。
旅館の一室で二人きり。だからだろうか、くらくらする。
変な気分になってしまう。
「歌詞を作っている間中、ずっと陽人くんのこと考えてた。彩子さんからラブソング作りの話をされたときは恋なんて自分には縁遠いと思っていたけど、いまはもう、心も体も、陽人くん一色だよ。ほんとだよ?」
耳元で囁くな。ずるいだろ。
「――ねぇ、まだ完成じゃないんだけど歌詞あてたラブソング聞いてくれない? 陽人くんの感想が聞きたいの」
「構わないけど……」
「うん。じゃあ音楽流して」
ゆっくりと立ち上がり、肩を開いて姿勢を正す。
表情は穏やかだけど雰囲気が変わった。
「じゃあ流すぞ。レコーディングモードっていうのがあるから」
湖宮さんと選んだ曲がスマホのスピーカーから流れ出る。
すっ、と息を吸う湖宮さん。
絶唱が部屋を包み込む。
俺は改めて思い知らされる。
湖宮さんは唯一無二の「歌姫」だということを――。
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