第26話 推し×推し

 信じられない。

 斜面を派手に転がってきたのがM音ランカーの音々だなんて。


「悪かったね。立てるかい?」


「あ、ありがとうございます」


 差し伸べられた手を取って立ち上がると、身長差をまざまざと感じさせられた。140センチ台だろうか、画面越しでも小さいと思っていたが並んでみると尚更だ。この小さな体で演歌も洋楽もヘビメタもラブソングも歌いこなすのだ、才能ってすごい。


「いやぁびっくりしたよ。この急斜面でオニギリがどれくらい転がるのかを試していたら、まさか自分まで転がっていくとはね」


「どんな実験ですか」


「はは、つい好奇心で試したくなってしまうんだ。宿を抜け出してオニギリを買いに行っていたことがバレたらまたマネージャーに怒られてしまう」


 音々ってちょっとアレなんだな。ナニとは言わないけど。


「きみ、名前は? 見たところ学生のようだが」


「仁科といいます。高一です」


「仁科くんか。これは助けてくれたお礼だ。ポケットに入ってて無傷の塩昆布オニギリを特別に進呈しよう」

 

「転がった衝撃で凸凹になってますけど……。まぁ、ありがたく頂きます」


 正直いらないけど厚意を無碍にするのも気の毒だ。


 なんと言っても目の前にいるのはあの音々。

 周りはまだ歌姫の存在に気づいてないようだ。


 俺は小声で問いかけた。


「音々さんフェスの出番は明日なのにもう会場入りしたんですか?」


「ああ会場の雰囲気を知りたくてな。せっかくフェスに来たのにリハと本番だけでとんぼ返りするのは勿体ないだろう。どんな場所で、どんな客が、どんな顔つきで、どんな表情で来ているのかは実際に足を運んでみないと分からないものだ」


「へぇ、真面目なんですね」



(意外だ。テレビの中では周りから持て囃されたアイドルって感じだったのに――)



「ここはいい。空がひらけていて自然豊かで空気もおいしい、客の目も輝いている。ボクもわくわくするよ。強いて不満をあげるならタイムスケジュールかな、”さぷれ”のパフォーマンスが見られないのは非常に残念だ」


 音々の口からさらっと出た名前に言葉を失った。


「ちょっ、え、あの、さぷれを知っているんですか?」


「無論だ。『いちごっこ』は神曲」


 がん、と衝撃を受けた。



(『いちごっこ』はマイナーな曲だ。それを知っているってことは本物ガチだ……俺と同じ)



 忘れかけていた推しへの熱意がめらめらと燃え上がる。


「俺も! 俺も好きです! さぷれの神曲を選ぶとしたら『アイロン』か『いちごっこ』でめちゃくちゃ悩みます!」


「おお、きみも同担推しなのか! しかも同曲推し!」


 音々の口調がオタクのそれに変貌する。


「ですです!」


「そうだ、先日シークレットライブを開催したそうだが何か知ってるか?」


「シークレッ……ああ、コミュニティセンターのことですね。三、四曲歌ったらしいですけど『いちごっこ』はなかったみたいですよ」


「そうか……無念……シュン」


「あ、でも『KOIBUMI』好きでよく歌っているみたいです」


「なんだと!!」


 目をキラキラと輝かせている。

 やばいぞ俺、相手が音々だということを忘れそうだ。


 でもこれは新曲を売り込むチャンスだ。


「知ってます? さぷれ新しい曲に取り掛かっているらしいですよ。今回のフェスには間に合わないけど近々リリースする予定だとか」


「本当か? 最近忙しくて情報追えなかったが」


「確かな情報らしいですよ。しかもラブソング」


「なるほど。M音で活動始めた頃は中学生だったからな、そろそろ色恋に目覚めてもおかしくない。ボクとしてはその前に『いちごっこ』のセルフリメイクを聴きたいが」


「あ~、それは望み薄かもしれません。俺も『いちごっこ』好きでリメイク熱望しているんですけど、本人が歌いたがらないんですよね。小学校低学年のときに作ったから子どもっぽくて恥ずかしいって言うんですよ。『大切にとっておいたイチゴ食べられちゃった~』って切なそうに歌うところ好きなんですけど」


「…………ちょっと待て」


 急に真顔になる。


「本人が歌いたくないと言ってた? ソースは?」


 ぎくっ。

 しまった! 嬉しすぎてついポロリと。


「先ほどの新曲がラブソングだという情報もだが、やけに詳しいんだな仁科くん」


「それは……掲示板に書き込まれていたので、」


「目が泳いでるぞ。……なにか隠しているだろう仁科くん」


 じりじりと迫ってくる。

 正しくは背伸びしてして爪先ぷるぷるさせながら必死に目線を合わせてくる。



(言えねぇよ、俺の同級生がさぷれだなんて)

(明日になれば分かっちゃうけど、いま迂闊に言って湖宮さんに迷惑かけたくない)



「みてあれ! 音々じゃなーい?」


 とびきり大きな声がした。

 周囲がたちまち騒がしくなり人だかりができる。いまだ。


「じゃあ俺忙しいんでこれで」


「待て! まだ話は終わってない!」


「俺の方は終わりましたんで!」


 押し寄せる人込みを逆走してなんとか離脱した。


 やばいやばい、つい気持ちが緩んでしまった。



(でもあの音々がさぷれのファンだと知ったら湖宮さん喜ぶだろうな)



 早速報告しようとスマホを開いた刹那、横から袖を引っ張られる。



「見つけましたよ、Hi花様」



 ハッとして振り向くと――、



「えへへ、来ちゃった❤」


 満面の笑顔の支倉さんが傍らにいる。

 一瞬でも緊張した自分がバカみたいだ。


「……なぜここに」


「もちろんHi花……おほん、さぷれを応援しに。ほらグッズも手作りしてきたんですよ」


 お手製の団扇を見せてくれる。


「それはどうも。さっき音々だって叫んで助けてくれたのってもしかして?」


「ええ、困ってたみたいだったので。よく分かりましたね」


「聞き覚えのある声だったから、なんとなく。でも助かったよ。あのまま詰め寄られたらボロ出してたかも」


「お役に立てて良かったです。でも気を付けてくださいね、明日のライブ、Hi花様目当ての客もいるみたいですよ」


 青天の霹靂。


「なん、で、」


「ほら、コミュニティセンターでさぷれと一緒にいたことになっているから」


「支倉さんが否定してくれたのに?」


「みんな素直に納得してくれれば楽なんですけど、自分の目で確かめたいって熱烈なファンもいるわけですよ。みんな頑固なんです。あたし含めて」


 どうしたものか。


 悩んでいると支倉さんが意味深な笑みを浮かべた。


「じつはあたしにとっておきのアイデアがあるんですけど、聞いてくれますか?」


 なんだろう。ものすごくイヤな予感。

 人生最大の決断を迫られている気がする。

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