第25話 遭遇
――あっという間にフェスの日がやってきた。
開催は土日の2日間。さぷれの出番は2日目の昼過ぎだが旅行を兼ねて前乗りすることにした。(姉ちゃんはスタッフなので数日前から現地入りしている)
目的地へ向かう新幹線の中でパンフレットに目を通す。
さぷれが有名になるチャンス!と浮かれていた俺だったが、数日前にタイムスケジュールをもらったときは気絶しそうになった。
さぷれの出番は明日の午後1時、昼が終わって一番客が多い時間帯だ。それはいい。問題はメインステージに出場する歌手たちだ。
「よりによって超人気ガールズグループの『ref』と『音々』が同じ時間帯にライブって地獄かよ。どっちもフェスのパンフに載るくらいの超目玉じゃん。絶対にこれ目当てに来てる客ばっかりだ」
両方ともM音ランカー。フェスの掲示板を見るとこの二組の話題ばかりが飛び交っており、”さぷれ”のさの字もない。湖宮さんの実力を疑うわけではないが明らかに相手が悪い。
(なにがネクストジェネレーションだよ、何百人もの客が素通りしていくのを見せつけて
ふと、隣に座る湖宮さんが先ほどから何も話していないことに気がついた。
「望さん……?」
視線を向けるのとほぼ同時に心地よい重さが寄り添ってきた。肩にもたれかかった湖宮さんが小さく寝息を立てている。長い睫毛は扇のようた。
(寝顔天使かよ……っ!!)
しかし困った。
これでは下手に身動きが取れない。生理現象が起きたらどうしよう。
「……っん」
心配は杞憂に終わり、湖宮さんは軽く身じろぎして目蓋を上げた。
ここがどこだか分からない、とばかりに目を瞬かせあと、ゆっくり俺に向き直る。
「はると、くん?」
「おお、うん。おはよ」
「はっ!――ごめんなさい!」
カッと目を見開いて慌てて体を引いた。
「ごめんなさい私……寝ちゃってた?」
落ち着きなく髪の毛を撫でている。
「ちょっとだけな」
「い、いびきとか、かいてなかった? ぐーって」
「いや全然。静かなもんだったよ」
可愛い寝顔でした、とは言うまい。
よほど恥ずかしかったのか湖宮さんは顔を手で覆っている。
「ほんとうにごめんなさい……。この旅行が楽しみで眠れなくて」
「楽しみ!?」
「うん。泊まりで出かけるの小学生低学年以来なの。あんまり学校行かなかったから修学旅行は小中とも欠席だったし」
ある意味すごいな。
ライブ前で緊張しているわけじゃなく、遠足前の子どもみたいに興奮してい寝つけなかったのか。さすが歌姫。鋼のメンタル。
「陽人くんも昨日寝られなかったの? 目の下にクマできてるよ」
「俺はその、ライブのこと考えてて」
「明日のこと?」
「うん。大物歌手が近くで歌ってるんだぜ。客は素通りしていくだろうし、メインステージの盛り上がりとか大歓声とかイヤでも聞こえてくるじゃん。そう考えると不安でたまらなくて」
自分の歌に見向きもしない客や、隣接したメインステージの盛り上がりをまざまざと見せつけられたら、俺だって泣きたくなる。歌手である湖宮さんの衝撃はさらに大きいはずだ。
どんなに声を張り上げても届かない。
歌い手としては客からの反応がないのは恐怖じゃないだろうか。
「怖くないのか、さぷれは」
「こわい……か」
湖宮さんは少し考えてから微笑む。
「うん、そうだね、全く緊張してないって言ったらウソになるだけど、陽人くんが側にいるから平気だよ」
「俺? 伴奏担当が一緒にいるのは当たり前だろ」
「うん。だから、それだけでいいの。一人じゃない、少なくとも陽人くんが後ろで聞いててくれる――……それだけで幸せな気持ちになるの」
「お、おう……」
なんだか堂々と告白されているみたいで気恥ずかしい。
「陽人くん言ったでしょう、ここにいるよって花火を打ち上げないとだれも見えくれないって。だから今回は花火をしにいくだけ。立ち止まる人がいてもいなくても、私は歌うだけだよ」
強いな、湖宮さん。
そうだ。なにも悲観的になる必要はない。プロモーションの一環だと思えば。メインステージに向かう客がたとえ一人でもさぷれの歌に耳をとめてくれたら十分じゃないか。
「よし、じゃあ着くまで気晴らしに音楽でもどうだ?」
イヤホンを見せると興味深そうに身を乗り出してきた。
「なに聞いてたの?」
「新曲のデモ。自分の中ではほぼ出し尽くしたつもりだからそろそろ絞り込みたくて」
「聞きたい!」
イヤホンの片方を手に取って耳に押し当てる。
これ、たまにラブコメで見る片耳イヤホンシチュじゃないか。萌える。
「出だしは大まかに三パターンあって、最初からインパクト重視でサビを歌う、囁くようなピアニッシモから次第にパワフルになっていく、あるいはハミングから」
「ハミング、高阪くんのあれだね」
「そそ。『KOIBUMI』みたいにOh~って。湖宮さんはブレスが長いからインパクトあると思うけど最近の曲はすぐ歌が始まらないと離脱されるらしくて」
「曲もタイパの時代なんだね」
などと言い合いながら数曲流したところで「あっ」と声を弾ませた。
「これ好き。アップテンポだけど歌いやすそう。サビの高音のリズム感も好き」
「まじ? これ俺のイチオシなんだ。すらすらメロディーが浮かんできて自分でも神ってると思ってた。ベースは湖宮さんの鼻歌だけど」
「すごいよ、陽人くんって本当に耳が良いんだね。昔からそうなの?」
「ああ……うん、まぁな」
曖昧な笑い方しかできなかった。
この特技には思い出したくもない裏があるのだ。
「あっ。ここのリズム、あの歌詞が良さそう……ごめん書くもの持ってる?」
「ボールペンなら」
「ありがとう、借りるね」
ボールペンを受け取ると手元にあったパンフレットの隙間に文字を走らせた。
すごい速さで空欄が埋まっていく。
どうやら作詞モードに入ったようだ。
(しばらくそっとしておこう)
真剣な眼差しの湖宮さん。
殴り書きの文字はタイムスケジュール欄にまで及び、びっちり埋まっている。それを見ていたら、始まる前から不安に駆られていた自分がバカバカしく思えてきた。
※
最寄り駅に着いた。
「いまの熱い気持ちで歌詞を書きたい!」という湖宮さんは旅館に直行、俺はフェス会場行きのバスに乗り込んだ。明日のための偵察だ。
バスの中は超満員、ようやく駐車場に着くと入場ゲートまで長蛇の列が並んでいた。今回は例年になく大物アーティストを呼んでいて、事前売上のチケットか来場者数は過去最高になる見通しだ。
※
(はぁ、いくつか聞いて回ったけど、メインステージはもちろんサブステージもそこそこ知名度のある歌手ばっかりだな。)
さぷれも歌の上手さでは引けをとらないが、知名度という点では一枚も二枚も劣る。明日の本番を考えるとまた憂うつになってきた。
湖宮さんはこんな大舞台で歌うのか。
うう、想像しただけで胃が痛い。
「だれか止めて~」
くぐもった悲鳴が聞こえた。
傍らの斜面を見てぎょっとする。上からごろごろと転がってくるのは人間ではないか。
「どんなシチュエーションだ!?」
訳が分からないまま腕を広げて待ち受ける。
どんっ!
思いっきり体当たりされ、もろとも地面に転がった。平らだったことが幸いして数回転で無事に停止する。
(ったく、なんなんだよ……)
ゆっくり目を開けると大きな瞳とピンク色に染めた髪が視界に入った。
「いやぁ助かったよ、まさかあんなに転がるとは。ボクの想像を超えていた」
ニット帽の下から覗く幼い笑顔を見てハッと息を呑んだ。
「歌姫の、音々……さん?」
おそるおそる問いかけると白い歯を剥いてニッと笑った。
人差し指を立てて俺の口に押しつけてくる。
「静かにしてくれたまえ。じゃないと、キスして無理やり黙らせるよ?」
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