第4話 メッセージ

 翌朝。


 俺は最寄駅からの電車に乗り込んだ。都市部につながる快速電車の本数が少ないので車内はぎゅうぎゅう詰め。駅に着くたびに四方から押され、足を踏まれ、まるで洗濯機にかけられているような惨状に、入学早々に自転車通学を選んだ俺だが、今日はちょっと事情がちがう。



『潮ノ田~、潮ノ田~、開くドアにご注意ください』



 住宅街の最寄り駅に着いた。

 ホームで待ちかねていた客たちが一斉になだれ込んでくる。わずかな隙間も埋めるように人やカバンが入り込み、あちこちで小さく悲鳴が上がった。


(いた、湖宮さんだ!)


 前の車両につながる扉付近に縮こまっているのは湖宮さんだ。入口近くにいる俺とは距離があるけど目立つのでずに見つかる。


 ここから学校の最寄り駅までは三駅。

 時間にして二十分ほどだ。


(っていうか俺、何しようとしてるんだろ)


 拾ったメモ帳を返す、それだけが目的なら学校で会ったときに渡せばいいのに、わざわざ通勤電車に乗り込んでまで。


(でもが本当だとしたら……)


 カバンの中から取り出したメモ帳に目を落とす。

 他のページを勝手に見たら失礼だと思つてこのまま持ち歩いているのだが、果たしてなのか。それともたまたま書きなぐっただけなのか。


(こんな酷い目に遭っているなら……見過ごせない)


 そのとき。

 キキーッ、けたたましいブレーキ音とともに電車が傾いた。


「きゃっ」


 俺の前にいた女性がバランスを崩して前のめりになってくる。思いっきり足を踏まれた。


「でっ!」


 女性がたちまち青ざめる。


「すみません! 大丈夫ですか?」


「へ、平気です。あははは」


 苦笑いしながら視界の隅で湖宮さんを捉えたときだ。



(――――いた!)



 湖宮さんの後ろにぴたっとくっついているサラリーマン風の男が見えた。


 動くのもままならない満員電車なので距離が近いのはおかしなことじゃない。でも湖宮さんの肩に触れるように吊り革を握っていたり、後頭部に異様に顔が近かったり、おかしなことばかりだ。


 湖宮さんはうつむいている。

 ぎゅっと唇を噛んでなにかをこらえている。


 間違いない。


「すみません通ります!」


 俺は人込みに突っ込んだ。

 周りの客たちが迷惑そうに睨んでくるが、いまだけは勘弁してくれ。

 舌打ちされ、罵声を吐かれ、揉みくちゃになりながらようやく湖宮さんに近づいた。


「おいアンタ!」


 狙いをつけ、湖宮さんのスカートに伸びていた手をがしっと掴む。


「ぁっ?」


 男がすばやく視線を上げた。

 ヒゲをきちんと剃って頭髪もまとめている善良そうなサラリーマンだ。


 だからこそ余計に腹が立つ。

 よほど油断していたのか、あるいは常習犯なのか、俺に掴まれるまで男は全く俺のことに気づいていなかったんだから。


 男が慌てて手を引こうとするのを無理やりねじり上げた。


「この手! 俺の友だちに何してんだよ!」


「なんだよおまえ! おれはなにもしてねぇ!」


 狼狽している。怪しすぎんだろ。

 ぜってぇ逃がさねぇ。胸が熱くなるのを感じながら目の前の男を睨みつけた。


「次の駅で降りろ。駅員さんに話す。いいな」


 死刑宣告した途端、男の顔色が変わった。


「…………悪かったよ」


 観念したのか、いきなりしおらしくなる。

 やけに素直なことに驚いていると突然、電車が大きく傾いた。しまった、もうすぐ駅だ。


 キキキキー……ブレーキがかかってバランスを崩す。


「ざまぁみろ!」


 一瞬の隙をついて突き飛ばされたせいでうっかり手を離してしまう。


「どけよっ」


 乱暴に人込みを押しのけるとタイミングよく開いたドアからホームに飛び出して瞬く間に逃げ去ってしまった。


(くそ、逃げ足が速い! 相当慣れてやがる!)


 俺が朝の通勤に慣れていないことを見越したうえで、ブレーキがかかる直前で隙を見せてまんまと逃げおおせた。作戦勝ち。してやられた。


(……はっ、湖宮さんは)


 振り向くと湖宮さんは呆然と佇んでいた。びっくりさせて申し訳ない。警戒させないようゆっくり近づいて優しく声をかけた。


「湖宮さん、ここで降りられる? 駅員に事情を説明しよう。俺も一緒にいくから」


「……」


 涙ぐんでいた湖宮さんは俺の目をじっと見つめてから、こくん、と頷いた。



   ※



 ホームに降りた俺と湖宮さんは近くにいた駅員に声を掛け、別室で痴漢に遭ったことを説明した。


 湖宮さんは青ざたまま言葉を発しなかったが、俺や駅員さんがひとつひとつ状況を聞くと首を縦に振ったり横に振ったりと意思表示してくれた。


「監視カメラの映像から詳しい状況も分かったし、これからはより一層警備を強化してくれるってさ。良かったな、湖宮さん」


 すべてが終わって解放されたときは授業が始まっている時間だった。


「でも駅員さんの話によるとアイツ常習犯らしいじゃん、一発くらい殴っておけば良かった。でも俺が傷害罪とか言われるのはヤダな。くそ、あの時なにがなんでも腕を掴んでおけば……ん、なに?」


 湖宮さんがくいくいと袖を引いている。

 ぱちぱちと目を瞬かせ、不思議そうだ。


「ああなんで俺が知っていたのかって?――まず、これ返すよ」


 差し出したメモ帳を見てハッとしたように息を呑んだ。


「昨日歩道橋の上に落ちてたんだ。勝手に見てごめん」




 たすけてください。

 ちかん です。


 いつも、おなじひと。


 たすけてください。

 わたし、はなせない。


 たすけてください。

 むししないで。




 綴られていたのは助けを求めるメッセージだった。

 きっと日常的に痴漢されていて、だれかにこのメモ帳を見せていただろう。


 でも誰も助けてくれなかった。

 最後の「無視しないで」という文字が湖宮さんの絶望と一縷の望みを物語っている。


「この文字、震えてるじゃん。すごく怖い思いしてるんだろうなって思ったら、じっとしていられなかったんだよ。だから今朝は電車に乗って通学することにしたんだ。って言ってももう完全に遅刻だけど、いまから学校行くの気まずよな。……湖宮さん?」


 足元が濡れている。

 うつむいた湖宮さんの細い肩は大げさなくらい震えて、きつく閉じた目から涙があふれていた。


「あ……えと」


 こういうとき――女の子が泣いているとき、どうしたらいいんだろう。

 姉ちゃんならここぞとばかりに優しく抱きしめてやれって言うだろうけど。


「怖かったよな、もう大丈夫だから」


 声をかけて、肩をさする。

 いまの俺にはこれが精いっぱい。抱きしめるとか慰めるなんて大それたことはできない。側にいて見守るだけだ。


 それでも湖宮さんは昨日みたいに俺から逃げ出すわけでもなく、しずかに泣き続けた。

 ここにいて欲しい、側にいて欲しい、と言われた気がした。

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