第5話 恩返し

「さて、遅刻も遅刻。大遅刻。そろそろ昼飯の時間だけど湖宮さんどうする?」


 泣きはらした湖宮さんを連れて駅の改札を出る。

 今更学校に行く気にはなれない。俺に限って言えば居ても居なくても変わらないし。


「牛丼でも食べに行くか? それともファミレス? 制服だと目立つからカラオケで食事するのもいいかも」


 改札を出る前も、出てからも、湖宮さんはヒナみたいに俺の後ろをくっついている。

 なんかカップルみたいじゃん。

 こんな美少女が彼女だったら、そりゃあ嬉しいけど、向こうはこんな地味メンお断りだろ。釣り合わねぇもん。


 ぶらぶらと歩いていたら公園についた。

 昼飯を食べる会社員たちで賑わっていたが、たまたま空いていたベンチを見つけて湖宮さんを促した。


「よし、ここで食べるか。コンビニ行ってくるけど何がいい? おにぎり? サンドイッチ? 弁当? 飲み物はどうする?」


 湖宮さんは顎に手を当ててウーンと考え込んでいる。

 そこまで真剣に悩むことか? とちょっと笑ってしまう。でも昼飯に悩むくらい元気になって良かった。


 色白のきれいな顔で眉根を寄せている彼女を眺めながらふと考えた。


(湖宮さんは言葉が話せない――んだよな?)


 正直、よく知らない。

 だれかと会話しているところを見たことはないし、あのメモ帳にも「はなせない」と書いてあった。だから例の男は調子に乗って行為をエスカレートさせたのかもしれない。


(でも昨日は歌ってたよな。日本語が分からないとか話せないってわけじゃなくて、単なるコミュ症なのか?)


「ん? なに湖宮さん」


 スマホを掲げてMINEのアプリを指さしている。

 そうか文章でやりとりすればいいのかと納得して早速IDを交換する。湖宮さんのアイコンはオタマジャクシだった。



『湖宮望です。よろしくね』



 ごくごく普通の挨拶。意外だ。

 画面の向こうから明るい声が聞こえてきそうだ。


『仁科陽人。こちこそよろしく』


 我ながらザ・無難な返事だ。



『仁科くんって変わってるよね』

『なんで?』

『歩道橋の上でいきなり押し倒してきたり』

『ぎゃ!』

『ひとのメモ帳勝手に見たり』

『だって落とし物』

『それを鵜吞みにして痴漢撃退したり、めちゃくちゃだよ』

『すんません』

『どうして助けてくれたの? クラスで浮いてる私を助けたら高阪くんたちに悪く言われるかもしれないよ』


 昨日の出来事が脳裏をよぎった。

 確かに俺と湖宮さんが親しくしていたら高阪が何か言ってくるに違いない。


『どうでもいいよ。俺は高阪の下僕じゃない。』


 あの悲痛なメッセージを見て見ぬふりしたら本当の意味でクズになってしまう気がした。


 でも、それだけじゃない。

 あの歌声を聴いたからだ。



『仁科くん、こっちみて』



 スマホから視線を上げると目が合った。

 

 不思議なもんだ。ベンチに腰を下ろして上半身をこちらに向けているだけなのに、なんでこんなに画になるんだろ。アイドルのプロモーションビデオでも観てるようだ。


 泣きはらして赤くなった頬も潤んだ瞳もまったく魅力を損なっていない。



『そのまま見てて』



 身を乗り出して顔を近づけてくる。睫毛の一本一本までハッキリ見える。こんなに近いのに毛穴も産毛も見えないってどういうことだよ。アンドロイドじゃね。



「❤」



 にっこり、と微笑んで見せる。

 ぎゅいんっと心拍数が跳ね上がった。


(うぉおおおおおおっ……!!)


 やばいやばいやばいやばい!

 心臓に小型ミサイル打ち込まれたかと思うほどの破壊力だ。


 コミュ症でふだん無表情な湖宮さんがこんなに可愛く笑うなんて反則!!

 一発レッドカード!!


 魂が抜けそうになっているとピロリン、とスマホが鳴った。



『あとでお金払うからツナマヨ五個お願いします。飲み物はレモンティーで』



 この状況下でなんつー普通のメッセージ。

 ドキドキしていることがバレないよう素早く返事を打った。


『りょうかい。すぐ行く』


 気恥ずかしさを悟られないよう出来るだけゆっくりと立ち上がる。


『いってらっしゃい。待ってるね』


 手を振って見送ってくれる湖宮さん。弾けるような笑顔を見てどきっと胸が高鳴った。ふだんは無表情だから尚のこと眩しく見える。



(やばい、やばい、マジやばいーーっ!)


 コンビニ目指してダッシユしながらも頭の中では湖宮さんのことを考えていた。


(なにあの笑顔! 破壊力! 心臓止まるかと思ったわー!! っていうかさ、うん、分かっていたけどさ、湖宮さんめちゃくちゃ可愛いじゃん!!)


 湧き上がる感情とは別に、そんな子を泣かせた痴漢男ぜったい許せん!ってドロドロした感情もあふれ出した。


(特徴は覚えてる。長身、やせ型、身なりの整った30代から40代のサラリーマン風の男で、だみ声。恐らくここ最近同じ路線で通勤している……)


 スマホを取り出して、ある人物に連絡をとった。

 「拡散頼む」――と。



   ※



「くそ、迷子になったせいで時間がかかっちまった。湖宮さん呆れて帰ってないかな」


 コンビニで買い物を済ませ、急ぎ足で公園に戻った。とっくに1時を回っていたが、ベンチでは湖宮さんが待ってくれていた。


 後ろからみても分かる体の細さと髪質の良さ。その上、振り向いたら超絶美少女なんだもん、ほんと詐欺みたいだ。



「――る、るる」



 また歌声が聞こえた。

 湖宮さんの足元には鳩が集まってきている。



「――ハトじゃないよ。ドバトだよ。土鳩じゃないよ堂鳩だよ」



 さぷれの「ハトの唄」だ。



「――遠い遠い昔にやってきて、人の手で改造されたんだよ。クックルークックルー、餌が欲しいな、クックルークックルー、愛が欲しい」



 ちょっと変な歌詞だけど、口ずさむ声がたまらなくいい。

 ほんのワンフレーズで素人でも格の違いが分かるような厚みと破壊力があるのに、なんだか切ない。まるでさぷれだ。


「湖宮さん」


 バササササ……一斉にハトが飛び去った。

 風に舞い上がる髪を押さえながら振り向く湖宮さん。俺の姿を見て、にこりと微笑んだ。ピロリンとスマホが鳴る。


『おかえり仁科くん』


 ただいま、と口で答えてからメッセージを打った。


『ツナマヨとレモンティーお待たせ』


『ありがと。ねぇこれ見て』


 嬉しそうに駆け寄ってくる。手にしたスマホにはMINEが配信しているニュースの映像が映っている。


『さっき例の痴漢が逮捕されたって情報が流れてきたの。匿名の通報が複数件あったんだって』


『へぇ、思ったより早かったな』


『なにが?』


『なんでもない。これでひとまず安心して通学できるね。同じ被害に遭っていた人もたくさんいたからそう簡単には出てこられないだろうし』


『うん。自分でもびっくり。あ、おにぎり頂きます』


 並んでベンチに座り、遅い昼飯を頬張る。

 五個もあったツナマヨが次々と湖宮さんの胃袋に消えていく。意外と食べる系? 


『なに、』


 怪訝そうに見つけられたので首を振った。


『昨日も思ったけど湖宮さんって歌うまいよな、本物のさぷれみたいだ』


『……こら、盗み聞き』


 しまった。

 歩道橋のワンマンライブに立ち会っていたことは言ってなかった。むっとしている湖宮さんに深々と頭を下げる。


『ごめんなさい』


『素直でよろしい。許す』


『ははぁ、ありがたく存じます』


 目の前にいるのにメッセージでやりとりするなんて変な感じだ。

 でもMINEがなければ湖宮さんがこんなにお喋りだとは知る由もなかっただろう。


『仁科くん、さぷれ、好きなの?』


『うん。声推しなんだ。先に姉ちゃんがドはまりして、マンションの部屋に防音室作ってピアノやギター持ち込んで朝から晩まで弾いたり歌ってたから俺も試しに聞いてみたら衝撃的でさ。通学途中のバスから降りるの忘れたくらいだよ。特に「アイロン」と「いちごっこ」が好きだな。いまの「ハトの唄」もいいけど』


『ありがと。良かったら行こうか?』



(ん?)


 あまりに早いレスポンスだったのでスルーしそうになる。



(「ありがと」ってどういう意味だ? 歌を褒められたことに対するお礼だよな? 行くって? どこへ?)



 返事に悩んでいると更なる着信おいうちがきた。



『仁科くんのお家に行きたい』




「はぁっ!?」


 思わず声が出てしまう。


『助けてくれた恩返しがしたいの。防音室があるなら本気で歌ってもいいよね、さぷれ』


 いたずらっ子のように微笑む湖宮さん。

 俺は混乱しながらMINEスタンプを押した。




『ちょっと何言ってるか分からないんですけど(。´・ω・)?』

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