第3話 歩道橋の上の出会い

「――しわしわの心も、アイロンみたいにぴしっと伸ばせたらいいのに。ぴっと背筋を伸ばして、明日、きみに逢えたらいいのに。しわだらけの笑顔で」


 ”さぷれ”の代表曲「アイロン」。心の歪みをシワに例えてアイロンのように整えることで元気を出そう!と鼓舞する曲だ。



(だれだ? 誰が歌ってる?)



 フェンスに寄りかかる人影が見えた。


 強い風になびく長い髪。

 ちょっとつま先立ちになって、大きな胸をそらし、夕陽に向かって歌い上げるような姿勢。


(湖宮さんだ)


 驚いた。声も聞いたことがないのに、こんなに歌が上手いなんて意外過ぎる。

 口パクでスマホから音を流している可能性もあったけど、胸郭の動きを見ていると間違いなく生声だ。


(しかし、なんであんなところに?)


 フェンスが一部破れているから近づかないようにと張り紙があった。

 そのフェンスにもたれかかって何をしようというのか。


(まさか、だよな)


 眼下には猛スピードで行き交う車。

 否が応でも悪い想像が搔き立てられてしまう。


 「アイロン」がやんだ。

 遠目にごしごしと目をこすっているのが見える。


 思いつめた様子でうつむいていたかと思えば、覚悟を決めたように顔を上げて一歩前へ。数歩先はあの世だ。



(――――ダメだ!)



 買い物袋を放り出して走った。



「ダメだ湖宮さん!」


「……?」


 タックルし、もろとも横倒しになる。とっさに腕を伸ばして頭部をかばった。


「死んだらダメだ! 思いとどまってくれ!」


 俺の下でびっくりしたように目を見開いている湖宮さん。瞳にはたくさんの涙があふれている。


「今日のことはごめん! あのとき高阪たちになにか言えたら良かったんだけど弱虫だから見て見ぬふりして……本当にごめん! でも死んだらダメだ。なにもかも終わってしまう。終わらせちゃダメだ。俺みたいな奴だってのうのうと生きているんだから湖宮さんだって生きていればきっといいことあるって! つーか生きるのに理由なんていらないんだよ、惰性でいいんだよ、生きる理由を目的や目標にしちゃいけない、食って寝て授業てきとうに受けてスマホ眺めていれば一日24時間はなんとなく過ぎていくんだよ。そんなもんでいいんだよ」



 そこでハッと我に返った。



(俺はなんだって湖宮さんに説教してるんだ? しかも……)


 冷たいコンクリートの上に押し倒してまで。


(やっ……ちまっ……た)


 急に冷静さを取り戻す。


 絶対ヘンなやつだと思われたよな。引くよな。ほとんど面識まない同級生に肩を抱かれて「生きろ!」と熱弁されたんだぞ。引くよな……(二度目)。


 いまさら現実に帰った俺は、おそるおそる、湖宮さんの顔色を窺った。


「……」


 どこかムッとしたような顔。

 俺の肩を強く突いてくる。どいて、と言わんばかりに。


「すみませんでしたぁっ!」


 慌てて飛びずさる。湖宮さんは肘を使って自ら起き上がり、制服についた汚れを払った。俺の方をちらりとも見ようとしない。


「信じてもらえないと思うけど悪意はなくて。湖宮さんが飛び降りようとしていたから考えるより先に体が動いてて……」


「ん」


 目の前に突きつけられたスマホには夕焼け空が映っていた。ここから撮影したとおぼしき写真で、昨日の日付だ。スイスイとスワイプして前日、さらに前日と同じアングルの写真を見せてくれる。


(写真を撮ろうとした所を俺が勘違いして……!?)


 せめてもの言い訳だった「人助け」という単語が音を立てて崩れていく。


 マズいぞ、すさまじい勢いでやらかした。

 どうしよう。穴があったら入りたい。で、そのまま埋めてほしい。


 ほとんど知らない同級生にいきなり押し倒されたんだ、ビンタされてもおかしくない。


(終わった……)


 死刑宣告を待つ犯罪者の気分だ。

 もう湖宮さんの顔を見られない。


「ん!」


 正座している俺の鼻先に手が差し伸べられた。


「……口止め料寄こせってこと? ごめん、買い物したばっかりで五百円しかない」


「んん!」


 強く首を振る。

 口止めもなにも湖宮さんは喋らない人だった。


 じゃあこの手が意図するものは?


「んん!」


 早く取れ、と言わんばかりに突き出してくる。

 ためらいながら手を取るとぐっと腕を引いて立ち上がらせてくれた。俺の制服の汚れをパパッと払うと、目の前でぱくぱくと口を動かす。


(あ・り・が・と……ありがと?)


 大げさに動かしてくれたお陰でかろうじて読み取れた。


「……俺のこと怒ってないの?」


 問いかけには答えず、くるりと踵を返すと歩道橋を駆け下りて行った。そのまま建物の影に入って見えなくなってしまう。


 残ったのは手のひらのぬくもりだけ。


(お礼を言われた、ってことは怒ってないってことだよな。少なくとも嫌われてはいない。……良かった、まじ安心した)


 九死に一生。社会的な死からかろうじて生還した気分だ。

 おおきな安心感とともに体中のあちこちに痛みが走った。


「ああくそ、慣れないことしたから身体が悲鳴上げてやがる」


 かるくストレッチすると痛みはやわらいできた。

 湖宮さんが見ていた歩道橋から臨む夕焼けは涙が出るほど綺麗だ。両脇に並んだビルに反射して万華鏡のように輝いている。


(っていうか湖宮さんの声初めて聞いたかも。国語の授業で朗読あてられても首を振って拒否したもんな。きれいな歌声だったな)


 声もだけど、あんなに至近距離で顔を見たのもかもしれない。

 不可抗力で抱いた肩の細さを思い出すと胸が震える。


「ん、なんだこれ」


 足元に手のひらサイズのメモ帳が落ちている。

 落としものなら届けてやろう――。何気なく拾い上げると、開かれたままのページが偶然視界に入った。



「…………なんだよ、これ」



 目を疑うような言葉が綴られていた。

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