第2話 ぼっちの俺と湖宮さん

 プロからアマチュアまで世界中のありとあらゆる「音楽」が集まるサイト、Music-on、略してM-on(エムオン)。日本ではM音と表記される。


 M音には日夜、世界中の様々な楽曲が投稿される。

 プロ歌手の配信曲からボカロ、オーケストラ、ピアノの発表会、少数民族の狩りの歌、赤ん坊の寝言、野鳥の囀り、一世一代のプロポーズソングまで。


 それらは試聴数・ダウンロード数・鼻歌数によってリアルタイムでランキングに反映されていく。


 ランキングTOP500を占めるのは名の知れた人気アーティストたちの楽曲だ。音楽を生業としているプロたちが時間と労力と莫大な費用をかけて生み出した一曲は、多くの人々の心を掴む。

 だがごく稀に、素人が気まぐれに口ずんだ鼻歌がランクインすることがある。


 数多の星が輝くランキングに突如現れ、彗星のごとく輝きを放つ無名アーティストは「神」あるいは「歌姫ディーヴァ」と称される。

 



   ※   ※   ※




「……うす」


 俺はいつもそうしているように気配を消して一年三組の教室に入った。当然だれにも気づかれず、だれとも目を合わせないまま自分の席に腰を下ろす。


 二学期が始まってから数日。

 9月ともなれば、クラス内の人間関係はほぼ固定されてくる。


 モブ未満の空気。それがこのクラスにおける俺の位置づけだ。

 逆にそれがいい。変に干渉しないのは居心地がいい。


 週明けの教室はとても静かだ。

 土日の空気が抜けきらずにボケッとしている人間が多い。


 そんな中でも教壇近くの一団は賑やかだ。


「マジ? ゆーとM音にチャンネル開設したん?」

「もう登録者数千人突破してんじゃん! すっご! 早くない?」


 ここ半年ほど、M音に投稿用チャンネルを開設するのがブームになっていた。


 話題の中心にいるのはクラス内のカースト上位、年中モテ期の高阪こうさかだ。中学時代はピッチャーでガッチリした体つきに180を超える高身長、しかもイケメンときたら放っておかれるはずがない。


「おっ、そこにいるのは仁科くんじゃーん。おっはよー、来てたの気づかなかったぜ、声かけてくれよ同中なんだしぃ」


 馴れ馴れしく肩を抱いてくる。

 水と油。俺と高阪が交わる要素はひとつもないはずなのに、どういうわけかウザ絡みしてくる。


「聞いてくれよ仁科くん、オレさぁすっげー厳しい審査を経てM音にチャンネル開設したんだ。いやぁ大変だったわ~まじ金かかるし維持すんのも大変で。でさ、クラスメートのよしみで仁科くんもチャンネル登録よろしく頼むよ~。できれば家族とか友だちにもお勧めしてくれると嬉しいなぁ~、あ、でも仁科くんぼっちだから友だちいなかったっけ、悪い悪い~。……あとで確認しとくから無視したら許さねぇぞ仁科」


 ドスのきいた声で威圧してから「んじゃ、よろしく~」と爽やかな笑顔で去っていく。


(ネコかぶるならもっとうまくやれ。周りに聞こえてんぞ)


 こいつにとって俺は対等な立場のクラスメイトではなく、使えるときだけ使って捨てるポケットティッシュのような存在なのだろう。


 空気でいるためには長いものに巻かれることも大事だ。

 面倒くさいけど波風立てないために後でフォローしておくか。


(えーと、高阪悠斗……チャンネル……。へぇほんとに1000人超えてる、半分くらいサクラっぽいけど)


 スマホで検索していると教室内が急に静かになった。

 あんなにうるさかった高阪たちが口を閉ざして見つめているのは教室に現れた美少女、湖宮さんだ。


 高身長でスタイルが良く、モデルのように手足が長く、とても同じ制服を着ているとは思えない。顔つきは大人びていて何をするでもなく視線を引き寄せる。彼女がいるだけで空気がガラリと変わるのだ。


「湖宮さん、おはよう」


 さっきまでふざけた喋り方をしていた高阪が顔色を窺いながら近づく。

 自席で教科書を整理していた湖宮さんはちらっと視線を向けただけだ。


「オレ、M音に自分のチャンネル開設して歌ってみた動画あげてるんだけど、よければ湖宮さんも出てくれないかな」


 なるほど。

 湖宮さんほどの美少女がちらっとでも映れば「あの子はだれだ!?」って人気に火がつくかもしれない。チャンネル登録者はうなぎのぼりだ。考えたな高阪。


「なんも喋らなくていいから、ちらっと映るだけでも! 頼む!」


 両手を合わせて必死に頼み込む高阪。

 クラス内が固唾をのんで見守る中、湖宮さんは無言のまま首を振った。答えはNOだ。


「ちっ、なんだよコミュ症が。もっと申し訳なさそうにしろよ」


 悔しそうに舌打ちしてパッと離れた。


 自分から頼んでおいて、それはないだろ。

 さすがにイラっとしたので腰を浮かせた。


「おい高阪……!」


「やってらんねぇよ、時間の無駄」


 高阪は取り巻きたちの中にさっさと逃げ込んでしまう。


「ほんと湖宮さん性格悪いよね」

「ツンと澄ましてて下々の者とは話しませーんって感じ」

「じつは頭悪すぎて日本語分かんないんじゃないの」


 ものすごい手のひら返しだ。

 群れないとイキれないなんてちっせぇやつ。


 一方の湖宮さんは完全無視。イヤホンを耳にあてて音楽を聴いている。


 入学当初は「美少女」と持て囃された湖宮さんだったが、どういうわけか、だれとも口をきかず、目線を合わせず、話をしない方針を貫いていた。

 当然友だちもできず次第にクラス内で孤立していき、いつしか「コミュ症」と揶揄されるようになってしまった。同じぼっちでも、俺と違って存在感あるからなぁ。


「あ、そういえばぁ~」


 取り巻きの一人が聞こえよがしに喋りはじめた。


「聞いた話なんだけどぉ、湖宮さんの母親って小さいころに家出て行ったらしいよ。ひとりで育ててた父親も去年事故で――」


 ガタン、とイスを鳴らして立ち上がったのは湖宮さんだ。

 クラスメート達の視線が集まる中、速足で教室を飛び出していく。ほんの一瞬、目元を拭う仕草が見えた。


(泣いてる……?)


 追いかけて声をかけてやりたかったけど、掛ける言葉が浮かんでこない。そもそも同級生以上でも以下でもない。なにもできない。


 俺は何事もなかったように席に張りついたまま授業の始まりを待つしかなかった。

 事情を知らない担任がやってきて出欠をとるが、湖宮さんは戻ってこなかった。


「先生、湖宮さんはサボりでーす」


 悪びれた様子もなく笑いあっている高阪たち。

 見て見ぬ振りした俺はきっと同罪だ。



   ※



「あーだるい、姉ちゃんほんと人使い荒いよなぁ」


 放課後。


 姉ちゃんに頼まれた買い物をして帰宅するときだった。

 腕に食い込む牛乳パック二本分のビニール袋がしんどくて歩道橋の階段をだらだらとのぼっていると不意に、人の声が聞こえた。


 行き交う車のエンジン音に交じることなくメロディーが響いてくる。


(歌ってる?……これ”さぷれ”の代表曲「アイロン」だ! まじか!)


 我ながら耳はいい方だ。一気にテンションが跳ね上がって階段をのぼる足が速くなった。



 説明しよう。

 ”さぷれ”は、M音に「歌ってみた」動画を投稿している歌手アーティストで、俺の声推しだ。



 ――『中学生です。下手ですが聞いてください。』



 素っ気ない自己紹介と空白だらけのプロフィール欄。

 しかし空や海などの日常風景が映るだけのシンプルな動画とは対照的に流れてくる歌声は異次元だった。


 通学途中のバスの中で初めて「アイロン」を耳にしたときは衝撃を飛び越えて放心してしまった。


 圧倒的な声量、音程の正確さ、抑揚、高音から低音までの滑らかな移行……サビの決めて欲しいところでパキッと決めてくれる爽快感。一度聴いたら病みつきになる天性の歌声。


 同じ人間、しかも同じ中学生が、どうやったらこんな声が出るのか首を傾げたくなるくらいだった。バスを降りるのを忘れて終点まで行ってしまったほどだ。



 「アイロン」は瞬くにヒットチャートを駆け上がり、並居る名曲を押さえてトップに躍り出た。


 歌姫ディーヴァの誕生だ!

 M音は歓喜に沸いた。


 しかしそれはほんの一瞬のこと。

 これから!という時にさぷれは突然活動を停止した。


 理由は不明。

 定期的に投稿されていた曲の配信が止まり、チャンネルは沈黙。同時期に別の歌姫が登場したこともあって、一時期100万人を突破していたチャンネル登録者はどんどん剥がれていった。


 ここ一年ほど新曲は出ていない。

 チャンネルは沈黙したまま目立って活動している様子もない。


 だが俺は推しをやめない。

 ”さぷれ”は俺の灰色の中学生活に差し込んだ光だ。どれだけ救われたか。


 これは俺のエゴかもしれないけど、このまま終わるなんて勿体ない。



(曲のテンポがあがった。これ、だれが歌っているんだろう?)



 先ほどまでのダルさなんてどっかいって、一気に階段を駆け上がった。

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