第20話 声、響かせて

 目的の場所は海からほど近い市役所の一角にある。

 ガラス戸を押して中に入ると湖宮さんがぱちくりと目を瞬かせた。


「ここ、は?」


 教室二つ分くらいの広大なスペースに木造の机やイスが並んでいる。自動販売機とトイレがあるだけの簡素な休憩所で、昼をだいぶ過ぎた今の時分は空席が目立つ。


「元々はバスの待合所。廃線になってからは市が管理するコミュニティセンターになってて、たまにミニコンサートやイベントをやってる。湖宮さん、こっちだよ、ついてきて」


 手前の席でたむろしていた学生たちの間を抜けて奥へ進むと、ぽろんぽろんとピアノの音が聞こえてきた。


 最奥にある一段高いスペースは他の無機質なコンクリートと違って、床が飴色に輝いている。きれいに磨かれた年季もののグランドピアノが圧倒的な存在感を放っていた。


(お、先客だ)


 背伸びして鍵盤を叩いているのは浴衣姿の女の子で、俺たちに気づくと無表情のままパッと走り去った。


「使っていいのか? まだ制限時間あるだろ?」


 奥の方に走り去った女の子はウンと首を縦に振る。

 一緒にいた母親らしき女性も「気にしないでください」と笑っていた。


 ではお言葉に甘えて使わせてもらうことにしよう。


「これ市内に住んでた資産家が寄付したピアノなんだって。ちゃんと調律してあるし音色もすごくいいんだぜ」


 誰でも自由に弾いていい、いわゆるストリートピアノだ。

 ただし「管理者の許可がない撮影・録音は禁止」と立て看板がある。つまり顔バレを気にする必要がないのだ。


「一組あたり30分以内って時間制限があるけど、それ以外は結構自由度が高いんだ。弾き語りや歌唱も可能。昼寝している人がいたらさすがに気が引けるけど、いまは大丈夫そうだな」


 ピアノの屋根を半分ほど開けて棒で支え、白鍵を叩いて音の響きを確認する。

 客が数人ちらっと視線を向けてきたが、すぐに興味を失ってスマホに目線を落とした。


 湖宮さんは周囲の様子を窺いながら囁きかけてくる。


「約束のピアノ、ここで弾いてくれるの? 嬉しいけど、人、いるのに」


「いーのいーの。てきとうに弾くから」


 ピアノ椅子に浅く腰かけて白と黒の鍵盤に手を添える。



(よし、やるか。)



 まずは定番中の定番「猫ふんじゃった」を軽いテンポで流す。


 すぐにクスクスと笑い声が聞こえてきた。入口にいた学生たちだ。「格好つけてんのにフツー」「あたしのか上手いかも」と笑いあっている。まぁ指ならしだから。


「仁科くん……」


 不安そうな湖宮さん。

 俺は「猫ふんじゃった」から「きらきら星」につなげてこう告げた。


「俺考えてたんだけど、”さぷれ”として活動再開するなら今までみたいに待っているだけじゃダメだと思うんだ。一時期でも歌姫になったのはもちろん湖宮さんの実力だけど、いい歌、いい曲、いいメロディーを作ればみんな聞いてくれるなんて幻想だ。どんどんアピールしていくべきだと思う。失敗して、バカにされて、笑い者にされても、ここにいるぞって花火を上げないと気付いてくれないよ」


「あ……」


「だからここで、歌って」


 「きらきら星」からの「きらきら星変奏曲」――そして低音が印象的なイントロへ突入。力強いスタッカートで加速する。


 失笑モードだった空気ががらりと変わった。


「え、ちょ……え?」

「ふつーに上手い。てかこの曲」

「音々の『KOIBUMI』じゃん、ちょー好きなヤツ!」



(そうさ、まずはメジャーな曲で客の心を掴む)



 ちらっと湖宮さんを見ると胸の前で指を組み、きつく唇を噛んでいる。

 まだ決意が固まらないって顔だ。


 イントロからAメロに移っても歌声が聞こえてこない。


(やっぱりムチャぶりだったか)


 聴衆は10人程度だけどカラオケの時とは違って知らない人ばかりだ。

 そんなところでいきなり「歌え!」と強制されて戸惑うのは当然のこと。


(ごめんな湖宮さん)


 演奏を変更。

 歌がある前提の伴奏から、右手で主旋律を奏でるアレンジへと切り替えた。

 このまま伴奏を続けると、歌がないこと不審を思った人たちが同行者の湖宮さんに注目してしまう。それだけは避けたかった。


 元気なAメロから物悲しいBメロへ移行。


 気がつくとピアノの周りにたくさんの人が集まっていた。俺の位置からだと頭で埋め尽くされて奥が見えないくらいだ。


「……ふぅ」


 湖宮さんが小さく息を吐いた。


(お?)


 顔を見てびっくり。満面の笑みを浮かべているではないか。

 背筋を伸ばして、くっと顎を上げる。脱力して体が開いていく。


(いく気だ)


 サビから合流してくる気だ。


(じゃあ俺も本気だすか)


 ジヤララララン!! グリッサンドで盛り上げる。



「――Oh! 眠いよだるいよ学校も仕事もサボっちゃおう、このまま二人でどっかいこう」



 歌声ソプラノが響いた瞬間、その場にいた全員が同じ動きをした。

 一斉に湖宮さんを見たのだ。面白いくらい同時に。


「――ヤなこと忘れて眠っちゃおう。昼も夜も君への言葉であふれてる。でも一番大切なスキが言えないよ♪」


 みんな釘づけになっている。


(よし、聴衆の食いつきは上々! このまま”さぷれ”に移行する)


 間奏から転調して「アイロン」のイントロに切り替えた。



「――まぶしい夕焼けにきみの涙がしたたりおちる。」



 「KOIBUMI」でノリノリだった客たちが怪訝な顔になる。「これなんだっけ」「ちょっと前に流行ってなかった? さぷ……なんだっけ」「美味しそうな名前の歌手」などと言いあっている。


(ひでぇ会話、美味しそうな名前ってサブレのことだろ。名前くらい覚えててくれよ)


 M音で一時「歌姫」になっても、こんなふうに簡単に忘れられてしまう。ここからの再挑戦は簡単じゃない。でも、だからこそやりがいがある。



「――明日またねって送り出したぼくはうまく笑えていたかな」



 切ないメロディーに乗って湖宮さん――さぷれの歌声が響き渡る。

 唯一無二の歌声が聴衆の心を捉えている。



「――しわしわの心も、アイロンみたいにぴしっと伸ばせたらいいのに。ぴっと背筋を伸ばして、明日、きみに逢えたらいいのに。しわだらけの笑顔で」



(よし、次)


 今度は超有名なアニソンに変更した。いままでどこにいたのか、子どもたちが隙間を縫ってひょこっと顔を出す。


 それを見た湖宮さんが大きく右手を挙げた。



「――ニンゲンなんかに負けないぞー! おー!」



 打倒・人間を掲げるアニソンをノリノリで歌っている。子どもたちも口々に口ずさみ、まるで合唱しているようだ。

 うん、湖宮さんは意外とアニソン方向もいけるかもしれない。



(さて、そろそろ制限時間フィナーレだ。ラストの曲は……)


 短調の物悲しいイントロで始まる。



「――ものがたりの続きはまた明日、おやすみ、よいゆめを。いやだよ、ハッピーエンド、めでたしめでたしの続きを知りたい。」


 活動休止前にさぷれがあげた最後の曲だ。タイトルは「さよなら、また来世」。


「――終わりの先の、その先に、天国ってあるのかな」


 湖宮さんが亡くなったお父さんのために作った曲だ。それまで発表していた明るい曲とは打って変わり、悲痛に満ちた曲調。鎮魂歌だ。



「――さ・よなら、さよなら、さよなら、また来世。100年後、この場所で待ち合わせ。こんにちは、はじめまして、またよろしくねって笑い合おう。さよなら、またね、愛してる」



 しずかに曲が終わり、最後の和音が溶けていく。


(おわった……。やりきった)


 湖宮さんと目が合った。

 無言のまま頷き合う。


 立ち上がり、タイミングを合わせて聴衆に頭を下げた。


 ぱちぱち、と控えめに響いていた拍手があっという間に大きな渦になる。10人ほどしかいなかったはずが、いっぱいの人で埋め尽くされている。軽く5、60人はいるだろうか。


 さっき入口にいた学生たちがどどっと前に押しかけて来た。


「なんか分かんないけどすごかったー」

「泣いちゃったんだけど」

「いまのなんて曲ですか!? 絶対ダウンロードするぅ!」


 予想外の反応に戸惑う湖宮さん。

 助けを求めるように俺を見るので、かわりに声を張り上げた。


「はじめまして、M音で活動している"さぷれ”といいます。いま歌ったオリジナル曲は『アイロン』と『さよなら、また来世』って曲です。良かったらダウンロードして聴いてください。お騒がせしてすみません、聴いていただきありがとうございました」


 拍手とともに、何人かがスマホ画面を見ている。早速検索してくれていると思いたい。


「あ、あの!」


 聴衆に圧倒されていた湖宮さんが必死に声を絞り出す。

 俺の方をちらちらと見ながら、


「近いうちに新曲も出す予定なので、えと、よろしくお願いします!!」


 大げさに頭を下げるので苦笑いしつつ俺もそれに倣った。

 万雷の拍手に迎えられる。恥ずかしそうにうつむいていた湖宮さんだけど、俺と目が合うと蕩けるような笑みを浮かべた。

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