第21話 思わぬ反響

「きもち、いい……」


 湖宮さんがまったりしている。

 陶器のような白い肌がピンク色に染まり、いつもよりずっと幼く見える。


 まさかこんな姿が見られるなんて……。


 となりで俺もほぅとため息をついた。


「やっぱりいいよな、足湯って」


 コミュニティセンターから移動して商業施設にやってきた。イベントの一環で、エントランスに足湯用のスペースが用意されていたので早速浸かることにした。


 遠く離れた温泉から実際に運んできた源泉に足先を浸していると、冷えた体が芯からあたたまっていく。


「ちゅかれた、あったまりゅ……」


 うっとりと目を閉じた湖宮さんはそのまま眠ってしまいそうな勢いだ。


「ほんとお疲れ。突然あんなことしてごめんな。……緊張した?」


「……ん」


 あの瞬間を思い出すように瞳を揺らす。


「頭の中まっしろになった。ひどいよ心の準備もさせてくれないんだから」


「ほんとごめん。お詫びになんでもするから」


「なんでも!?(キラリ)」


 素早く反応して顔を上げる。


 しまった。また気軽に「なんでも」なんて言ってしまった。

 先日の屋上でも安易に口走ってデートの流れになったのに。



(そういえば、あのとき湖宮さんなにか言いかけたよな。したい……とか? なにを? したい? 俺と? いやまさかな)



 あらぬ方向へ想像が膨らみそうになるのを引き戻したのは湖宮さんだ。

 肩にそっともたれかかってくる。


「……いま自分でもびっくりしてる。私、人前であんなに歌えるんだって」


「カラオケとはワケが違うよな」


「うん……カラオケの時より楽しかった。どうしよ、病みつきになりそう……」


 ぼそっと呟いた最後の言葉は聞き逃せない。

 緊張してトラウマになるどころか快感物質のドーパミンがドバドバ溢れていたわけだ。さすが歌手アーティストのさぷれ。


「私的には仁科くんの演奏も聞けてすごく幸せで濃密な時間だったよ」


「俺もすげぇ楽しかった」


 ずっと、独りで弾いてきた。

 伴奏も今回が初めてだ。


 今までだれも受け止める相手のいなかった音を湖宮さんが拾い、声を乗せ、その声に俺の音が重なる。


 不思議で、楽しくて、サイコーの気分だった。


 時間制限がなければもっとずっと弾いていたかった。こんな気持ちは初めてだ。


 病みつきになりそうなのは俺の方だ。震える。


「仁科くん? どうしたの?」


「なんでもない。さぷれの宣伝もしたから少しでも注目されるといいよな」


「うん!……ん?」


 ピロンピロン!湖宮さんのスマホが立て続けになる。

 不思議そうに指をスワイプさせていたがパッと目を輝かせてこちらに見せてきた。



『順位が急上昇しています!』



 M音からの自動配信メールだ。

 ランキング順位に大きな変動があると通知が届く。


「どれどれ……おお! さっき歌った『さよなら、また来世』が圏外から900位にランクアップしてる。『アイロン』も700位だって! すげぇよ。聴いてた人たちが早速ダウンロードして、しかも拡散してくれたんだ!」


「うん、うん!!」


「さぷれのチャンネル登録者も増えてる。いい感じだよ!」


 なるほど、この手があったか。


 いきなり新曲を発表しなくても過去の楽曲を今の声でセルフリメイクして注目を集めた上で満を持してラブソングを披露する方法だ。


 ボイトレでパワーアップした湖宮さんなら同じ曲でも前より注目されるに違いない。


「仁科くん嬉しそうだね」


「あたりまえだ。これから忙しくなるぞ、さぷれ」


「む! がんばる! ラブソング作りも!」



(あ……そうだった、肝心の)



 一緒に頑張ろうな!とハイタッチしたいところだが、じつはまだ作曲が進んでない。湖宮さんのこの様子だと作詞は順調なんだろうな。はぁ……。


「たのしみ。るる~♪」


 ぱしゃぱしゃと湯を叩く。

 カラオケでは女の情念渦巻く演歌から元気いっぱいのアニソンまでなんでも歌える彼女だけど、素は案外子どもっぽいのかもしれない。


 人目をはばからずによく鼻歌を口ずさんで――……そういえば。

 

「なぁ、その鼻歌、前から気になってたけどなんの曲?」


「? てきとう、だけど?」


「なんだ既存の曲じゃなくて即興のメロディーか。湖宮さんの声だと鼻歌も特別に聞こえるから不思議だよな……」



 その刹那、全身に雷が走ったような気がした。



「そっか! そうだ! その鼻歌を曲にすればいいんだ!」


「??????」


 びっくりして固まっている。


「ごめん興奮して大声になっちまった。じつはラブソングの作曲なかなか進んでないんだ。どんなメロディーなら湖宮さんの声を最大限に活かせるのかずっと悩んでて……でもいま決めた。湖宮さんの鼻歌をベースにメロディーを作る!」


 ぱちくり。


「私の、鼻歌? でも、テキトウだから、もう一回なんて歌えないよ?」


「問題ない。聴いたの全部憶えてるから」


「ぜんぶ?」


 ぱちくり。


「そ。耳にはちょっと自信があるんだ」


 耳を指し示すと不思議そうに首を傾げていた。

 髪がさらりと揺れて鎖骨にかかる。その瞬間「あ」と思い出した。


「――そうだ、これ。タイミングみて渡そうと思って忘れてた」


 手のひらサイズの紙袋を取り出し、湖宮さんに差し出した。

 中から出てきたのは音符を象った金色のネックレスだ。


「安物だけど気持ちだけでもと思って。誕生日おめでとう、湖宮さん」


「……」


 ネックレスを見つめたまま固まっている。

 急に不安になってきた。


「もしかして気に入らなかった? 俺もどんなのがいいか悩んでて、しびれをきらした姉ちゃんが選んでくれたんだけど」 


 音符といってもト音記号、八分音符、十六分音符など様々あって色やチャームも様々。悩んだ末に八分音符にした。


「ごめん、今なら返品交換できるから違うものに……」


 俺の手を拒むようにぎゅっと抱きしめた。

 きつく瞑った瞳からぽろぽろと涙があふれる。


「ううん、これがいい。仁科くんと彩子さんが決めてくれた、これが一番すき」


「よかった」


 緊張した。

 さっきの演奏よりよっぽど冷や汗かいた。


「ありがと。大事にするね」


「どういたしまして。お気に召したみたいで良かった」


 へらへら笑っている俺とは対照的に湖宮さんは深刻な顔でうつむいている。

 具合でも悪いのかと心配していると、そっ、と手が重なってきた。


「誕生日だから……もうちょっとだけ、ワガママ言ってもいい?」


「いいけど」


 一体なにを言うつもりだろう。

 急にドキドキしてきた。


「この前、言おうと思ってたんだけど、その、二人の時だけ、下の名前で呼びたい。仁科くんのこと」


「名前? なんだ、全然いいよ」


「じゃあ、、、えっと、、、はると――くん」


「呼び捨てでもいいのに」


「そんなことしたら、心臓、もたないから、だめ」


「大げさだな。じゃあ俺は望さんって呼べばいい? ちょっと恥ずかしいけど」


「の、のぞみさん……」


 カァアアア、一気に顔が赤くなる。


「だいじょうぶか、熱、でてない? 望さん」


 額に手を伸ばすとアワアワと口を上下させた。


「へいき! お手洗い! お手洗い行ってくりゅ!!」


「お、おう」


 猛スピードで走り去っていく。

 大丈夫かな。噛んでたけど。



   ※



 湖宮さんがお手洗いに行っている間、作曲用アプリにメロディーを打ち込むことにした。楽譜が読めなくても鍵盤を叩けば音符や楽譜に変換してくれる機能があるので便利だ。


 これまで耳にした鼻歌を一音ずつ落とし込んでいく。


 あっという間にサビの部分ができる。

 試聴して確認。


「うん……悪くはないけど、もっとキーが高くていいかな。1オクターブ」


 微調整を重ねていくと、少しずつメロディーが形になっていく。

 これを湖宮さんが歌うと想像するだけで興奮する。やばい、たのしい。


「これもいいけど、こっちの曲調もいいし、くぅ、悩ましい!」


 調子に乗ってどんどん鍵盤を叩いているとスマホにメッセージが表示された。



『あんた、なにかやらかしたでしょう』



 姉ちゃんだ。


『なにもしてないけど?』


『Hi花のアカウント見てみなさい』


 そう言われて久しぶりにHi花にログインした。


「んげっ!」




『コミュニティセンターにて神演奏に遭遇! Hi花さんに似てますよね?』

『もしかしてご本人ですか?』

『活動再開? 次どこで弾きます? ゼッタイにいきます♥♥♥』




 隠し撮りしたっぽい写真とともに特定のファンたちからメッセージが寄せられている。幸い足元がちょっと映っているだけだから顔は晒されてないようだが。


(あぶなかった。Hi花だってバレたら湖宮さんの邪魔しちゃうもんな)


 Hi花は天才――と言われているが、俺には才能なんてない。

 この世に自分より上手い高校生ピアニストは五万といる。


 そんな自分がプラチナメンバーになったのは本当に偶然。とあるアニメの主題歌をアレンジして弾いた動画を載せたら、海外の有名アーティストの子どもがたまたまその時ハマっていて「cool!」と書き込んだ。それだけだ。偶然に偶然が重なっただけ。実力も才能もない、ただの運だ。


 湖宮さんには実力と才能がある。

 一歩ずつアーティストの階段をのぼる彼女を一番近くで見ていたい。

 できることなら、ずっと。


「……あのっ!」


「うわっ」


 ずぼっと頭からなにかかぶせられた。

 慌てて取り払うと、手の中には見覚えのあるニットキャップが。そう、Hi花として活動するときに愛用していたものと同じメーカーだ。


「やっぱり同じだ……」


 目の前には膝をついてがくがくと震える支倉さんが。

 ヤな予感。


「仁科くん……いいえ仁科様って、あたしの敬愛してやまないストリートピアニストのHi花様ご本人、ですよね……?」

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