第12話 もう帰っちゃうの?

『こんな時間まで付き合わせてごめんなさい』


 申し訳なさそうに頭を下げる湖宮さんに俺の方が恐縮してしまう。あれから二回延長して十九時過ぎに店を出た。


「いや全然、こっちこそ金払ってもらっちゃって……」


『いいの』


 ぶんぶんぶん、と強い抗議の意を示す。


『ずっと私ひとりで歌っていたんだからお金払うのは当然でしょ。M音から広告収入がちょこちょこ入るからだいじょーぶ!』


 ぐっと親指を立てて得意げな顔をする。

 さすが楽曲配信者。カラオケくらいじゃ懐が痛まないくほどの収入があるわけだ。


 太陽が沈んで暗くなった夜道を、駅に向かって歩く。

 できるだけゆっくり。


「カラオケ楽しかったな。湖宮さんの声でいろんな曲聞けて贅沢な時間だったよ。また行きたいな」


『みんなで?』


「高阪たちに付き合わされるのはもう勘弁してほしいよ」


『そっか。……でも私、こうやって大勢で行くのもいいなって思っちゃった』


「え? 絶対に笑ってはいけないカラオケを?」


『それ言わないで。思い出しちゃう……ふぷ』


 体を九の字に曲げて笑いをこらえている。高阪のハミングがよっぽど気にいったようだ(笑)


『はぁ~お腹よじれるかと思った。……あのね、私小さいころから歌が好きだったけど小学校の音楽で力いっぱい歌うとみんなからうるさいって怒られていたの。だからいつも口パクで、発表会もそうしてた。歌うのも喋るのも面倒くさいな~って殻にこもるようになったから、こんなに楽しい時間があるなんて知らなかったの』


 赤信号で立ち止まろうとした俺の前に湖宮さんが先回りしてきた。

 オレンジの街灯の下に満開の笑顔が浮かび上がる。


『カラオケに誘ってくれてありがとう、仁科くん』


 高阪の取り巻きたちに褒められた湖宮さんは満更でもな様子だった。俺以外の人間に歌を聴いてもらった方が自信リハビリにつながるかもしれない。


「どういたしまして。また行こうな、カラオケ。今度は朝からフリータイムで」


『やった!』


 信号が青に変わると子どもみたいに浮かれて走り出した。

 ったく、小学生かよ。


「しょーがねぇな」


 俺もあとを追って走り出した。

 周りからはさぞかし奇異に見えるだろうが、今だけは忘れよう。




「お、電車だ」


 ホームに続く階段を駆け上がるとちょうど電車が滑り込んできた。帰宅ラッシュで混雑するかと思いきや空席が多くてすぐに座れた。


「ついてるな」


『うん』


 電車に乗った途端、先ほどとは打って変わって無言になった。

 不思議と気まずさはなく、必要以上に喋らなくても満たされている気がした。


 ガタン、ゴトン……心地よい揺れに身を任せていると自然と眠気が襲ってくる。


「ん?」


 肩に衝撃を受けて盗み見ると湖宮さんがもたれかかっていた。よほど疲れたんだろう。起こさないようにしながらスマホを眺めていた。


 ずっとこうしていたかったけど、降りる駅がどんどん近づいてくる。

 小さく肩をゆすって声を掛けた。


「湖宮さん、湖宮さん。俺、次の駅で降りるから」


 目蓋を開けた湖宮さんだが、とろん、とぼやけで目の焦点が合わない。


「もうすぐ降りなくちゃいけないんだけど、寝ぼけないでちゃんと帰れるか?」


『……もう帰っちゃうの?』


 なんだその物欲しそうな顔は。


「そっちだって帰らないと叔母さん心配するだろ」


『今日も夜勤。最近忙しいみたい。家に帰ってもだれもいないよ』


 なにかを訴えるような眼差しだ。

 ゆるやかに電車が停まり、扉が開いて出口を示した。

 追い打ちをかけるように袖を引かれた。


『仁科くんのお家でもうちょっとだけ歌いたい。だめかな?』


 ――こうして、二日連続で湖宮さんが我が家に来ることになった。



   ※



(俺って本当に流されやすいよな)


 自己嫌悪しながら駅の改札を出た。隣の湖宮さんは『ワガママ言ってごめんなさい』とメッセージを寄こしたが顔がにやけている。


「いいよ。今日は姉ちゃん遅いらしいから適当に買っていこうぜ」


 開き直って、途中のコンビニで弁当や総菜を買い込んだ。どうせ家に来るなら夕食も一緒に食べてしまえばいいのだ。


「♪~」


 湖宮さんは鼻歌を口ずさみながらツナマヨのおにぎりをカゴに放り込んでいく。いや何個食べるつもりだよ。スタイル抜群なのに案外大食いなんだな。


「なぁあの子、あの髪の長い制服の子、めちゃくちゃ顔面偏差値高くねぇ?」

「ほんとだ、レベル高っ」


 店内の客がひそひそとウワサしている。


 そう、歌が上手いだけじゃなく顔もいいんだよな。横から眺めてもすっきりとした目鼻立ちが見てとれる。どこの芸能人かと二度見するくらいだ。


「でもみろよ、スナック菓子あんなに買い込んでるぞ」

「全部ひとりで食べる気か!?」


(スナック菓子?)


 カゴの中にはあふれんばかりのポテチにチョコレートにアイスクリーム。


「?」


 俺の視線に気づいて減らすかと思いきや、「これ食べる?」と尋ねるようにパッケージを揺らして新たなクッキーを入れた。さすがに多すぎる。


「こらこら、買いすぎだ。ひとつだけにして戻してきなさい」


「……」


「悲しそうな顔をするな。分かった、じゃあ二つまで。これでとうだ」


 指を二本立ててピースサインをすると躊躇いながら手を重ねてきた。薬指をさすりながら指を立てる。こんなのズルい。


「……分かった、三個までにしてくれ」


「ん」


 スキップしながら駆けていく。

 なんだかいいように弄ばれている気がするな。それも悪くないけど。

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