第17話 Hi花(ヒバナ)
「はっ……」
気がつくと夢中で弾いていた。
周りに人だかりができて、最後の和音の余韻が消えると盛大な拍手を送ってくれる。
「おにいちゃんすっげぇ! すっげぇよ!」
駄々をこねていたことがウソみたいに笑顔を浮かべている。泣きそうだった母親も通りすがりの客たちも拍手が止まらない。
(やべ、意識跳んでた)
ちょっとやりすぎたかもしれない。
ゾーンに入ると記憶なくなるんだよな。
「えーっと……じゃあ俺はこれで……!」
逃げるが勝ち。
人垣を押しのけて外に飛び出した。でも湖宮さんが戻るまで外に出るわけにはいかない。どうしよう。
「仁科くんこっちこっち!」
グランドピアノの下から人間の手がぬっと生えている。異様な光景だ。
「こええよ!」
「きみ失礼だね、せっかく秘密基地に呼んであげたのに」
ひょこっと顔を出したのは見覚えのある女の子だった。
ショートボブの黒髪からちらりと覗くピアス。支倉さんだ。
「いいから早くきて。えいっ」
「おわっ!」
ぐっとつま先立ちになって強引に引きずり込んでいく。
グランドピアノの下は人間が隠れるのにちょうどいいスペースだ。
「ふぅ、危ないところだったね!」
一仕事終えたように額をぬぐう支倉さん。
「いや、なにが?」
「一度言ってみたかったのこのセリフ! ぐふふ」
あ、この子ちょっとアレな子だ。深入りしないでおこう。
「支倉さんはどうして楽器店に? しいてはピアノの下に?」
「レッスン終わって現実逃避中なの。ほらこれ、ブルグミュラー」
手提げ袋の中から青い表紙の本を取り出す。
ブルグミュラー、ピアノの初心者向け教本だ。
「中学のころから週に一度通ってて、やっとバイエル卒業したんだよ」
「へぇ~レッスン受けてるのか。えらいな。……でもさっきカラオケに誘われたような気がするけど?」
「あっははー、指こんがらがっちゃってテンパるテンパる。いくら練習しても神みたいにカッコよく弾けなくてホント困っちゃうよね~」
ごまかされた。
さてはサボろうとしていたな。
(でも意外と真面目に受けてるみたいだな)
楽譜の至るところに練習の痕跡がみてとれる。
手書きのイラストやシール、スタンプで「楽しく」「哀しく」「ウキウキ」など自分の気持ちに乗せて演奏しようとしている。
俺には無理だ。
俺はどういうわけか楽譜が読めない。きちっと整列した音符がオタマジャクシにしか見えないのだ。でもある特技のお陰でピアノ演奏ができる。
「それにしてもびっくりしちゃった、仁科くんてピアノ上手なんだね」
ぎくっ。
「見て――た?」
「うん。最初から最後まで。なんなら隠し撮りしてた」
スマホを揺らして満面の笑顔。
「隠し撮りは犯罪だと思いマス」
「固いこと言わないでよ。本当に良かったよ、マジで、お世辞じゃないから。あとでMINEに送ってあげるね、アドレス教えて」
「いらねぇ。下手くそな演奏はそっこーで消してくれ」
絶対音感と
一度聞いた曲ならピアノで再現することができる。さっきのゴメラも参考にした演奏をなぞったものだ。
メロディーさえ覚えれば、伴奏はいくつかのバリエーションが頭に入っているので適当に組み合わせるだけで即興のそれっぽい曲になる。
ちなみにこの特技、ピアノ以外の楽器や歌、声真似もやろうと思えばできるのだが、技術が伴わないと中途半端なものになってしまう。ピアノに関しては小さいころから徹底的に弾かされてきたので体に沁みついているのだ。
「なんでそう自己評価低いの? Hi花(ヒバナ)様みたいに格好良かったのに」
「Hi花……」
「M音のピアノ部門ランカーでプラチナメンバー。あたしの神。もちろん知ってるよね?」
(知ってるもなにも……)
ストリートピアニスト、Hi花。俺の元アカウント名だ。
中学の頃、駅や休憩スペースに設置されていたストリートピアノでテキトウに弾き散らかした動画を片っ端からあげていた。最初は広くて天井が高いホールで音の響きを感じながら弾くのが気持ち良かっただけなのに、いつの間にか人が集まってくるようになり、リクエスト曲の強要やいつも同じ場所を陣取るストーカー紛いが現れるようになってから次第に憂うつになり、引退。
Hi花のアカウントは共同保有していた姉ちゃんに任せていたが、色んな偶然が重なってめちゃくちゃバズり、あっという間にプラチナメンバー入りした。
ニットキャップとマスクで顔を隠して弾いていたから顔バレしてないのがせめてもの救いだけど、いまでも復活を待ち望む熱いメッセージが毎日のように届くらしい。
例の痴漢逮捕もHi花のアカウントから情報発信したことがキッカケだ。
Hi花自身としてではなく、マネージャーと名乗る姉が書いたものだが今でも影響力があることを姉ちゃんは驚いていた。
ピロリン、とスマホが鳴った。
『終わりました。仁科くんどこー?』
湖宮さんだ。もう一時間経ったのか。
「じゃ、俺はそろそろ。盗撮したのは大目に見るけど絶対に消してくれよ。どこかに公開したら訴える。家族やクラスで見せるのもNG」
「冗談にしては言い方が怖いよ?」
「いや、本気。ちなみにここの副店長は俺の身内」
「目がマジ! 仕方ないなぁ」
ぶつぶつ言いながら削除ボタンを押している。よし、これで俺のヘタな演奏が外に出ることはないな。
「仁科くんは湖宮さんを迎えに行くの?」
「え」
なぜ知ってるし。
「さっき隣の部屋でレッスンしてたから見えたんだ。終わる直前だったからほぼ入れ違いになったけど仲良さそうだったじゃん。湖宮さんと付き合ってないってウソてしょ、屋上で密会してたくせに」
「まさかあの時の! なんで逃げたんだよ」
「ん、ごめん。あれはホントに偶然」
パンっと両手を合わせて頭を下げた。
「高阪ってたまにすっごいウザがらみしてくるんだよね、あーだるいわ、外の空気吸いたいわーって屋上に逃げたら見覚えのある二人がいちゃついてるからびっくりして思わず」
「何度も言うけど付き合ってないから。ちょっと訳ありで」
「ふぅん。内緒にしておきたいんだぁ」
「厳密に言うと高阪に知られたくないだけ。絶対に面白おかしく吹聴するだろ」
「分かる~。あいつプライドの権化だからね。ひそかに思いを寄せてる愛しの湖宮ちゃんが仁科くんと付き合っていること知ったらブチ切れるかも」
意外な事実を知った。
高阪は女たらしかと思いきや意外と一途なんだな。
「とりま、仁科くんはフリーなわけだ」
じりじりと体を寄せてくる。
「なんデスか」
「んふふ、こう見ると可愛い顔してるよね仁科くんって」
狭いピアノの下では逃げ場がない。肩にもたれかかり、甘えるように首を傾げる支倉さんからせめて顔を背けるしかない。
「あたしもいまフリーなんだけど、ためしに付き合ってみる?」
「ぃひ……!!??」
声が裏返った。
「支倉さんって俺のこと好きだったのか?」
「え? ぜんぜん?」
「好きでもない相手と付き合う!? ないだろ」
「恋愛なんてフィーリングだよ? 服やメイクと同じでたくさん試して自分に合う相手を見つければいいじゃん。好きの気持ちは後からついてくる。でも誰でもいいってわけじゃないよ、仁科くんとは相性いいと思うんだ。あたしの勘が言ってる。……どう?」
ぷちっ、とシャツのボタンをひとつ外した。
色仕掛けだ。大きな胸が眼前に迫ってくる。
「おおお、お断りしますー!!」
這う這うの体で逃げ出した。
ピアノの下から出て立ち上がった瞬間、目の前のエレベーターが開いて湖宮さんが降りてくる。いつの間にか髪の毛をひとつにまとめていた。
「!」
俺の顔を見てパァっと笑顔になった次の瞬間、表情が凍りついた。
「もう、女の子が勇気だして告ったのにそっこー振るなんてありえないし。ねぇ、湖宮さん?」
にやにやしながら胸元のボタンを留める。見せつけるように。
「!!!???」
俺と支倉さんの顔を交互に見つめ、ぱくぱくと口を上下させる。
湖宮さんがこんなに慌てるなんて珍しい。
「誤解だから。向こうが勝手に色仕掛けしてきただけで俺は無実です」
「ほっ……」
「えー、でもちょっと動揺したんじゃない? もう一押しすればころり、って」
「んんっ!」
支倉さんから俺を守るようにぎゅっと抱きついてきた。
なんだ、この必死な顔。
まるで他の女の子にとられたくないと言わんばかりに。
これじゃあ嫉妬だ。
(え……? もしかして湖宮さんって俺のこと……?)
ラブソングの実験台のはずだ。
さぷれとして華々しく再デビューするための踏み台に恋愛感情なんて。
「ぷぷぷ、仲良くていいね。うらやましい、じゃあとはごゆっくり」
一方的にけしかけて去っていく支倉さん。あれは絶対に楽しんでいる。
「湖宮さん、もう行ったよ。湖宮さん、おーい」
「むぅー」
だめだ、しがみついて離れない。飼い主が大好きすぎる犬か。
「分かった、じゃあ手、手、つなごう。それならいいだろ」
空いている方の手を差し出すとしばらく躊躇ってから自分の手を重ねてきた。
なんだろう。本当なら甘酸っぱくて恥ずかしいはずなのに、機嫌がコロコロ変わる子猫の面倒をみている気分だ。
(でも、ま、いいか)
湖宮さんが相手なら。
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