第9話 屋上で二人きり
「……うす」
今日も今日とて気配を殺して登校する俺。当然だれも気づかず挨拶もない。
「ゆーとやば! だってあのHi花(ヒバナ)でしょ!?」
「プラチナメンバーがいいねするなんて滅多にないよ!」
高阪たちは相変わらずでっかい声で盛り上がっている。
プラチナメンバーというのは、M音のチャンネル開設者の中でも世界有数の登録者を誇る投稿者のことだ。下からノーマル・ブロンズ・シルバー・ゴールド・プラチナとランクが上がっていく。
あの音々ですらシルバーだ。いまはまだ日本国内の人気にとどまっているからで、ゴールド・プラチナに至る分厚い壁を超えるにはいかに世界的な人気を得られるかにかかっている。
因みに”さぷれ”こと湖宮さんは活動休止が響いてブロンズだ。
「オレもしかしてすげー才能があるのかな?」
上機嫌な高阪は俺に構う気はないようだ。
昨日のことを厭味ったらしく言われなくて良かった。
湖宮さんの席は空っぽ。まだ登校していないようだ。
暇を持て余してスマホをいじっていると突然メッセージが入った。
『おはよう。屋上で待ってます』
湖宮さんだ。
(屋上……? 立ち入り禁止じゃなかったっけ?)
賑わう廊下を抜けてひと気のない階段をあがる。
最上段の鉄の扉を押し開けると柔らかな風が吹き込んできた。
手すりにもたれて空を見つめていた湖宮さんがゆっくりと振り返る。嬉しそうに頬を染めていた。
青空を背にしたとびきりの笑顔。
歌声だけじゃなくビジュアルもいい。
「おはよう。こんなところに呼び出してどうしたんだよ」
近づきながら声をかけた。
リハビリするなら文章でやりとりするより声を出した方がいいと思ったからだ。少なくとも俺の方は。
『突然ごめんね。教室でこれ返すのは恥ずかしかったから』
両手で差し出されたのは昨日貸したパーカーだ。丁寧に畳まれている。
『一応洗濯したけどクリーニングに出さなくて良かったの?』
「ぜんぜん。こんな安物のパーカーなんかクリーニング代が勿体ないよ。ありがと。俺もこれ返す」
ポケットからリップクリームを取り出すと両手で大事そうに受け取った。
『ありがとう。昨日の私、テンションおかしくて変なことしちゃったよね。ごめんなさい』
頬へのキスのことだ。
体が熱くなる。
「ぜ、全然気にしてねぇよ。姉ちゃんの方がよっぽどひどかっただろ。こっちこそごめん」
『怒ってないの?』
「もちろんだよ」
『良かった、仁科くんに嫌われたらどうしようかと思ってた』
目が合うとにこっと笑う。
ほんの二日前までは目も合わない同級生だったのに、人生なにがあるか分からないもんだ。
「ここ、屋上、よく来るの?」
『うん。だれも来ないから歌の練習にぴったりなの』
手すりに近づくと登校する生徒たちの姿がよく見える。
なるほど、ここから俺が来るのを見ていたのか。
「る、るる~」
並んで立った湖宮さんの唇からメロディーがあふれる。
さぷれの生歌を特等席で聴ける俺は最高にツイている。
そのときだ。
「やべっ、坂口だ!」
下からの視線を感じて咄嗟に湖宮さんの肩を抱いた。
学年主任の坂口は、規則や法律に忠実なクソ真面目野郎だ。
立ち入り禁止の屋上にいたら進路指導室に呼び出されて説教をくらうかもしれない。そんなのは時間の無駄だ。
姿勢を低くし、息を殺して危機が去るのを待つ。
坂口がどこかの生徒にくどくど言いながら遠ざかっていく。
「そろそろいいかな……」
様子見のため立ち上がろうとした瞬間、手の甲に髪が触れた。
なんと湖宮さんが俺の腕の中にいるではないか。しかもがっちり肩を抱いて。
「ごめん! 俺!」
慌てて体を引こうとすると向こうから手首を掴まれた。
やさしく、やわらかく。
「ぁっ……」
なにか言おうとして唇が上下に開く。
どんなきっかけで言葉が話せるようになるのか分からない。俺は一声も聞き逃すまいと息を詰めた。
しかし吐息が小さく漏れるだけで明確な言葉は出てこなかった。
湖宮さんも諦めたようにスマホを手に取る。
『彩子さんに勧められたんだ。さぷれの活動再開してみたらどうかって』
「姉ちゃんが!?」
お父さんのことで傷心の湖宮さんになんてことを言うんだ。
「厚かましくてごめん、悪気はないと思うんだけど」
湖宮さんは急に真顔になった。
『そうかなぁ、厚かましいのは仁科くんも同じだと思うよ』
「え……」
背筋が冷たくなる。
俺もしかしてめちゃくちゃ嫌悪されてた?
張りつめた空気の中で、ふっと笑い声が漏れた。
『仁科くんの厚かましさがなければ、私は今ここにいないと思う。痴漢被害を苦にしてあの歩道橋から飛び降りているはずだから。』
「飛び、降り……」
それ以上言葉を継げない。
湖宮さんがやさしく頬に触れてくる。
『叔母さんも親戚もみんな不幸な私に優しいよ。無理しなくていい、頑張らなくていい、時間が解決するからって肩をなでられる度にモヤモヤしていた。私の望みは赤ん坊みたいに甘やかされることじゃない。お父さんと作った”さぷれ”を残すこと。たくさんの人に知ってもらうこと。だから無理するし、頑張る』
にっこりと笑って手を放した。
『彩子さんに言われたの。ラブソング作ってみたらどうかって』
「ラブソング!?」
奇遇にも俺も同じことを考えていた。
姉ちゃんと同じ思考だったのは悔しいが、せっかくなら耳に残るような明るいラブソングで注目を浴びるのも良いだろう。
『手伝ってくれないかな』
「手伝う、とは!?」
声が裏返り、まじまじと見つめてしまった。
『私、恋愛経験がないから恋する切なさとか会えない寂しさとかよく分からないんだ。でも昨日駅で別れたあと仁科くんのこと色々考えちゃって、これって恋に近いのかなって思ったの』
いや湖宮さん、本人を目の前にして何を言ってるんだ?――と首をひねりたくなったが、ハッと息を呑んだ。
(湖宮さんはコミュ症で人との関わり方がよく分からないんだった!)
だから普通なら言わないようなことを口走ってしまう。
アーティストとしては致命的かも知れない。
『迷惑かな?』
憂いを帯びた瞳を投げかけてくる。
こんな切なそうに見つめられたら――。
「もちろん俺で良ければ喜んで協力するよ。ははは……で、何すればいい?」
湖宮さんはちょっと悩んだあと、ぽちぽちとスマホを打った。やけにゆっくりだ。そうして届いたメールには、
『まずは恋人みたいなハグしたい』
と書かれている。
(ハグ!? つまり抱きしめ……!?)
湖宮さんは「待て」みたいな姿勢で待機している。あとはオマエ次第だぞって顔で。
(ええい、もうどうにでもなれ!)
両腕を伸ばして湖宮さんの背中に回す。華奢な体つきが際立った。
「……どうかなこんな感じで」
湖宮さんはじっとしている。
ああ睫毛長ぇ、背中ほっそ。
キーンコーンカーンコーン……
予鈴が鳴り響く中、俺はゆっくりと体を引いた。ハグっていうより堅苦しい儀式みたいだ。
「やっぱり俺なんかじゃダメだよな、あはは……」
そこへピロリン!と勢いよくスマホが鳴る。
『すごく、どきどきした』
今ので!?と二度見してしまう。
湖宮さんは俺が触れたところを名残惜しそうに撫でている。
これはなかなか大変なことを引き受けてしまったかもしれない。
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