第7話 何か言いたそうな顔

 脱衣所から陽気な声が響いてくる。


「ささ湖宮さんババっと脱いじゃって。おお、なかなかいいもの持ってるね~。立派立派。はうぁ、肌白いし弾力があってむちむちじゃん。くぅ羨ましい~」


(声でかっ! リビングまで丸聞こえだっ!)


 俺はソファーに寝転がって食後のアイスバーを食べていた。

 さっきからさぷれの「アイロン」が脳内リピート中。エンドレスだ。


「うわぁ、髪の毛さらっさらじゃん。小顔だからどんな髪型でも似合うね~。茶色く染めているのかと思ったら地毛なんだね。やっぱ神……!」


 はしゃぎすぎだバカ姉。


 まったく、一体どうしてこんな事態になったんだ?

 湖宮さんが推しの歌姫ディーヴァのさぷれというだけでも信じられないのに、うちの愚姉と一緒に風呂に入ってるなんて。


 夢でも見てんのかな。

 古典的だが頬をつねってみる。


 …………痛い。まじか。




 気分を紛らわすためにテレビのリモコンに手を伸ばすと歌番組がやっていた。


 『音楽サイトで衝撃のデビュー!弱冠十六歳の歌姫ディーヴァが今夜初登場!』と大げさなテロップが流れ、ステージの奥から目元がぱっちりした女の子が恥ずかしそうに登場する。大人っぽいダークブルーのドレスとは裏腹に顔立ちはまだ幼い。


『では歌っていただきましょう、新曲「KOIBUMI」』


 軽快なリズムに乗って明るく歌いはじめる。


 M音の歌唱部門ランカー、音々ねね

 小学生かと見まごう童顔とは裏腹に、圧巻のパワーボイスでヘビメタやロック、ブルース、演歌、洋楽を得意としている。そのギャップに火がついて瞬く間に人気を博し、現実でも引っ張りだこだ。


 新曲を出せばすぐさまTOP10入り、いまもリアルタイムでM音のランキングが上がっている。


 『KOUBUMI』は女性や若者人気を意識した明るいラブソングだ。

 これで年末の歌番組は決まりだな。



『――おはようおやすみいまなにしてる? メッセージだけじゃ足りないよ! 今すぐ飛んでいって抱きしめてキスしたいよ』



 たしかに上手い。でも”さぷれ”の方が歌唱力は上だ。

 もちろん人によって好みはあるだろうけど、俺はどこか切なさを秘めたさぷれの歌が好きだ。圧巻のパワーブレスから繰り出される振動はまるで魔法みたいに全身を震わせる。


 でも、さぷれはここ一年くらい曲を出してない。楽曲投稿もしていない。活動休止状態だ。なにか理由があるのかな。



『――昼も夜も君への言葉であふれてる。でも一番大切なスキが言えないよ♪』



 テレビの中から聞こえてくるラブソング。

 ぱちん、とウインクされると男なら少なからずドギマギするはずだ。


(やっぱラブソングは強いよな。それに比べるとさぷれは身近なモノをテーマにしているのがネックだよな。こう、パッと気分が上がるような恋愛ソングがあればもっと人気が出ると思うのに)


 代名詞となるラブソングを引っ提げて活動再開したらきっと注目を浴びるに違いない。国内だけじゃなく世界にも羽ばたく逸材だ。


『音々さんで「KOIBUMI」でした。ありがとうございました~』


 スポットライトを浴びて輝く歌姫ディーヴァ

 さぷれとしては顔出ししてない湖宮さんだけど、いつかこういう舞台にも立つのだろうか。ファンとしては嬉しいけど、ちょっと寂しいかもしれない。




「ねぇ陽人~! タオルないの忘れてた。バスタオル持ってきておいて。二枚、あたしと湖宮さんの分ね~」


「ったく人使いが荒いなぁ」


 テレビを消し、残っていたアイスにかじりついた。


 衣装ケースからバスタオルを手にとって脱衣所に向かう。

 二人の邪魔をしないよう静かにガラス戸を開けて中に入る。洗面台の鏡がかすかに曇っており、柑橘系の入浴剤の香りがした。


 狭い脱衣所だ。二人ならさぞ窮屈だったろう。


 姉ちゃんが脱いだものは洗濯機の上に乱雑に積まれていた。これ見よがしに下着っぽいものが置いてあったがバスタオルをかぶせてスルーした。

 一方、足元の洗濯カゴには丁寧に畳まれた制服が置いてある。そちらはできるだけ見ないようにしてバスタオルを重ねた。


 よし、任務完了。

 すみやかに撤収しよう、としたときだ。


「ねぇ湖宮さんって弟とどんな関係なの?」


 わざとか? ってくらいの大声で俺の足を引き留める。


「同級生なんだよね。でもそれだけ? あいつクラスではぼっちなんでしょ? どうしてそんな奴の家に来る気になったの? 一応男だよ? 襲われるかもって思わなかった?」


 人のことをなんだと思ってんだ! と殴り込みたい気持ちだったがさすがに風呂場に突撃するのは無理だ。だからといって回れ右できない自分がいる。


(湖宮さんが俺をどう思っているか……そんなの……)



 言い知れぬ緊張の中、――ぴちゃん、と水が跳ねる音がした。



「恩返しがしたかった? 困っているところを助けてくれたから?――意外ねぇ、あいつ人付き合い好きじゃないんだけど」


 確かに人と深くかかわるのは好きじゃない。

 でも泣いている湖宮さんを放っておけなかったんだ。


「でもそれだけじゃない? 歌を返してくれた?――へぇ、あ、そうなんだ。ふぅん、なるほどね。あいつが聞いたら喜びそう」


 いきなりオフレコになるんじゃねぇよ。気になるじゃないか。


 聞き耳を立てようと近づいたときだ。


「教えてくれてありがとう。じゃ、そろそろ出ようか。のぼせちゃう」


 ざぷんっと湯が揺れ、摺りガラスに肌色のシルエットが映った。

 やべ! と焦っている内に扉が開いてしまう。


「……陽人ここで何やってんの? まさか覗き?」


「ち、ちちちちがう。これは、その、逃げるタイミングを失って……」


 せめてもの配慮で姉ちゃんたちに背中を向けて両手で顔を隠していたが、全身を包み込むような湯気のせいで否応にも近くにいることを感じてしまう。


 だめだ、終わった。

 脱衣所で待ち伏せしているなんて最低だ。絶対湖宮さんに嫌われた。


「陽人のえっち。湖宮さんもなにか言ってやりなよ。……ん、なにそれ? あっはははははは」


 姉ちゃんがこれまで以上に盛大な笑い声を上げた。

 つんつんと頬をつつかれる。


「聞いてよ陽人。湖宮さん超面白いの。恩返しに来たんだから一回だけなら見てもいいよ、だって。どうする? お言葉に甘えちゃう?」


「えええ遠慮しますー!!!」


 なかば転びそうになりながら脱衣所を逃げ出した。



   ※



「あーもう帰っちゃうの? すっごく残念。湖宮さん、絶対にまた来てね! 約束だからね!」


 今生の別れみたいに追いすがる姉ちゃんにもイヤな顔をせず、湖宮さんはこくこくと律儀に頷いている。神対応ってこういうことか。


「じゃあ行くか。湖宮さん忘れ物はない?」


 忘れ物、と聞かれて制服のポケットや頭の上を確認してから頷く。こういうちょっと子供っぽいとこも可愛いな。


 キーチェーンを解いて扉を開けるとひんやりと冷たい空気に包まれた。

 まだ夏の気分でいたけどもうすぐ十月だ。


 エレベーターホールを出て外を歩いていると湖宮さんは寒そうに首を縮こませてから、くしゅんっ、と小さくくしゃみをした。


「風邪引いちゃいけないから、これ」


 羽織っていたパーカーを肩にかけてやる。湖宮さんはびっくりしたように目を白黒させて、一所懸命俺の方を指さしてきた。


「俺が寒い? へーきへーき、筋トレしてるからここ数年風邪も引いてないんだ。湖宮さんは喉やったら大変だろ。ほら行こうぜ。歩いていれば体が温まると思う」


 駅までは徒歩二十分ほど。

 ひと気のない街灯の下を肩を並べて歩く。


 俺はスマホを手に取った。


『今日は本当にありがとう。ごめんな、姉ちゃんウザかっただろ』


 すぐに返信がある。


『ううん、私も楽しかった。仁科くんのお姉さんはたくさんお話ししてくれたけど「なんで喋らないの」って一度も聞いたりしなかった。私が困るの分かってて気を遣ってくれたんだと思う。そういうの、なかなかできない。素敵な人だね』


『サンキュー、姉ちゃんが聞いたら涙流して喜びそうだな。神~!!って』


『なんか想像できちゃった』


 くすくす、と隣で肩が揺れている。



 ――ピロリン、とスマホが鳴る。


『私、小学生のころいじめられてたんだ。そのせいで人と話すのが苦手なコミュ症になっちゃったの。学校にも行かなかった』


 ハッとしてきれいな横顔を見つめた。

 湖宮さんはなおもメッセージを送ってくる。


『でも歌があったから平気だった。お父さんと一緒に曲を作っては毎月のように投稿してたの。でも一年前にお父さんが事故で死んじゃってからは歌うことができなくなった。お医者さんは「こころのやまい」じゃないかって』


『くるしかった。お父さんが褒めてくれた歌が歌えないんだもん。最近やっと、少しずつ、歌えるようになって……。人前で歌うのはまだ不安だったけど、今日はすごく楽しかった。あんな気持ちはひさしぶり』


 スマホから目線を上げた湖宮さんが俺を見ている。

 微笑んでいる。

 

『すき焼き鍋いつぶりだろう。おいしかった』


『お風呂でお姉さんと水かけあったんだよ。楽しかった。大笑いしちゃいそうだった』


『いつかお話しできたらいいな。MINEじゃなくて、面と向かって一緒に笑えたらいいな。幸せだろうなぁ』



 湖宮さん。


 胸の奥がツンと痛くなる。

 なんでか分からないけど感情が込み上げてきた。


「また来いよ、いつでも大歓迎。姉ちゃんも俺もさぷれの――いや、湖宮さんの大ファンなんだから」


 鼻をすすりながらそう告げるのが精いっぱいだった。


『うん。……みんなにまた歌を届けられたらいいなぁ』




「じゃあ、俺はここで。気をつけて帰れよ」


 駅の改札に近づいたとき、ぐっと腕を引かれた。

 何か言いたげな顔で必死に口を動かしている。


「……ぁ……っ」


 唇から漏れる吐息。声にならない声。何か伝えたいのだということは分かった。


「~~~~~」


 悔しそうにきゅっと唇を噛む。

 ピロリンとスマホが鳴った。


『やっぱり声出せなかった。ありがとって言いたかったのに』


『大丈夫だよ、気持ちは伝わってるから』


『それだけじゃ足りないの。ぜんぜんたりない。どうしたら伝わるんだろう』


『やっぱり身振り手振りが一番じゃないか。ジェスチャーとか。俺だってうまく言えないときは行動で示すから』


『行動……』


 くんっと強く腕を引かれた。

 よろめいたところへ頬に生温かいものが触れる。


「へっ!?」


 湖宮さんが手を振って改札を抜けていく。


『今日のお礼です!』


 と遅れてメールが届く。

 状況を整理するのにしばらくかかった。


「…………えっと。いまの、頬に……え!!??」

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