第11話 仏界の怠惰者
「よぉ、若ぇ衆。おいちゃんに何か用かい?」
呑んだくれ特有の間延びした話し方で、男は湊たちに声をかける。
口を開いた瞬間、酒のツンとした臭いが強く広がり、湊も我慢できずに顔を逸らす。
百瀬は「クッサイですねぇ」と、苛立ちを隠さない。ギンはそそくさと、その場を離れた。
「あなたが、仏界の花紋持ちですか?」
百瀬が鼻を覆って尋ねると、男はカラカラと笑って、酒瓶をグイッとあおった。
「そうだって言ったら、驚いちゃう?」
返事に困るようなセリフを吐いて、男はまた、酒に口をつける。
湊は男の掴めない様子に、タジタジするだけだ。が、百瀬は違う。
「だいぶ驚きましたね。仏界なんて、悟った世界の代行者が、こんな飲んだくれなんですから」
誰にも物怖じをしない彼らしい物言いに、男はふはっと笑う。
百瀬は間髪入れずに話を進める。
「私は虎狼院百瀬、神界の花紋持ちです。こっちは、幼馴染の桜坂湊、人界の花紋持ちです。知っての通り、冥界の侵略が始まりました。人界の花紋の開花で、これから激化するでしょう。
東京に来てください。冥界から、日本を守るために」
男は、百瀬の話を聞いて、ゆっくりと体を起こした。そして、大きなゲップをして、「忙しいねぇ」と、ズレた回答をする。
「生死の均衡の崩壊で、てんやわんやの大騒ぎ。それを守れるのが、五界の代行者だけ。おかしいと思わないのかい?
たった五人で、日ノ本大合戦なんておとぎ話。そりゃ桃太郎よか良いけどさ。東京なんて大都市で、ちっぽけな人間が、戦って現世が守れるのかなぁ?」
「…………何が言いたいんです?」
男の煮え切らない答えに、百瀬が苛立ち始める。
男は、酒の瓶を握って、微笑んでいた。
「おいちゃんは、東京には行かないよ」
男のセリフに、百瀬が「馬鹿ですか」と、怒りを含ませた。
死が生の世界を飲み込んだら、この世はきっと恐ろしいことになるだろう。それを守れるのが、湊と百瀬を含め、五人しかいない。
それを知っていて、男は拒否をした。
男は、酒を飲み干すと、目の前に広がる雑草の野原を見渡した。
「おいちゃんは、世界なんてどうだっていい。誰が生きていて、誰が死のうと、関係ないのさ。ただ、ぼうっと、こうやって酒を飲んで過ごしたいんだ」
男はそう言って、新しい酒を出して蓋を開ける。百瀬は酒を奪い取って、敵意をむき出しにする。
「冥界に侵略されたら、その望みも叶いませんよ。そうやって暮らしたいなら、私たちに力を貸してください」
「やなこった。世界の終わりまでのんびり酒を飲んでてやるさ」
「──っ! このゲス野郎!」
百瀬がついに男に掴みかかった。
湊が慌てて止めに入るが、百瀬の力は、湊をはるかに凌ぐ。湊が百瀬の脇に腕を差して、全力で抑えても、百瀬の障害にならない。
「止まれ、モモちゃん!」
湊がそう叫んだ。百瀬は言う通り、男の胸ぐらを掴んだまま止まる。
男はそれを見て、「へぇ」と意味深に呟いた。
百瀬は息を荒くしつつも、湊の言うことをきちんと聞いていた。
ブルブルと震える拳が、男の胸ぐらから離れない。
「モモちゃん、手を離せよ」
湊がまた、百瀬に指示を出す。百瀬はやはり従った。
男はあごひげを撫でて、「フゥン」と感心する。
「湊くんだったっけ? 百瀬くんを上手に手なずけてるんだね」
「手なずけてるわけじゃ……。昔から、俺の言うことは聞きやすいってだけで」
「ほぉ~。じゃあ、百瀬くんは湊くんの忠実なんだねぇ」
男がそう言うと、百瀬は無言で男の顔を殴った。
鼻をまっすぐに貫いて、男は真後ろに倒れる。鼻血を出して気絶する男に、百瀬は鼻を鳴らした。
「帰りましょう。とんだ無駄足だ」
「そんなことは……。説得出来るかもしれないだろ」
「するだけ無駄です。冥府の使い魔に殺されるでも、病気でも寿命でも、なんでもいいから死ねばいい」
「ひどいこと言うな! 死んでいい命なんかないだろ!」
「……ミナちゃんは、優しいですね。私も、そうだったら良かったのに」
百瀬は、縁側に腰掛けて、帰りの新幹線を調べる。湊は、気絶した男をゆすって、安否の確認をする。
男は起き上がると、ポリポリと頭をかいて、近くの酒に手を伸ばした。鼻以外に怪我は無いらしい。
「いいパンチだったねぇ」
男はヘラヘラと笑っていた。
酒を飲んでいると、体の感覚が鈍くなるのか、痛みもさほど無いように見える。
骨折していないかの心配はあるが、今のところ無事なようだ。
ふと、湊が百瀬の方を見ると、新幹線の時刻表を調べていた百瀬の表情が、段々と険しくなっていく。
ギンと相談しながら、指を忙しなく動かして、頭を抱えている。
「どうしたんだろ」
「うはは、きっと今日の新幹線のチケットが取れないんだよ」
男の言う通り、百瀬はため息をついてスマホをしまった。
物凄く不満そうに、百瀬は湊に相談する。
「今日、明日の新幹線のチケットが取れません。多分、明日の夜にコンサートがあるので、それで埋まっているのかと」
「じゃあ、二泊する必要があるな。荷物はあるから問題ないとして、この辺りでホテルとか、とらないと」
「それも調べたんですが、やっぱり埋まってるんですよね。近隣のホテルが全部」
「どうしようか」
帰るのは明後日、泊まれる宿は無い。
野宿は避けたいが、この状況では仕方ないか?
湊が悩んでいると、男がにんまりと笑って酒瓶を掲げた。
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