第5話 日常が壊れる

 午後三時。学校が終わった小学生で駄菓子屋は賑わう。

 小さな手に抱え切れるくらいの駄菓子を持って、お小遣いの計算をする。その様子は、かつての自分を重ねて、微笑ましくなる。


「おっちゃん、これいくら?」

「60円。『お兄さん』って言えたら、値引きしてやろう」

「じゃあこれ買う! おっちゃん、全部でいくら?」

「ぼったくるぞ。320円な」


 湊はまだ二十五歳だ。でも、子供にとっては大人で、『自分よりもジジイ』なのだ。湊はため息をついて、定価で駄菓子を売る。

 レジの下からポリ袋を出して、駄菓子を詰めてやると、子供はそれを持って、友達の家に向かったり、公園に走ったりとそれぞれの目的地へと向かう。

 その様子を見ながら、近所のおばあちゃんと世間話をする。


「子供っていいわねぇ。いつ見ても元気で」

「そうですね。俺達には無い活力っていうか、体力があるし」

「そうねぇ。特に今、物騒な世になったじゃない? 冥界の侵略が、ねぇ」

「そうですね」


 相槌を打って、湊は外の方を見る。

 買った駄菓子を見せあって、分け合う子供たちは世界の事情なんでこれっぽっちも知らないだろう。

 一方で中学生や高校生、誰もがお守りをカバンにつけている。沢山つけている子もいれば、一つだけ身につけていう子もいる。ちょっと特殊な方でいけば、『自分が絶対花紋を持つ』と信じている子もいる。それは大人も変わらないが。

 どちらにせよ、冥界の侵略という|ト《・は、ある一定の年齢で捉え方が変わる。


「いいんじゃないですか。怯えてどこにも行けないよりも。子供って、遊び回ってこそ子供でしょう。お守りをちゃんと持ってたら、問題は無いですし」

「そうね。あの、ちょっと上げてもらえるかしら? 辰次たつじさんに、お線香あげたくて」


 辰次というのは、湊の祖父だ。このおばあちゃんは、祖父の古い知り合いだったらしい。葬式にも、顔を出していた。

 おばあちゃんを家に上げて、仏間に案内する。奥まった所のこじんまりとした小さな部屋には、似つかわしくないほど豪華な仏壇が収まっていた。その仏壇に笑顔の祖父の写真が座っていて、その顔が、『まだ生きているのでは』と、心のどこかで思わせる。



「もう、三年も経つのかしら」

「そうですね。三年……あっという間でした」



 葬式が終わったあとから、湊はこの駄菓子屋を継いだ。祖父が湊が家や仕事に困らないように、いろいろと手続きをしていたらしい。

 おかげで、大学を中退しても、生活には困らなかった。

 ただ、祖父がこの店ひとつで生活していたようにはいかず、湊は駄菓子屋以外で駄菓子の販売経路の確保をして、生活を何とかしていた。


 もやしばかりを食べていた時期もあったが、百瀬の協力もあり、今は裕福とは言えないがそれなりの生活を送っていた。


「ひとりで大変ね」


 おばあちゃんはそう言ったが、慣れてしまえば何も感じない。


「でも、辰次さんも誇りに思っていると思うわ。こんなに立派な孫がいるんだもの」


 ……立派といえるだろうか。成り行きで駄菓子屋を継いだ孫が。


 穏やかな祖父は、何も言わなかった。

 それが彼の優しさで、厳しさだった。

 何をしても、一緒に喜んでくれることも、悲しんでくれることも無かった。それが辛くて、寮がある大学に逃げるように入学した。三年も帰らなかったのに。連絡もしなかったのに。

 死んだ連絡だけが来て、駄菓子屋を託されて。あの人の何も言わない思いやりが重く包み込む。それが余計に罪悪感を引き出して、湊の首を絞めた。


「…………そうだといいですね」


 ひり出した言葉さえ、水中のあぶくのようで苦しい。

 自分が息をするための理由も、権利も、祖父を蔑ろにしたことで、捨ててしまったのではないか。そんな気がした。



「うわぁぁん!」



 表の方で子供の泣き声がした。

 何が起きたのか。また不良が絡んだのか?

 やめて欲しい。百瀬が怒りながら走ってくる。そうしたら子供たちが蜘蛛の子を散らすように逃げて、その日の売上がガタンと落ちる。


「喧嘩か? いい加減にしろよ。狼神社の若い方呼ぶぞ」


 ちょっと脅して店先に顔出すと、子供たちが黒い霧のようなものに囲まれていた。

 霧の中から、骸骨が見えて、赤い眼光が飢えたように光っている。



「『冥府の使い魔』!?」



 冥府の使い魔は、子供の首に手を伸ばしていた。歪で不気味な奴らに、子供たちはすっかり怯えて動けないでいる。

 湊は店先のハサミを持って、それで使い魔の手を払う。湊は腕を広げて子供たちを庇うように立った。


「店に入れ! 札を貼ってあるから、全員入ったら戸を閉めろ!」

「おっちゃんはどうすんの!?」

はお守り持ってるから大丈夫だ!」


 子供たちは湊に言われたように、駄菓子屋に逃げ込んだ。

 きちんと戸を閉めて、鍵も掛けたようだ。家の中にはさっきまで話していたおばあちゃんもいる。大人が居ない不安は無い。

 だが、どうやって使い魔を遠ざけたものか。身を守る手段があっても、奴らを追い払う手段がない。


(やはり、花紋持ちじゃないと)


 お守りを犠牲に逃げ切るしかない。

 湊がポケットのお守りに手を伸ばした。その時──




「ねぇ、開けてよぉ!」




 女の子が駄菓子屋の戸を叩いていた。泣きべそをかいて、手が赤くなるくらい。


 ──逃げ遅れたのか!


 駄菓子屋の中の方も、鍵を開けようとしているが、いかんせん古い建物だから、立て付けが悪い。開けるのに苦戦していた。


 それを見つけた使い魔は、湊から標的を変えた。

 女の子の方へと一斉に進み始める。


「や、やだ、やだぁぁぁぁ!」


 女の子の悲鳴が悲痛に響いて、鼓膜の奥を震わせた。

 女の子を掴んだ手が、ギチギチと強く締め付けていく。痛がる女の子が、泣きながら叫んでいる。

 ようやく駄菓子屋の戸が開いた。けれど、今開いたら避難した子供たちが引きずり出されるかもしれない。



「やめろ!」



 湊はお守りを使い魔の手に押し付けた。お守りが眩く光ると、雷を放って使い魔に攻撃する。


『ギィッ!?』


 人の声とも言えない音を喉から出して、使い魔がひるんだ。その隙に、湊は女の子を駄菓子屋に押し込んだ。


「開けるなよ! 絶対に開けるなよ! 助けが来るまで、そこから出ちゃダメだ!」


 湊は強い口調で子供たちに念を押した。声も出ない子供たちは一生懸命に首を縦に振って、鍵をかけた。

 湊はハサミを握り直して、使い魔に向き合う。




「──────えっ」




 気持ちを引きしめて、前を向いた瞬間。使い魔の腕が、胸を貫通してた。

 直で内蔵をまさぐられる感覚が、『こんな感じなんだ』なんて。遅れて痛みが襲ってきて、暖かい液体が鉄臭い匂いを伴って服にシミを作っていく。



 あぁ、死ぬんだ。



 ハサミを振り回して、使い魔の腕を折った。辛うじて心臓を取られずに済んだが、この出血量では、数分で死ぬ。


(何も出来ないまま、俺は死ぬのか)


 子供たちはどうしよう。神社に連絡できないか。いいや、いいや。時間が足りない。今できることは、何も無い。

 湊は精一杯抵抗して、使い魔を遠ざけようとした。助けが来れば、生き延びられるかもしれない。でも、誰が助けに来る?

 駄菓子屋の電話で、おばあちゃんが電話してくれているかもしれない。

 なら、その間、一人でも、一人でも多く守れるようにしなくては。



「駄菓子屋に近づくな!」



 湊は力の限り叫び、ハサミ一本で抵抗した。

 助けが来るまでに時間を稼ぐ。それだけでもしよう。

 ハサミが壊れ、武器が無くなっても、湊は駄菓子屋の鍵で抵抗した。

 使い魔も、死にかけの獲物を前に逃げる気もない。湊は少しでも長く戦った。


 祖父は言った。『人と人、人と何か、それを繋ぐ人になれ』と。

 ならば、命だって繋いでやろう。一縷いちるの希望だって、奇跡だって何だって繋いでやろう!



「お前たちには、何も奪わせない!」



 湊が叫ぶと、胸から八重咲きの桜が咲き誇った。

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