第4話 駄菓子屋の朝 2

 朝の九時。湊は近所のスーパーに買い物に出かけた。

 百均のゴムサンダルに、灰色のスウェット。買い物袋と財布をポケットに突っ込んで、いつもの道をフラフラと歩く。

 途中にある神社の前で、見慣れた男が鳥居の前を掃除していた。


 浅葱色あさぎいろの袴の斎服さいふくを着た、おっとりした雰囲気の男だ。明るい茶色の髪色が、陽光に当たって飴色に輝く。

 男は湊に気がつくと、掃除の手を止めた。


「おはようございます」

「おう、おはよう」


 挨拶を交わすと、男は港の頭をじっと見て、クスクスと笑った。


「寝癖がついたままですよ。鏡で確認したんですか?」

「えっ、マジか。気にしてなかったわ」

「そのズボラさは昔から直りませんね。──ミナちゃん」

「そう言うお前だって、また喧嘩したんだって? ──モモちゃん」


 モモちゃんと呼ばれた男──虎狼院ころういん 百瀬ももせは、湊の三歳下の幼なじみで、幼稚園の頃から仲良かった。百瀬はギクッとして、視線を逸らした。


「してませんよ。喧嘩? そんな物騒なこと、神職として有り得ません。暴力で解決することなんてありませんよ」

「モモちゃんが喧嘩したら、俺に連絡がいくようになってるの、忘れたのか?」

「あんなの、中学の時まででしょうが!」

「モモちゃんが高校生の時も、今も来るぞ。お巡りさん泣かすな」

「だから場所変えても、ミナちゃん来てたのか……」


 百瀬が納得すると、湊はため息をついた。

 百瀬の喧嘩癖は、小学校の頃から酷かった。六年生にからかわれたことがきっかけで、拳で解決し、その後も面白半分でちょっかいを出す輩が増え、百瀬をからかったり、挑発したりした奴らは漏れなく、百瀬に叩きのめされた。

 彼が中学校に入った頃に、年頃だったのもあってか、喧嘩はエスカレートし、毎日のように喧嘩しては、親を呼ばれたり、警察のお世話になったりと忙しない日々を送っていた。お陰で町の誰もが百瀬を恐れ、チンピラさえも、百瀬の顔を見るとそそくさと去る。極道に勧誘されたとか、マフィアを一人で壊滅させたとか……そんな噂もよく耳にした。


 百瀬は喧嘩を一切反省せず、誰も手にも負えなかった。それなのに、湊の言うことはきちんと聞くのだから、不思議がられていた。

 湊が百瀬の喧嘩に偶然遭遇した時、百瀬はすでに不良の顔を血だらけにしてた。湊が青ざめて、喧嘩に飛び込んだ。百瀬は聞き分けよく微笑んで、不良から手を離した。その様子を見ていた警察に、ひどく感謝されたことを思い出す。


 気がついた時には、湊は警察と百瀬の通う学校、百瀬の両親と連絡先を交換し、百瀬が喧嘩をする度に、授業中でも電話がなって、百瀬を止めに行く羽目になった。

 今でも、港のスマホと駄菓子屋の連絡先は、『狼神社の息子さんとこの歯止め役』として活躍している。


「東京湾近くのコンテナで喧嘩したんだって? 海に落としてないだろうな」

「さすがにそんなことはしてないですよ。空いてるコンテナに閉じ込めたくらいで」

上路あげじさんが泣いてたぞ。『百瀬のせいで定年で退職できるか心配だ』って」

「あー、あのポリ公。まだ仕事してたんですねぇ。ほっとけばいいものを」

「ほっとけないから俺が呼び出されてんの! 警察出てきてんの!」


 百瀬は不満そうに頬を膨らませる。

 湊は大きくため息をついた。


「二十二歳にもなって喧嘩とか。そろそろやめたらどうだ?」

「必要だからやってるんですよ。最近はミナちゃんが来る前に終わりますし、別にいいじゃないですか」

「危ないだろ。怪我だってするし、心配するんだから」

「…………その必要はありませんので」


 百瀬は掃除を済ませると、袖から札を出した。


「足りてますか? 悪鬼退散の札。冥界の侵略が始まってから、飛ぶように売れますけれど」

「一応『お授けする』って言えよ。まぁ、これがあれば、家には入って来ないしな」


 神社で授与される魔除け札やお守りは、冥界の使い魔には有効で、持っていると一度だけだが、身を守ってくれるのだ。

 特に、百瀬の実家である『狼神社』は、魔除けのご利益が強いことが有名で、連日参拝客が絶えない。

 冥界の侵略が始まった今では、尚のことだろう。


「お守りも、持っておいた方が良いんじゃありませんか?」

「いいや、大丈夫だ」

「そんなこと言って、何も持っていないでしょう。この時勢、持っておいて損はありません」

「タダで貰うわけにはいかないだろ。みんなちゃんと参拝して、お金納めて授かってるんだから」

「父さんに『湊くんには一生分の札とお守り分は世話になってるから』って言われてるので」

「物理的な障害以外は回避できそう。じゃあ、一つだけ」


 湊はお守りをポケットに入れて、スーパーを目指す。百瀬は湊の背中を見送って、鳥居の向こうへと帰っていった。

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