第10話 金沢の旅路 2

 百瀬は運賃を入れてさっさと降りた。湊も後に続く。他のお客さんが続々と降りてくる中で、ギンがいつまでも降りてこない。

 湊は段々焦って、百瀬に声をかけた。


「もしかして、神の遣いだから支払いが分からないんじゃないか?」

「違うと思いますよ?」


 バスから降りるお客さんが居なくなると、ようやくギンが降りてきた。

 降りがけに、運転手に手のひらをかざすと、運転手は一瞬驚いたような表情をするが、急に表情が緩んで「ありがとうございましたぁ」と、ドアを閉めた。

 ギンは何食わぬ顔で、鼻をすんすんと動かして、道案内をする。


「こっちだ」

「ちょっと待て。お前、運転手に何をしたんだ?」


 湊が尋ねると、ギンは不思議そうに首を傾げる。


「オレは金を持っていないからな。運賃の代わりに、加護を授けた。ついでに、運賃を払ったという認知操作を」

「ただの無賃乗車だろうが」

「神やその遣いに、金銭なんて必要なければ、価値もないからな」


 ギンは先頭を歩いて、百瀬が地図で場所を確認する。

 湊はギンに呆れつつも、二人の後ろをついて行った。


 いくつか道を曲がり、長い直線を歩き、住宅街の外にまで来た。

 まだ春とはいえ、長らく日差しに当たっていると、暑くなってくる。湊は、事前に買っておいた水を飲んで、会話する二人の後ろを無言でついて行く。


 雑木林のような場所に出ると、ギンは唸りながら首を傾げる。

 百瀬が「どうした?」と尋ねるが、ギンは辺りをキョロキョロと見回しながら、何かを探しているようだった。


「代行者の気配はこの辺りなのですが、どうにも場所の特定ができなくて」

「地図にも建物らしきものはありませんし、ストリートビューにして確認しますか」


 ギンが鼻を動かし、百瀬がスマホと睨めっこしている。何も出来ない湊は「こういう所が、嫌なんだろうな」と、百瀬の態度に不安になる。

 せめて、何かしら役に立てたら、百瀬も苛立ったり不満になったりしなくていいのに。




「──────…………」




 どこからか、鼻歌のような音が聞こえてきた。

 湊が振り返ると、風と一緒にその音が流れてくる。

 湊は道を少し戻った。百瀬も、湊の行動に気がつくと、「ミナちゃん?」と湊の背中を追った。


 湊が道を戻ったところに、本当に注視しなければ分からないような道が、林の奥へと続いていた。

 側溝には、腐った木の板が敷かれていて、その道を通れるようになっている。

 湊は腐った木の板をギィと鳴らして、雑草だらけの道をまっすぐ進んだ。


「ちょっと、ミナちゃん! 危ないですから!」

「止まれ、人間! 百瀬殿の忠告を聞け!」


 百瀬とギンが、後ろからついてくる。

 雑木林を抜けた先には、廃れた寺があった。


 手入れも、修復もされず、ただ朽ちるのをまつそれは、世界に忘れられたような哀愁が漂う。


 湊が耳を澄ませると、寺から確かに鼻歌が聞こえてくる。

 湊は、入口を探すが、どこが正門だったかも裏門だったかも分からない朽ち果て様で、仕方なく崩れた壁から中に侵入する。

 百瀬も湊の後ろを追いかけて、壁を抜ける。


「うわっ!」


 瓦礫で足を滑らせて、百瀬は尻もちをついた。その拍子に、左の手のひらをざっくりと切ってしまい、痛みに顔を歪める。


「痛ってぇな……クソがよ」

「モモちゃん、ヤンキー出てるぞ」


 湊はトランクケースを開けて、ハンカチを出した。それを百瀬の手のひらに押し当てて、止血をする。


「懐かしいな。モモちゃんが喧嘩で傷を作る度に、こうやって俺が手当したっけ」


 港はふと、昔を懐かしんだ。


 喧嘩をしていた頃、百瀬は生傷が絶えなかった。そのくせに、ろくに手当てもしないで、街を歩いていたのだから、誰も怖くて近寄れない。


 それを見かねて、湊が手当てを申し出るが、百瀬は「要らない」と、拒否をした。それでも強引に、湊は百瀬を手当した。

 その頃から、百瀬の傷は徐々に減っていき、湊が持ち歩く救急セットの量も減っていった。


 急な昔話に、百瀬はため息をついて、湊の手当てを受け入れる。


「ミナちゃんに、余計な手間をかけさせるわけにいかなかったので。お陰様で、怪我せずに喧嘩に勝つ方法を取得しましたよ」

「いや、そもそも喧嘩をやめてほしいんだけど」


 湊は慣れた手つきで、百瀬の手にハンカチを巻く。手当てが終わると、百瀬は「ありがとうございます」と、ハンカチの上から傷を撫でた。


 湊は声が聞こえる方へと歩いていく。

 歩く度に、鼻がツンとする臭いが強くなった。ギンは鼻を押さえて、「酒臭い……」と眉間にシワを寄せる。

 寺の外をぐるっと回ると、庭のような場所に出た。


 辺り一面、何も無い草原だった。それを眺めながら、縁側でだらしなく寝そべり、清酒をあおる男がいた。


 歳は、五十手前かそこらだろう。白髪混じりの蓬髪ほうはつに、くたびれた作務衣さむえを着ている。

 髭は邪魔にならない程度に切っているようだが、だらしなく伸びている。


 顔が赤くなるまで酒を呑んでいるのだろう、男の後ろの部屋には、酒の空き瓶で散らかっていた。


 ギンが鼻を痛そうに押さえて、「あれが仏界の代行者です」と、百瀬に伝えた。


「仏界とかなり縁遠そうな奴じゃないですか。あれが本当に花紋持ち? 絶対嘘だ」


 百瀬は呑んだくれている男に嫌悪感を表す。湊はじっと、男を観察した。

 頭を支える左手首に、蓮の花紋があるのを見つけると、男に声をかけに行った。


「あのぉ、すみません」


 湊が飛び出したのに驚いて、百瀬も慌ててついてくる。

 男は、湊たちを見つけると、ぽやんとした表情で、じっと見つめた。そのあと、ニカッと笑って起き上がった。



「よぉ、若ぇ衆。おいちゃんに何か用かい?」

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