第9話 金沢の旅路

 出立の朝、何やら腹に重さを感じて、湊は目を覚ました。目を開けると、ユキと同じくらいの大きさの狼が座っていた。

 ユキとは違って黒い毛並みで、目がつり上がっていた。

 金色の瞳が、湊をまっすぐ見つめている。


 湊が寝ぼけながらに手を伸ばすと、黒い狼は湊の手を強く噛んだ。

 急な痛みに湊が飛び起きると、狼は華麗に湊の上から降りて、牙を見せて威嚇した。



「起きるのが遅いぞ! さっさと支度をしろ! 人間ごときが、百瀬殿を待たせるな!」



 湊は半分寝ぼけた頭で考えた。

 神の遣いは一匹じゃないのか? いいや、狛犬にせよ狐にせよ、神社では阿吽の二対となるように配置されている。


「ユキは……阿形?」

「何を寝ぼけたことを言っている! 早く起きろ! そして支度をしろ!」


 狼は、湊の布団に噛み付くと、頭を振って剥ぎ取った。

 湊は狼に吠えられて、眼を擦りながら洗面所に向かった。いつもの手順で朝の支度を済ませると、居間には百瀬がいて、朝食の準備をしていてくれた。普段の斎服を見慣れている分、オーバーサイズのパーカーとジーンズがかなり新鮮だ。白を使っているのは癖なのだろうが、それだけでおしゃれに見える。



「おはようございます。早く食べましょう」

「おぉ。おはよう」



 百瀬が用意してくれた朝食は、湊が毎日食べているものと一緒だった。けれど、卵焼きだけ、味が少ししょっぱかった。

 塩を入れたのだろう。これが、家族の味なのか……と、湊は嚥下する。


「今朝はギンが失礼しました。乱暴に起こされたでしょう。ずっと声が聞こえていました」

「あぁ、まぁ。でも布団を剥ぎ取られたくらいだ」


 食事を終えると、湊は皿を洗って、トランクケースを取りに行く。

 玄関では、百瀬とギンと言うらしい狼が支度をしていた。


「その、ギンっていう犬も一緒に行くのか?」

「犬じゃない、狼だ!」

「ギン、そう噛みつくな。そうですよ。ユキは冥府の使い魔の気配に敏感ですが、ギンは花紋持ちの気配に敏感なので。探すにはうってつけでしょう」


 百瀬に褒められて、ギンは尻尾を大きく揺らす。湊は納得すると、駄菓子屋の戸を開けた。


 ***


 新幹線で約三時間。

 石川県金沢市に着いた二人は、駅のトイレで話をする。


「どうやって花紋持ちを探そう?」


 湊の問いかけに、百瀬は「ギンを呼びます」と、パーカーのポケットから鈴を出した。

 それをひとつ鳴らすと、桃の花紋が浮かび、小さな光の玉が出てきたと思うと、人の形を成した。

 光の粒子が飛んで消えると、一人の男が立っていた。

 ワイシャツに黒いベストを着た、執事風の男。オールバックで目つきが悪いと、極道系に見えなくもない。


「百瀬殿、お呼びですか」

「えぇ、花紋持ちを探します。手伝いなさい」

「ご命令のままに」



「ちょっと待て、お前……ギンか!?」



 呼ぶのは狼じゃなかっただろうか。湊が困惑していると、ギンと思しき人は、湊を軽蔑するように睨みつけた。


「神の遣いであるこの俺に『お前』だと? 口を慎め、人間ごときが!」

「あ、その物言い、ギンだ!」


 湊に突っかかるギンを制して、百瀬はため息をつく。ギンは百瀬のため息を聞くと、怯えたように慌てだした。


「ユキとギンは、人間界に溶け込めるように、人の姿に返信することが出来ます。それを利用して、彼に案内させるつもりでした」

「そうだったんだ。でも、人間の姿になれるなら、一緒に新幹線に乗れば良かったんじゃないか?」


 湊の疑問に、ギンが答えた。


「俺たちは、神界の花紋に呼ばれたら、その場所に瞬時に移動できる。無駄に金を払ってまでついて行く必要が無い。それに、人間が多い場所は嫌いだ」


 ギンはユキと違って警戒心が強いようだ。それでいて、百瀬に対する忠誠心も強い。だから、他人に対して強く当たるのだろう。

 湊は「そうか」と、ギンの主張を受け入れた。

 百瀬は、スマホで時間を確認し、ギンを連れて外に出た。


 ***


 駅前の鼓門に圧倒され、湊は思わず写真に収める。ギンに「急げ」と急かされて、バスに乗り込んだ。

 百瀬とギンが隣合って座り、湊は二人の後ろに座った。


「ギン、気配は?」

「まだ遠いです。この……端の方にある所の」

「住宅街ですね」

「それのさらに先と思われます」

「分かりました。それでは、兼六園下・金沢城で降りて、少し歩きましょうか」


 二人でそう話しているのが聞こえてくる。

 湊も会話に加わろうとするが、百瀬は意図して無視しているようで、話しかけても反応しない。

 対して、ギンは湊が話しかける度に、耳だけを器用に動かすが、百瀬が反応しないから自分も対応しないようだった。


 百瀬にも考えはあるのだろうが、無視されると湊も不安になってくる。

 知らない間に何かしてしまったのだろうか。怒らせるようなことはしていないはず。心当たりもない。


 ふと、湊は一昨日のことを思い出した。

 湊が人界の花紋持ちになった日、百瀬は怒ったような表情をしていた。ほんの一瞬だったが。きっとそれが気に食わなかったのだ。


 自分のような体力も戦闘力もない人間が、自分の仲間になったことが、不満なのだろう。湊が百瀬の立場だったら、きっとガッカリした気持ちを隠さないだろう。

 百瀬は優しいから、顔に出さなかったのだ。


 湊が一人納得していると、百瀬たちが降りる準備をしていた。湊も急いで降りる準備をする。

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