第7話 力の使い方

 百瀬は、湊の家に行くと、必ず最初に仏間に向かう。

 きちんと線香をつけて、目を閉じて一心に手を合わせる。そして、深くお辞儀をして、ようやく居間に入るのだ。


 湊は、百瀬のルーティンを知っているから、何も言わずに台所でお茶の準備をする。

 せんべいと、近所のおば様にもらったチョコパイを皿に並べて、居間に置いて百瀬を待つ。


 一足先にお茶を飲んでいると、百瀬が居間に入ってきた。


「お待たせしました。あ、チョコパイがある。貰ってもいいですか?」

「もちろん。お茶も飲めよ」

「ありがとうございます」


 軽くお茶を嗜んでから、本題に入った。

 百瀬は襟を緩めて、項に入った花紋を見せる。それは桃の花だった。


「私は神界の花紋持ちです。実家が神社だからでしょう。代行者になったことには驚きましたが、どこの、と聞けば納得です。

 ミナちゃんは、『人界』の花紋でしょう。神界、仏界、霊界、妖界は花紋が決まっていますので」


 神界の花は、イザナギが冥界から逃げる時に使った桃の逸話からきている。


 仏界は、仏教の象徴であり、如来の台座として知られている蓮の花だ。


 霊界の花紋は、彼岸のイメージから彼岸花とされている。


 妖界は、それぞれで出没する場所が違うが、江戸の頃から一緒に描かれる柳が花紋とされていた。


 一方で、人界の花紋は時代によって様々で、椿とされる時もあれば、千日紅、女郎花おみなえし、竜胆など多数の記録がある。

 それは、花紋を所持する人によって変わるとも、なんの因果関係もないとも言われている。


 どちらにせよ、湊の花紋はどのせかいの紋章とも一致しない。ゆえに、人界と断定できた。


「花紋の力って、どうやって使うんだ? モモちゃんは使えてただろ。教えてくれよ」

「良いですけれど、説明が難しいんですよ」


 百瀬はこめかみに指を添えて、悩ましげに眉間にシワを集めた。

 一息つくと、行き場の無い手を宙に浮かせる。



「まず、胸の辺りをガッ! ってするじゃないですか?」

「ごめん、もう分からない」



 百瀬は感覚で物事を捉えるため、説明が下手だ。今も、湊に一生懸命説明をしてくれているが……──



「胸をガッ! ってさせたら、ぐ~~~っと持ってきて、手にボアっとしたら、ばんってしてババッとやって、ドン! って感じです」



 ──……何も伝わらないのである。


 湊も理解しようと努めるが、擬音が多く、感覚で伝える百瀬にはお手上げだった。


「どうして伝わらないんでしょう」

「努力はしてるぞ。お互いにな」




「ももせ様は感覚で喋るから、伝わらないんですよぅ。だからボクが説明しますって言ったのに……」




 聞きなれない声がした。ふと、百瀬の隣を見ると、真っ白な犬が、床に落としたせんべいを食べていた。

 フワッフワの毛並みの、蒼い瞳の犬だ。


「犬なんていたか?」


 湊がそう言うと、百瀬は驚いたような顔で、犬を見ていた。


「こら! なんでここに居る!」


 百瀬が怒ると、犬は口の周りをペロッと舐めた。


「初めましてみなと様! ボクはユキ。神界から遣わされた、代行者の皆様をサポートする狼です!」


 ユキと名乗った犬は、テーブルからもう一枚せんべいを盗もうとする。百瀬が皿を高く持ち上げると、残念そうな声で鳴いた。


「い、犬が喋ってる……」


 湊は今日の情報量だけで、頭が痛くなっていた。

 冥府の使い魔に襲われて、自分が花紋を開花させて、今度は犬が喋る? インフルエンザにかかった時に見る夢よりもタチが悪い。


 ユキは頬を膨らませて、「犬じゃなくて、狼ですよぅ!」と訂正した。

 百瀬は申し訳なさそうに、チョコパイを頬張る。


「使い魔退治のとき、必ず連れていたんですけれど、今回は場所がここだったので、驚かせたくなくて家に置いてきたんですが」

「花紋の匂いがしたので、走ってきました! 走った時の風、気持ちよくて好きです!」


 神様の遣いは、どうやら花紋の所持者の匂いを嗅ぎ分けられるらしい。

 湊は重い頭を上げて、ユキに「よろしく」と挨拶をした。


「で、色々呑み込めないことは多いけど、花紋の使い方の説明は出来るんだな?」


 湊が尋ねると、ユキは弾ける笑顔で頷いた。


「花紋とは、ご存知の通り各界の力を借りる者の証であります。そして、力の源であり、冥府の使い魔も、花紋の力には敵いません」


 ユキは湊に説明を続ける。


「花紋の力を使うには、『強い気持ち』と、『思い入れの強い物』が必要になります。ももせ様ですと鈴ですね。みなと様も、花紋を得たときに何か持っていたはずですよぅ」


 ユキに言われて、湊は駄菓子屋の鍵をテーブルに出した。

 思い入れがあるとすれば、鍵というよりこの駄菓子屋だ。寝食をする家でもあり、笑顔が溢れる場所でもあり、祖父が守り続けてきた城である。

 ユキは鍵の匂いを嗅ぐと、「これですね」と舌を出した。


「これが、みなと様が花紋を使うための媒介になってます。これを肌身離さず持っていてください」


 ユキはそう言って、せんべいを一枚とって食べた。


 百瀬は、湊の鍵を哀しげに見つめる。

 軽く咳払いをして、湊に言った。


「これから大変ですよ。あと三人、花紋持ちを探さないといけません。そして、この東京に集めないといけないんですから」

「なんで東京に?」

「みなと様、みなと様が敵だとしたら、どこを襲いますか?」


 ユキの質問に、湊は唸り声を出す。


 自分が使い魔だとしたら?

 人を襲って、同じ使い魔にしようと思ったら、まず一通りの多いところに向かうだろう。それでいて、人が多いところを狙った方がいい。その方が効率がよく、手っ取り早く侵略できる。


「人が多くて、襲いやすい所……?」


 なるほど、だから東京に。

 でも、それだと花紋持ちが集結したって、場所が分散されるのでは?

 湊がそう訪ねると、ユキは笑顔で言った。



「人界の花紋は、人間界の門番です。だから、冥府の使い魔には真っ先に狙われますい。人間界の門番が倒れたら、それだけで人間の力っていうのが弱体化するんです。

 霊能力も、先人たちが生み出した刀や銃も、どんな業物だって意味がなくなります。つまり、武器を持っていても、あなたが倒されたら何の抵抗も出来なくなるんです」



 武器で追い払うことも出来ないし、屋内に脱げこんでも、人間が作った建物は簡単に壊される。

 要は、人間界にあるもの全てが弱体化し、冥界の侵略が容易になるのだ。


(思っていたより責任重大じゃないか!)


 湊が青ざめると、百瀬も頭を抱える。


「絶対に、ミナちゃんを巻き込みたくなかった……」


 百瀬と違って、湊は喧嘩をしたことも無いし、そもそも争いごとを起こしたこともない。巻き込まれているだけで、湊の戦闘力はかなり低かった。


 ユキはさらにトドメを刺しにいく。



「だから、冥府の使い魔は、人界の花紋に対する察知能力がめちゃくちゃ強いので、こっちから向かなくても、集まってきますよぉ~」



 湊は大きなため息をついた。

 百瀬は一人、歯を食いしばっていた。

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