第12話 荒れ寺の飲んだくれ

 湊は酒の臭いで目を覚ました。

 かび臭い布団から起き上がり、ぼんやりとした頭で辺りを見回してみる。酒の瓶や缶で散らかった部屋の中、百瀬は体を丸めて眠っている。その傍で、ギンが百瀬を守るように眠っていた。

 湊は布団を片付けて、外に出る。

 太陽が地平線から顔を覗かせたばかりだ。湊は縁側に腰かけて、太陽が昇るのを、ただじっと眺めていた。



「絶景だよねぇ」



 ふと、声をかけてくる男がいた。湊は驚いて、声の方を向く。

 半裸で、顔周りが濡れている男が、湊に微笑んでいた。



仏浦ほとけうらさん」


千寿ちとせでいいよ。よく眠れた?」



 千寿は湊の隣に座ると、近くに放り捨ててあった服を手繰り寄せて、いそいそと着る。染みついた酒の臭いは消えないが、昨日ほどの悪臭ではない。湊の鼻が慣れたのだろうか。

 千寿は湊と一緒に朝日を眺めていた。



「湊くんは、家族はいるのかい?」



 千寿がふと尋ねた。湊が「いません」と答えると、千寿は申し訳なさそうな顔をする。

 湊は慌てて、「大丈夫です」とフォローする。



「両親はとっくに死んでるんです。母は俺を出産したとき、出血多量で亡くなって。父は川で遊んでた時に、事故で」


「事故?」


「よくある事故ですよ。モモちゃんと川で遊んでたら、モモちゃんが深い所に入っちゃって流されて。助けるために、父が川に飛び込んで」



 懐かしい。あの時、百瀬は川の中腹で保護されたが、父の姿はそこになく。三日後に、川の下流で発見された。

 葬式で、百瀬の両親が小さい俺に深く頭を下げていたのを、今も覚えている。

 その葬式で、祖父に引き取られたが、その祖父も、四年前に亡くなった。

 その話をすると、千寿は「お悔やみを」と缶ビールを差し出してくる。俺はビールだけ断った。



「でも、その百瀬くんが原因なら、君は百瀬くんと喧嘩しなかったのかい?」



 千寿に問いに、湊は首を横に振る。



「モモちゃんは悪くないんです。川は、危険な場所ですから。それに、自らを犠牲にしてモモちゃんを助けてくれた。父は、俺にとってはヒーローですよ」



 父が居なければ、百瀬は帰らぬ人となっていたかもしれない。

 湊が覚えている父は、底なしに優しい人で、困っている人を見つけるとすぐ助けに行ってしまうような人だった。だから、百瀬を助けに行った父は、彼らしい行動をしたとしか思っていない。

 百瀬を恨んだり、彼と喧嘩する理由はどこにもないのだ。

 自分の安全を取らず、命がけで百瀬を助けてくれた父を、祖父は「大バカ者だ。それでいて立派なのが腹が立つ」と評していたが。


 千寿は「そっかぁ」と言うと、缶ビールの栓を開けた。

 湊は、ビールを一気に飲み干す千寿に質問した。



「どうして、東京に来てくれないんですか?」



 湊の問いに、千寿は雑草だらけの庭を見る。もう一本、缶ビールを開けると、一口飲んで、大きく息をついた。

 千寿の瞳に、雑草が揺れている。彼の声は、憧憬に浸っていた。



「おいちゃんにも家族が居てねぇ。妻と、可愛い娘がいたんだ。けれど、二人とも死んじゃってね。おいちゃんは、二人が好きだった場所を、二人が愛した金沢を、離れることができないんだ」



 家族の思い出が、旅立ちを妨げる気持ちはよくわかる。

 湊も、祖父の家に引っ越すとき、家の柱にしがみついて泣き叫んだ。子供だったとはいえ、家族がいた場所を、家族の思い出を手放す勇気がなかった。今でこそ、思い出も温もりも全て自分の中にあると知っている。けれど、離れがたい気持ちだけは、いつまでもまとわりついてくるものだ。

 そこから立ち上がるには、時間がいくらあっても足りない。



「それなら、仕方ないですね」



 湊はそう言って、時計を確認する。

 百瀬を起こして、どこかで朝食をとって、新幹線のチケットを取れば早めに東京に帰れる。

 湊が帰り支度を始めると、千寿は「粘らないんだぁ」と酒に酔った笑いをする。

 千寿のように飄々としている奴は、大体粘ったところで、確固たる意志があるため気持ちが揺らぐことはない。意志が弱そうに見えたって、弱いとは限らない。それの押し引きを見誤って粘るだけ無駄だ。


 百瀬を起こし、ついでにギンも起こす。

 百瀬は「酒くさ…」と呟いて、頭を掻きながら起き上がる。



「帰るぞ」


「はい、そうですね。……チッ。こんな酒臭い所から帰れるなんて、清々しますよ」


「寝起き悪いねぇ。リラックスは大事よ?」


「お前に必要なのはシジミ汁です」



 百瀬もさっさと着替えを済ませて、開いてる店を調べて荷物を片付ける。

 千寿がモーニングをやっている店を教えてくれて、そこに行ってみることにした。百瀬は最後に、「本当に来る気はないんですね。要らないですけど」と、半ば苛立ち気味に聞くと、千寿は缶ビールを掲げてそれを返事とする。

 百瀬は荷物をもって、寺から出た。湊は最後に、千寿にお辞儀をして挨拶をする。



「一晩お世話になりました」


「気が向いたら、またおいで」



 千寿の酒臭い挨拶を最後に、湊は百瀬の背中を追いかける。

 千寿はまた、縁側に寝転んで酒をあおった。

 変わらない日常に、千寿はげっぷをする。

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