第16話 奪う者、奪われた者 2

 千寿は百瀬の引きつった顔を見て、カラカラと笑った。



「もう殺したりしないよ。だって、死んでほしかった奴らは、おいちゃんが殺しちゃったんだもん」



 千寿はビールの缶を開けると、ぐいっと一口飲んでたまらず感嘆を零す。

 百瀬は彼が何を言いたいのかが、いまいち理解できていない。グラスに残っていた日本酒をちびちびと飲み、早くなった鼓動を落ち着かせていた。

 千寿は少し間を置いて、百瀬に言った。



「嫌いなら、離れた方が身のためだよ。自分が、鬼になる前に」



 百瀬は千寿の助言を鼻で笑った。

 千寿が思っているような関係ではない。百瀬は「馬鹿言うんじゃありませんよ」と言った。しかし、千寿は見間違っていない。千寿は「いいや」と百瀬に顔を向けた。



「百瀬くんが嫌っているのは自分自身だよね」



 百瀬は驚いた様子で千寿を見た。

 千寿は笑っていない。至極真面目な顔をしていた。



「君は、奪ったんだろう。その負い目を感じている。だから、湊くんを守ることで、その償いをしているんじゃないかな」



 千寿の言葉は的中している。百瀬は否定も肯定も出来なかった。

 頭の中にいろいろな言い訳が出てくるが、そのどれも千寿の前では拙い嘘だ。

 百瀬は観念して千寿に吐露した。



「……小さい頃、川に行きました。ミナちゃんと、彼の父親と、私の両親と。私とミナちゃんは、川で遊んでいました」



 大人たちがバーベキューの準備をしている間、百瀬と湊は川で水遊びをしていた。

 その途中、百瀬は綺麗な石を見つけた。川の奥には行かないように言われていたのに、石を拾いに百瀬は奥へと 行ってしまった。その石に手を伸ばした時、百瀬は足を踏み外して流れの速い所に落ちてしまった。

 浮いては沈んでを繰り返し、大人たちの悲鳴を聞きながら溺れて流されていた。誰かが水に飛び込む音がして、百瀬に手を伸ばしてくれた人がいた。



「それが、ミナちゃんのお父さんでした」



 百瀬は彼のお陰で助かった。

 一緒に流されながら、岸に向かって泳いでいると鈍い音がして、湊の父親が表情を歪めた。

 百瀬を自身の頭の後ろにあった岩に掴ませて、「ここで待っていなさい」と言ってそのまま流れてしまった。


 その後、百瀬は救助されたが、湊の父親は見つからなかった。3日後に川下で発見された時、百瀬は膝から崩れ落ちた。


 あの時、ちゃんと言いつけを守っていれば。

 あの時、石なんか拾いに行かなければ。



 ——ミナちゃんのお父さんは死ななかった。



「……が悪いんです」



 湊に母親はいない。唯一の家族が父親だった。それを、自分の愚かな行動で奪ってしまった。

 ただ、石を拾いたいがために。大事な人の、もっと大事な人を奪ってしまった。


 3日も、帰ってくるか分からない父親を待った湊の気持ちを考えると、死にたくなった。

 唯一の親の葬儀をしている湊を見て、自分に酷く腹が立った。

 自分のせいだと責める百瀬を、両親は優しく慰めてくれた。それが余計に苛立った。


 湊には、そうしてくれる人がもういないのに。自分には二人もいる。


 湊が小学校に再び通うようになった時、彼と同じクラスの悪ガキが、湊をからかおうとしていた。

 みなしご、なんて言葉で彼を呼ぼうとしていたのが許せなくて、百瀬は初めて暴力を振るった。それが良いこととは思っていなかったが、ただでさえ辛い思いをした湊に余計な痛みを与えたくなかった。



「俺を守ってくれる人はいますが、一人になったミナちゃんは誰が守るのでしょう?」



 引き取ってくれた祖父とはほとんど会っていなかったという。


 湊を理解しているのは、百瀬だった。

 彼を守れるのも——百瀬だった。


 だから、百瀬は湊をからかおうとする生徒を成敗した。そのやり方が、暴力だったのは良くなかった。

 でも、子供に出来る誰かを守る行動なんてたかが知れている。

 その上、自分に非がある負い目から逃げたかった。……喧嘩している間は、気持ちが楽だった。


 喧嘩する相手は湊をからかう子供から、段々とエスカレートしていった。

 百瀬自身を標的にした不良や、万引きをしてる輩からチンピラまがいの連中など。

 湊が絡まれたら大変だからなんて理由をつけて、百瀬は喧嘩に明け暮れた。


 警察の世話にもなって、湊に心配されて、その度に自分の醜さに目がいって腹が立った。

 自分の幼稚な行動を改めることも出来ず、その度に湊に迷惑をかけて、それでも収まらない怒りと、罪悪感。



「死ぬことも、生きることも許されないんです。俺は、どうしようもない」



 自殺を図る度に両親が泣く。

 喧嘩をする度に呆れた様子の湊が来る。


 自分の犯した罪は、誰が裁いてくれるのか。『事故』なんて言葉で片付けたくない。彼の父親が生きていた事を忘れたくない。——自分が奪ったことも、忘れたくない。


 それなのに、湊は一度も百瀬を責めたことがなかった。

 どんな時も、湊は百瀬をその件で責めることをせず、ただ側に居てくれた。それが余計に、悔しかった。


 自分の過ちを誰も怒ってくれない。咎めてもくれない。

 一発でも殴られたら良かったのに。ひどく怒鳴って、部屋に閉じ込めてくれたって良かったのに。



「……どうしたら許されるのでしょう。そう考えたら、ミナちゃんの平穏を守ることしかないのに。俺は、それさえ出来なかった」



 百瀬がグラスに涙をこぼす。千寿は百瀬に寄り添うと、肩を抱いてさすってくれた。



「自らを罰することも許されず、誰も俺を罰してはくれない。裁かれない罪を抱いているのは、いつも苦しい」



 ぽろぽろと涙をこぼす百瀬に、千寿はかける言葉を探していた。


 奪われた怒りに身を任せ、罪を背負った者。

 罪ならざる罪を背負い、奪ってしまった罪悪感に押し 潰される者。


 二人の間にあるものは絆でも、当事者同士のなれ合いでもない。

 もっと汚くて、もっと見苦しいものだ。



「君はもう償ったんじゃないの? 湊くんは大人になった。君も、湊くんが事件に巻き込まれないようにしたんだから、もういいんじゃない?」


「いいえ、いいえ。俺はまだ許されていません」


「そろそろ自分の人生歩んだ方がいい。おいちゃんはもう先が決まってるし、後がないけど、百瀬くんはそうじゃないだろう」


「彼が必要だったものを奪って、全てを手にしている自分が居るのが、どうしても許せないんだよ! ……まだ怖いんです。ミナちゃんに、許しを乞うのが」



 百瀬の叫びが、静かな夜に溶けていく。

 千寿は百瀬を抱きしめて、小さく呟いた。



「おいちゃんから家族を奪った彼らが、君のように罪悪感を抱いてくれていたら、おいちゃんもきっと許せていたんだ」



 千寿は涙を堪えて、いつか娘が作ってくれたブレスレットを手に取った。

 百瀬はひとしきり泣いた後、泣き疲れて眠ってしまった。

 百瀬に布団をかけてやって、千寿は一人で夜中の風を浴びた。



「……後が無いなら、今を精一杯生きなきゃね。百瀬くんに、手本を見せるためにも」



 千寿は何かを決意すると、ブレスレットをポケットにしまう。

 残ったビールを飲み干すと、寺の奥に消えた。その先には、使うことの無かったトランクケースがあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る