第17話 千寿の決意

 湊が目を覚ますと、雑草の野原から日の出が見えた。

 紫色の空を照らす橙色の輝きが、風に揺れる草の隙間から湊を覗き見ている。眩しいくらいの美しさに、湊は目を細めた。

 ふと、みそ汁の良い香りが漂ってきて、離れたところから物音がしていた。


 湊はのっそりと起き上がると、縁側で倒れるように眠っている百瀬と寄り添うギンを起こさないように歩き、物音の正体を確かめに行く。

 湊が音を辿った先は台所で、そこでは千寿が朝ご飯の準備をしていた。



「やぁ、早起きさんだね」



 千寿は後ろを見ていないのに、湊に気が付いた。

 湊は驚きながら「手伝いましょうか」と言うと、千寿は「平気よ~」と菜箸で返事をする。



「台所が狭いからさぁ、二人だと動きにくてねぇ。やんなっちゃうよ」


「分かりますよ。俺も、じいちゃんの手伝いしてた時は、じいちゃんが鍋を混ぜることしかさせてくれなかったから」


「お手伝いって嬉しいんだけど、狭い所だとあんまり動けないからねぇ。おいちゃんは、妻を手伝うばっかりだったから、あんまり料理は得意じゃないんだけどね」



 千寿はそう言いながら、手際よく料理を作っていく。

 朝ごはんの定番の焼き鮭と卵焼き、豆腐とわかめの味噌汁。今日が期限の納豆と、棚に余っていたおかずのり。

 千寿の調理をする姿を、湊はかつてそうしてくれていた父親と重ねる。


 母親がいないから、と、父は不器用なりに子供が好きそうな料理を作ってくれた。少し焦げたウインナーや不格好のふりかけおにぎりが懐かしい。


 懐古の情に胸を温かくして、湊は食器の準備を手伝う。

 千寿は湊の手伝いに感謝しながら、調理を終わらせる。


 居間のちゃぶ台を片付けて、丁寧に拭く。

 多少酒臭いが、汚くはない。


 千寿の料理をちゃぶ台に載せて、食事の準備を進めていると、百瀬がようやく目を覚ました。

 布団から這い出して、蹲って唸っている。ギンが心配そうに百瀬の周りをうろつくが、百瀬が岩のように丸まっている状態から動く気配はない。



「二日酔いかな? シジミ汁がいいよ」



 千寿が百瀬を心配するが、百瀬は「……っさい」と言ってそのまま動かない。



「……ギン、神の力で頭痛をなんとかしなさい」


「神使にそのような力はありません。医学の神にお伝えするくらいしか」


「それ、一秒で出来ます?」


「……早くても一週間です」


「その間に治るわ」



 百瀬の無茶ぶりにギンは真面目に返事をする。

 百瀬は這うように食卓にたどり着くと、シジミ汁に手を伸ばした。

 千寿は薬箱から漢方を探す。五苓散を見つけると、百瀬の席に置いた。



「ご飯食べたらこれ飲みなぁ」



 百瀬は薬を手に取り、シジミ汁を飲みながらじっと見つめると、なんとか姿勢を正して席に着く。

 痛そうに頭をさすってから、元気に振舞う。



「無理すんなよ」


「無理してませんよ」



 千寿が「じゃあ食べようか」と言って、食事に手を付ける。

 彼の料理は美味しかった。


 鮭はちょうど良い塩加減でご飯に合うし、卵焼きは噛むと出汁が溢れてきて優しい味が口の中に広がる。味噌汁も出汁が多めで、薄味だがおかずと一緒に食べても喧嘩しない濃さに整えられていた。

 素朴だが、いくらでも食べられる味に、湊は箸が止まらなかった。百瀬に至っては、誰が見ても二日酔いなのに詰め込むように料理を口に流していく。



「……吐かない?」


「二日酔いは食べて治す派です」



 たしかに、百瀬が具合悪くなる様子は無い。

 むしろ、食べれば食べるほど百瀬は調子が良くなっていった。

 百瀬は食事の途中、新幹線の時間を確認し、駅までの移動時間と着替えの時間を逆算する。



「東京でさ、すぐに借りれるアパートってあるのかな」



 千寿が尋ねた。

 百瀬は「即入居可の物件は少ない」と千寿に伝えると、千寿は少し悩んで「そうだよね」と頭をかく。



「じゃあしばらくホテルかな。今はホテルに住む人もいるっていうから、長期滞在できそうだよね」


「そうでしょうが、どうしてそんなことを聞くんです? 私たちに協力する気にでもなりました?」



 百瀬が冗談っぽく聞くと、千寿は箸を止めた。百瀬はそれを見て「でしょうね」と聞こえないように呟く。

 しかし、千寿は「うん」と答えた。百瀬は納豆を零す。



「……おいちゃんも、ちょっとは動かないとね。ずっと、過去に囚われていられない。おいちゃんの行く末は決まってる。動かなくてもそれは絶対に変わらない。なら、少しでも足掻いて、足掻いて、見苦しいくらい足掻いて、若い衆に未来を託しておいちゃんは、家族の元へ渡りたいなぁ」



 千寿は覚悟を決めていた。

 酒に逃げず、運命を諦めず、死から目を背けない。

 千寿は湊と百瀬に頭を下げた。



「おいちゃんも、戦います。だから、東京に連れてって」



 湊は食事の手を止め、千寿にお辞儀をした。



「仏界の花紋持ちがいると助かります。よろしくお願いします」



 百瀬はため息をついて、「チケット取り直します」とスマホを操作する。

 しかし、千寿はチケットの発見画面を見せて、「大丈夫よ」と言った。



「新幹線は何とかなったけど、住む所に困っちゃって。どうしよう」



 百瀬はホテルを調べるが、23区ではないとはいえ、東京というブランドのお陰で一泊が高い。千寿では一週間くらいしか生活拠点にならないだろう。かといって、格安のアパートはトイレ共有の風呂なし物件が多くて生活に支障が出る。しかも、即入居物件がない。

 湊がふと思い出して、千寿に提案した。



「俺ん家はどうですか?」



 湊の家は、祖父から継いだ駄菓子屋だ。古い家なので少々ボロさが目立つが部屋数は多く、千寿が来ても困らない。

 千寿は遠慮するが、冥界の侵略がいつ終わるかも分からないのに、高い生活拠点を払い続けるのは後々苦しくなってくる。ならば、多少気を遣ってもルームシェアをした方がいいだろう。


 湊の意見に、千寿も百瀬も納得する。

 千寿と生活費の相談をして食事を済ませると、百瀬は食器を回収して洗いに向かった。

 準備の手伝いが出来なかった詫びだろうが、千寿は気にする様子は無い。


 その後、着替えを済ませて荷物をまとめる。

 千寿は髪を梳かして簡単に結わえると、髭を整えてサングラスをかける。

 トランクケースを持つ彼は、少々仄暗い職業の人に見えた。



「じゃあ、よろしくね。二人とも」



 千寿を仲間にし、湊と百瀬は駅に向かう。

 千寿は最後に荒れ寺を振り返った。



「——行ってきます」



 救いを捨てた怠惰者は、もういなかった。

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