第15話 奪った者、奪われた者

 静かな夜だった。

 月が煌々と輝く青い夜の下、湊はビールを片手にぽやぽやとした気分に包まれていた。

 千寿は百瀬にどんどん日本酒を飲ませる。百瀬は顔色一つ変えずに、日本酒を煽り続けていた。


 百瀬は最後までこの荒れ寺に泊まることを嫌がっていたが、千寿の説得に渋々応じ、少し観光を楽しんでようやく覚悟を決めていた。それなのに、千寿と酒盛りすると湊よりも酒の強さを発揮する。


 あまり飲む機会が無かったが、百瀬は酒に強くないはずだ。

 ビール二本で眠ってしまうはず。それなのに、日本酒を水のように飲み進める姿に、湊も少し心配になる。ぼんやりしながら止めようとした。



「そろそろ止めとけ。気持ち悪くなっちゃうぞ」


「平気です。日本酒は飲み慣れてます」


「実家が神社なんだって~? 供えられるお酒は日本酒が多いから馴染みがあるのかなぁ」


「……そうですよ」



 どうにも含みのある返事に、湊は「モモちゃん?」と尋ねた。

 百瀬は湊から目を逸らして日本酒を飲み干す。答える気が無いのは分かっていても、これは注意しなくてはいけない。



「いつ飲んだの」


「……高校生の時です。若気の至りといいますか」


「その割に、慣れてるのがおかしいよね。大人になってから、モモちゃん飲むことなかっただろ」


「はは~ん。高校生の『頃から』飲んでるんだぁ」



 何か察した千寿が百瀬をからかうように言った。

 百瀬は慌てて千寿の口を塞ぐが、もう遅い。湊にはばっちり聞こえていた。

 百瀬は「時効ですから!」と言い訳するが、それを許せる湊でもない。

 時効だろうが、子供の悪戯で済ませるわけにはいかない。百瀬は千寿に隠れるが、千寿は笑うばかりで助けてはくれなかった。

 百瀬は大人しく湊の説教を受ける。

 ……湊の説教は1時間続いた。


 ***


 湊が酔い潰れた後、千寿と百瀬は酒盛りを続けていた。

 夜の1時に差し掛かる頃、月も空の上で傾き始める。


 千寿は鼻歌混じりに酒を注いだ。百瀬も、手酌で酒を飲む。

 千寿は目も合わせない百瀬に尋ねた。



「……おいちゃんの事嫌いみたいだねぇ」



 百瀬は鼻で笑って、「違います」と答えた。



「嫌い『みたい』じゃなくて、嫌いなんです」



 百瀬の直球な言葉に、千寿もカラカラと笑う。

「そうかい」と言うと、質問を変えた。




「……湊君は?」




 百瀬の手がぴたと止まる。

 百瀬は何も答えなかった。

 千寿はそれを知っていたかのように、言葉を続けた。



「百瀬くんは、湊くんと仲が良さそうに見えるけど、その実、君は湊くんを戦闘には参加させない。新幹線のチケットを探すときも君が探していたし、何か行動する時はだいたい、君が主導権を握っている。湊くんの意見も聞くけど、初手で動くのは何時だって百瀬くんだろう?」


「何が言いたいんです?」


「おいちゃんには、百瀬くんが湊くんを避けたがっているように見えるんだよね」



 千寿がそう言うと、百瀬は「どこに目がついてるんでしょう」と反論する。



「ミナちゃんには、怪我をしてほしくありません。危険な目にも遭ってほしくない。だから、私が先に行動して安全を確かめるんです。彼に、ちょっとでも危険が及ばないように」


「どうして?」


「言う必要があります? どうせ分からないでしょう」



 百瀬は千寿を突き放すように言った。

 千寿は一息つくと、自分の過去を話す。



「おいちゃんには、愛する妻と娘がいたんだよ。10年も前だけどね。娘は、生きていたら今頃……高校生だった」


「亡くなられたんですか」


「そうなんだ。その頃は、しがない会社員だったから、毎日仕事に追われてた。毎日、毎日。でも、子供が大事だったから、早めに帰る努力はしてたんだよ。でもね、ある日、仕事が終わらなくて久しぶりに残業した。本当は、明日早く来て仕事すれば、終わったんだけどね。でも、残業した。くたくたになって家に帰ったら……家が荒れてた」



 千寿は話す。

 部屋は荒らされ、妻はあられもない姿で発見され、幼い娘も風呂場で水に浮いた状態で発見された。

 妻は胸を複数回刺されて失血死。娘は溺死。どちらも、暴行された跡が残っていた。


 警察に通報し、捜査を進めるうちに、地元の不良集団の一人が自首をした。

 犯人が特定されたが、警察は『彼らの未来を守りたい』と千寿に話したという。不良たちのほとんどが書類送検で済んでしまい、法的な制裁は与えられなかった。


 失意の底で千寿は酒浸りになってしまい、毎日亡くなった家族を嘆いては、不良たちに怒りを抱いていた。



「ある日突然、転機が訪れたんだ」



 酒を買いに、ふらりと出歩いた先で不良たちを見つけたのだという。

 タバコを吸い、酒を飲み、仲間内で話す自慢話に、千寿の家族を襲ったことが使われていたのだ。


 千寿は怒りに燃えた。

 妻は恐怖の中、自分を呼んでいたかもしれないのに。

 娘は冷たい水の中で、何が起きているかもわからず泣き叫んだかもしれないのに。


 彼らはそれを理解もしていない。

 自分たちの功績としてしか、見ていないのだ。

 普通の日常を生きていた妻と娘を、いつも通りの家に帰るはずだった千寿を。その人生を。

 ……自分たちは、当たり前の生活を送れるのに。


 悔しかった。憎たらしかった。

 妻が受けた苦痛を、娘が押し付けられた絶望を。……愛する者を奪われた憎悪を。



 ——彼らにも味わってもらわなくては。



「……どうしたんです? それから」



 百瀬が尋ねると、千寿は静かに語った。

 彼の表情は、仄暗いが穏やかだった。




「……妻と娘、同じ死因で死んでもらったよ」




 自分にあると思ってなかった力で、行動力で、彼らに私的な制裁を加えた。

 彼らは自分の死を受け入れられなかった。自分たちの運命を拒絶した。

 千寿に懇願する者もいた。地面に額をこすりつけて、涙か鼻水か分からないもので顔をぐちゃぐちゃにして、千寿に生きる許可を求めた。



「おいちゃんには、許す強さが無かった」



 千寿は、一人残らず殺した。誰も息も聞こえなくなった頃、彼らの叫びを聞きつけた警察が千寿を逮捕した。

 千寿は警察に全てを話し、裁判を待った。

 千寿は判決を聞いて、乾いた笑いを零す。



『不良たちの事情は酌むのに、俺の気持ちは酌んでくれないのか。罪を犯した彼らの未来は大事にされて、殺された家族のあるはずだった未来はどうだっていいのか』




『地獄に堕ちろよ。クソッタレども』




 千寿の話を聞いて、百瀬は「ふぅん」とそっけなく返す。



「でも、出てきたってことは、執行猶予がついたってことですよね」


「ん? ついてないよ?」


「はぁ?」


「死刑の条件は、4人以上殺すか、放火するかだよ。おいちゃんが殺した不良集団は、7人いた」


「……まさか」



 千寿は笑った。

 花紋を見せて、悲しそうに笑っていた。



「死刑囚だよ。花紋が咲いたから、冥府の侵略が終わったら死刑執行なの」



 百瀬は「はっ」と乾いた声を上げる。

 目の前にいるのは、自分とは桁が違う悪者なのだから。

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