第26話 少し出かけよう

 朝の六時。

 湊は、廊下を忙しなく移動する足音で目が覚めた。

 薄ら寒い廊下に出ると、日向が朝ご飯の支度をしていて、日和が玄関の掃除をしていた。



「おはようございます」



 日和に挨拶をすると、彼女は丁寧にお辞儀をして挨拶を返してくれた。軒先に水を撒こうとしているが、伸ばした手がバケツに届かない。



「あれ、ここに置いたんだどもけどなぁ……」



 湊はバケツを持つと、取っ手を日和の手に当てる。日和は「ありがとう」と言って、掃除を済ませた。



「うるさがったべがかな。朝間から掃除するのが日課だしてだから


「いいえ。俺が早く起きただけです」



 湊は日和に手を貸して居間に向かうと、日向が小鉢の料理をテーブルに並べていた。

 日向は日和を見ると、「起ぎだが」と挨拶をする。



「ひよこ、箸出してけ出してくれ。湊、お前は盛り付けしろ



 日向は指示を出すと、料理に戻った。

 日和は食器棚の引き出しから箸を出すと、人数分か手で確認する。日向の隣で盛り付けをする湊が手を貸そうとすると、日向はノールックで「やめせやめてくれ」と湊を制止する。



「盲目でねんだじゃねぇよ。字が見えないだげ。物が見辛ぇ見づらいだげ。必要ねぇ助けだっきゃ、相手失礼でしかねどねぇよ



 日向に注意され、湊は自分の手伝いに戻る。

 日向が作っているのは卵焼きと大根の葉の味噌汁だ。湊が卵焼きを人数分に分けて皿に盛りつけていると、日向は冷蔵庫から数種類の漬物を出した。


 しば漬けとたくあん、桜漬けを小皿に盛ると食卓に並べる。

 その後、タッパーから筋子を出すとこれも別の小皿に入れて食卓に出す。


 湊も卵焼きの皿を食卓に持っていくと、大きなテーブルは日向の出した食事でいっぱいになっていた。

 先に作って出していたほうれん草のおひたしも、ごぼうサラダもあり、どこに置いたものか悩んでしまう。

 日和にスペースを作ってもらい、何とか皿を置くと、日向に百瀬とギン、千寿を起こしてくるように言われた。


 三人を起こし、居間に呼ぶと、百瀬は「宴会でも始まるんですか?」と口にする。

 朝食の定番のようなものばかりだが、それぞれ個別に皿が用意されていては、そう思うのも仕方がない。

 千寿は日向の料理に感動し、飲み物の用意を手伝った。


 ようやく朝食が始まると、日向は今日の予定を日和と共有する。

 日和は今日も先生の見舞いに行くようだ。日向は湊たちを連れて恐山に行くと言った。

 百瀬は勝手に予定を決められて驚いたが、千寿が「なかなか来れないから」と言ったので、反対しなかった。


 卵は甘いのに、全体的にしょっぱい朝食でご飯が進む。

 百瀬は筋子に「高級品だ」と感動していた。


 ***


 日和を病院に送り届け、日向たちは恐山に向かった。

 いくつものカーブを曲がって、山道を登る。車窓から見上げる木々の木漏れ日が淡く輝いていて、森林浴にはもってこいだ。

 しかし、日向はあまり嬉しくないようで、理由を聞くと『観光客かと思ったら死人だったということがしばしばある』との事だった。地元民らしい理由に、湊も苦笑いしてしまう。


 体感一時間くらいで霊場に着いた。

『恐山』という名前がつくくらいだから、心霊スポットのような場所だと思っていたが、思いのほか綺麗な場所で、目の前にある湖が清々しい場所だった。


 百瀬は硫黄の匂いに顔をしかめるが、千寿は意外と調子が良さそうだ。

 霊場の外に並んだ仏像に、湊と百瀬は納得した。



「ここは、霊域であるだけでなく、仏域でもあるんですね……」


「一応、龍神もいらじゃよいるぜかちゃくちゃねごちゃごちゃしてるよなだよな



 そう言われても、霊感がない湊にはよく分からない。

 入山料を支払い——日向は職場扱いなので免除——霊場に足を踏み込むと、湊は目を見開いた。



 ……——音がしない。



 聴覚的な異常はない。

 しかし、風の音も、水の音も、木の葉の音も、何もしないのだ。

 石を蹴ればちゃんと音はする。しかし、自然が立てる音が一つも無いのは不思議だ。命の音が消えてしまったような、まるで、死の世界に迷い込んでしまったような。



「霊場だどごでだからな



 日向は休憩所の戸を開けると、中に入る。

 休憩所の端に置いてある座布団を一つ持ってくると、部屋のど真ん中に座る。



周ってかさまい観光してこいわいは仕事あるがも知れねがらないから



 千寿は「分かった」と言って霊場を見に行く。

 湊もそれについて行った。ギンは百瀬と居たがったが、百瀬は休憩所に残ると言って、湊に同行するように命じた。


 湊たちがいなくなると、百瀬は日向の正面に座る。日向はメモ帳とペンを出すと、百瀬に差し出した。



「鼻コ痛ぐなっだど思ってらった思ってた。客だばならしゃねな仕方ねぇな


「仕事があるかも、なんて言ってたっぽいので。私はミナちゃんと違って方言分からないので、お手柔らかに」



 日向はメモ帳に書いてほしいものを伝える。

 呼び出したい人の名前と誕生日、そして命日。

 百瀬はそれらを書いて、日向に渡した。日向はそれを見ると、目を見開く。てっきり祖父母に会いたいのかと思っていたのだ。しかし、百瀬は呼びたい相手を間違えていない。その意志は固かった。日向は彼に確認する。



「ホントに間違っでないな?」


「はい」



 百瀬は日向に頭を下げた。



「……ミナちゃんのお父さんに、会わせてください」



 日向は困惑するばかりである。

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