第27話 恐山で何を思う

 百瀬は日向に湊の父親を呼び出すように頼んだ。

 日向は困惑したが、呼び出す相手が身内だけとも限らない。無理やり納得すると、書かれた情報をじっと見つめる。



「呼びてぇ理由、聞いでもいがべが良いだろうか


「……呼びたい理由、か? そうですね。彼の人の死因が、私にあるからです」



 百瀬は日向に話した。川での事故の事、湊の親は、父親しかいなかったのに、自分が奪ってしまったこと。

 そして、鈴音に言われた、『許していない』という言葉。


 もちろん、嘘の可能性はある。だが、嘘という証拠もないし、嘘ではない証拠もない。

 百瀬自身が、自分に言い聞かせたいのだ。鈴音の言葉は、百瀬を惑わすだけの言葉だったと。


 日向は興味なさそうに話を聞いていたが、百瀬の不安げな表情に目を細めた。



「……悪いな。この人、呼べねじゃないわ


「っ! どうして」


「……霊界いねんだいないんだ



 日向は百瀬に、冥界と霊界の説明する。


 冥界とは、死者が住まう世界のことで、そこにいわゆる地獄や天国がある。そこに入った死者は、刑罰の実施の他、生まれ変わりの準備をするため、霊能力者が手出しできる範囲ではない。


 対して、霊界というのは、死者たちの一時的な居場所で、裁判待ちをしたり、未練の消化や生きている人への伝言を預かれる場所。そこに滞在する日数は人によって異なるが、平均して七年くらいだという。



「この人は、霊界ない


「冥界にいる?」


だべなだろうな


「……やはり恨んでるんでしょうか」



 百瀬はため息をついた。日向は百瀬のメモをポケットにしまうと、彼の肩を叩いてゆすった。



「死んだ人のこどだっきゃなんて生ぎぢゅう生きてるさはにはわがね分からないもんだ。わいの仕事は、お互いの未練消化するこどだどもだけど、それが出来ない人もいらしてのいるからなそっだらそういう時はよぐ話コ聞ぐのもするしてのからな


「……それで、私の気持ちは報われますか?」


「無理だな。お前は、罪悪感が多すぎでまいダメだ



 日向の率直な答えに、百瀬は「そうですか」と言った。

 日向は休憩所を去る百瀬に言った。




「……恨まないよ。湊のおど親父だべだろ。なら、恨まないよ」




 日向は退屈そうに欠伸をした。

 百瀬はそんな日向に、少し嫌悪感を抱いた。



「どうしてそんなことが言えるんです? 会ったこともないくせに」



 とげのある言い方で日向を突き放すが、日向は気にする様子もない。それどころか、ごろりと床に寝そべって「んだじゃそうだよ」と適当な返事をした。



「会っだこどねどもないけど、息子さはには会ったどごでもんでな



 そのまま昼寝する日向に、百瀬は舌打ちをして背中を向ける。

 ひんやりとした部屋で、日向はもう一度欠伸をした。


 ***


 湊は霊場を、千寿の説明付きで観光していた。

 千寿はそれぞれの地獄で活躍する仏のことも交えて教えてくれるので、かなり有益な観光になっていた。


 霊場は広く、それでいて静かだ。空を揺蕩う雲も無く、涼しさを与える風もない。

 湊は頬を優しく撫でる硫黄の臭いに顔をしかめた。

 千寿は積まれた石を見下ろして、ため息をついた。湊は彼が妻子を亡くしたことを思い出す。声をかけようにも、彼の苦しみに寄り添える物などなくて、湊は伸ばしかけた手を引っ込めた。


 千寿はため息をつくと、「きっと」と呟いた。



「きっと、ゆっくり眠れてるよね。もう、随分時間が経ったんだもの」



 湊は彼の呟きに「そうですね」と力なく返した。

 どうしたら、誰かの心に寄り添えるのか。湊にはまだ、誰かの肩を寄せて慰めるような包容力が無かった。


 霊場から、湖が見える場所があった。

 湖は凪いでいる。ここにおいては、空を映す鏡でしかない湖だが、不思議と心が洗われる。眺めていると、心地良くなってきた。湊はすぅっと息を吸って目を閉じた。誰かの大きな手が、自分の頬を包んでいるように感じる。湊は目を開けた。……誰もいなかった。


 そろそろ一周するだろう頃に、百瀬が遅れて霊場を周っているのが見えた。湊が声をかけようとするが、千寿は百瀬の顔を見た瞬間に「止めておきな」と湊を止めた。湊が理由を聞こうとすると、百瀬はどこかの地獄の仏に目をやった。

 俯く彼の表情は分からないが、穏やかではない。

 千寿には分かるようで、「今は一人にしよっか」と湊を連れて日向と合流した。



 休憩所では、日向が大の字になって眠っている。

 自分たちしかいないとしても、こんなに無防備でいいのだろうか。

 千寿は日向を起こすと、日向は大きな欠伸をした。



「こんなとこで寝たら風邪ひいちゃうよ」


引がねじゃよ引かねぇよ。もう戻ったのな」


「うん。おいちゃんは十分。歳をとると疲れやすいね」



 千寿は日向と休息を取る。湊はギンに百瀬の様子を見てくるように頼み、持ってきたお茶を飲んで彼らを待つ。

 日向は湊がずっと休憩所の入り口を見てることに気が付くと、「心配が?」と尋ねた。

 湊が頷くと、なぜか大きなため息をついて呆れている。



などお前ら、めんどくせぇな」


「急に罵りますね」


話コ話し合いしねがらしないからすっだらごどさそんな事になんだって」



 湊は日向の発言の意図を理解できなかった。

 しばらくして、百瀬が戻ってくる。いつも通りの彼に、湊は安心した。

 帰りも日向の運転で山を下る。百瀬はふと、湊に尋ねた。




「誰かの過ちで、自分が死ぬことになったら。その人だけ助かるような状況だったら。ミナちゃんはその人を恨みますか?」




 ギンも千寿も疲れて眠る車内。湊は急な百瀬の質問に驚きながらも、真剣に答えた。



「——恨まないよ。そんな事したって、何の得にもならないだろ。自分の命で、その誰かが助かったなら、それでいいじゃないか」



 湊がそう答えると、百瀬は小さく笑った。

 日向に「ホントだ」と言うと、日向は「だびゃあだろ」返す。

 百瀬は湊の底抜けの優しさに、彼の人の面影を感じた。

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