第25話 迷う人々

 その日の夜、湊は眠れなかった。どうにも心がざわついて、落ち着かなかった。

 布団の中で何度も寝がえりを打っては、真っ暗な部屋の天井を眺めていた。

 隣の部屋から百瀬とギンの寝息が聞こえる。穏やかな寝息に、湊も口元が綻んだ。


 外では虫が途絶えず鳴いていた。湊はのっそりと起き上がると、足音を立てないように部屋を出た。

 水でも飲んだら眠れるだろうか……なんて考えながら、台所に向かうが、居間から電卓を叩く音が聞こえた。


 静かに居間を覗くと、スタンドライトの下で、日向が家計簿をつけていた。

 手帳の予定と財布の中身、口座の預金を照らし合わせて、「なしてやぁなんでだぁ」と呟く。

 計算が合わないのだろう。湊はこっそり立ち去ろうとしたが、日向が「待で」と言った。



「眠れねんだばないなら話コすべ話そう



 日向は湊に背中を向け続けている。湊は「分かるんですね」と居間に入った。

 日向はテーブルに置いた麦茶を飲んで「わがるじゃよ分かるわい」と、湊の顔を見た。



「音コでも、気配でも、 わいには分がる。こったらことこういうこと分がねば分からなかったらイタコ出来ねものないからな



 日向は台所から麦茶を注いで持ってくると、湊の前に置いた。

 湊は彼女の優しさに、気持ちが緩んだ。



「……俺、日向さんが怖かったんですよ。こんなに優しいのに」


んだのがそうなのかなも全然気にしねんでだ気にしなかった


「何言ってるか分かんないし、ちょっと強引だし。強気な人ってイメージがあったから。それに、こんなに強い女性を間近で見たこと無くて」


だびょんだろうな



 日向も自覚があるのか、電卓叩きながら相槌を打った。

 湊はふと、昼のことを尋ねた。




「使い魔たちに、どうして立ち向かったんですか?」




 日向の花紋は、どうしてか不完全だ。

 彼女は花紋の力を行使できない。それなのに、彼女は立ち向かった。そこから妹が離れても。残された千寿と百瀬のために戦った。

 日向の強さは本物だと思った。輝いているとすら思った。


 日向は湊の顔をじっと覗き込むと、ふと尋ねた。



「……お前、自分が必要でねがったらじゃなかったらないのが?」



 日向の問いの真意は何だ。湊が聞き返すと、日向はため息をついた。



「誰かが困っでて、他人の手が要らうっでなってだら、お前どぅすどうする?」



 湊は「手を貸す」と答えた。日向は「だべだろ」とペンを湊に向ける。

 日向は家計簿の記入を続けながら、湊に説教をした。



「重い荷物も、渡れない横断歩道も、誰が困っでだら手ぇ貸すっきゃだろ。喧嘩でもしてれば、止め行くっきゃだろ。使い魔だって同じだじゃ。強ェ奴いらったっているとしても、“自分が何もしなくていい”こどにはならねっけならないだろ



 彼女にとって、命を賭すことは普通の人助けと変わりなかった。

 危険の度合いで自分の立ち位置を考えていた自分が恥ずかしくなる。湊は無言で麦茶を飲んだ。


 日向は家計簿をつけ終わると、貴重品を端に避けて湊との会話に集中する。

 日向は言った。「湊が羨ましい」と。湊はその意味が分からなかった。日向は鼻で笑うと、「んだべなそうだろうな」と自嘲気味に言った。



「イタコの仕事は楽でねじゃない。でも、苦でもない。観光客は減ったどもけど、普段はバイトあるがら収入も困ねじゃらないさ。でも、わいはこの性格だしてだから誰も仲良くなれない



 日向の性格は直球が持ち味で、誰にも忖度しないから付き合う人を選ぶだろう。おべっかも使わなければ、嘘を嫌うような素直さだ。誰にでもあるような強さではない。だが、それと同時に、誰にも理解されない弱点でもあった。



けやぐ友達いねいない。親しい人も出来ない。ひよこは沢山の人囲まれるのに。わいは誰もいねいない。駅でなどお前たち見だ時、声かけねんでないで帰るべど帰ってやろうと思っぢゃあった思っていたんだ



 妬ましいから、なんて笑っているが、日向はあっけらかんとしている。

 嘘ではないだろうが、かと言って湿った感情という訳でもなかった。湊は笑って「そうですか」と言う。日向は少し間を置いて、また言葉を紡いだ。



「ひよこは、自分のせいでわいがどこも行がないって思っちゅうが思ってるけど、県外に出て上手くやってげる自信ねぇがら、出て行がね出て行かないだけで、ひよこはなも何一つ関係ねぇ。わいは臆病だ。臆病だがら、わい分がっちゅう分かってる人のとごで、生ぎでるだけだじゃなんだ



 日向は自分は弱いと思っているらしい。だが、彼女ほど勇敢な人はいない。

 湊はそのことを、昼の彼女の戦いぶりを交えて話した。



「日向さんが臆病だって言ったら、俺は臆病とすら言えないですよ。だって、俺、花紋持ちのくせに、戦い方を知らないし、誰かに守ってもらってばっかりだし。昼のあの時だって、日向さんは力の差なんて関係なく立ち向かったじゃないですか。日和さんが安全だって分かっても、止めなかったじゃないですか。俺は、戦う力を持っているのに、ただじっと見ていただけなのに。誰かのために動ける人が、自分の信念通せる人が、俺は羨ましい」



 湊の言葉に、日向は一瞬目を見開いて、堪え切れずに笑った。

 自分のセリフを笑われて、湊は少し恥ずかしい思いをしていた。そんなに変なことを言っただろうか。

 日向は目尻の涙を拭って、呼吸を整える。



はんかくせぇな馬鹿みてぇだな。お互い、ないものねだりしてまねまね良くない良くない



 日向は寝る支度をして、コップを洗う。湊は日向に言った。



「友達が欲しいなら、モモちゃんはどうですか? 俺は、日向さんより年上だから、話し合わないかもしれないですけど」



 日向は「馬鹿だべだろ」と提案を一蹴した。



年齢としけやぐ友達選ぶよんたようなでもねぇびょんじゃないだろ。千寿がけやぐ友達だんだなんだなどお前らけやぐ友達だぞ



 日向は片づけを済ませると、さっさと部屋に帰って行った。湊もコップを片付けて、部屋に戻る。

 さっきまで落ち着かなかった胸の内が、静けさを取り戻す。

 湊が布団に入ると、眠気が手を引くように訪れる。虫の声が子守歌のように響いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る