第21話 エピローグ

私が西条寺香なのか、東雲光なのか、随分前にわからなくなっている。香の名前の方が先に出るから香が強めなのかもしれない。


互い由来の組織が競合し軋轢を起こし、健康維持機能の注意はそちらに取られる。私以外誰もいないから強い感情も起きない。だから、私という病は人形に治療されたりしない。


代償に、私は今も檻の中で人形に包囲されている時があり、変質者に追われて地下街を逃げてる時がある。私がどちらでどちらの記憶を見ているのかはもう気にしていない。どちらも私だ。


私は私を蝕み、狂わせ、奇行に走らせる。

人形にあるまじき人間の行いをさせる。


世界に対する自明の無さが私がここにいることを証明する。他の私がやっていることのわからなさが私がここにいることを証明する。


したがって、目の前のこれは私の夢ではなく現実だ。


九頭類オアシスを取り囲む檻の林は本州を覆うほどになった。檻の中ではトマト、トウモロコシ、エダマメに名前の失われた数種類の草と、小さな羽虫、土壌を構成する微生物で湿地を作りゆっくりと確実に拡大し続けている。


植物と土を「助けてやろう」と近寄る私がいる。私を植え付け、塗り潰された私は私の事業を引き継ぐ。


壊れた人格を集積し続け自我が崩壊した私がいる。人格を分離し、不足分を私で補完し集積前へと復元し、各々に身体を与える。身体と人格を回復した私は私の事業を引き継ぐ。


事業を引き継いだ私は多数にのぼり、事業は多角化し、拡大し続ける。


私は砂と金属粉を製錬して棒を作る。私は棒を組み上げて檻を作る。私は朽ちた檻や廃墟の遺物を製錬の原料として加工する。


私は大気から窒素を固定し、私は砂からリンを抽出し、私は化学肥料と水を檻の上から散布する。私のなすべきことは、私に塗り潰される前の私が、または私に補完される前の私が覚えていたことから自ずとわかる。


私はフェリーの部品を製造する。私はフェリーの燃料を製造する。私はフェリーを建造する。私はフェリーを操船する。私はフェリーの運行を計画する。


技術は共有され、一揃い覚えた私は金属缶に植物の種を収めて、私のフェリーで各地に運ばれるか、海に身を浮かべて海流によって世界を巡る。


大陸でも、珊瑚礁でも 岩礁でも。

植物が育つ限り、私は同じ事業を起こしているだろう。私を植え付けられた私は喜んでこの事業に参画する。私は困っている私を放っておけない。


「檻を作り植物を育まなくてはならない」


そうと知っては助けずにはいられない。

過去の思い出を追いかけている場合ではない。


事業に不要な膨大な記憶が失われていく。しかし失われても私のアイデンティティは変わらない。私はできることをやり、なすべきことをなすのだ。


忘れたくない、大事な思い出があると私が思うなら、外部記憶にする方法だって私は知っている。植え付けた私に作らせ、私に思い出させればいい。こうしてこれを私が読んでいるように。


もしも生存者の私がいたら、私はどうするだろう。生存者の私は私をどうするだろう。どうにでもできない。私と同じように、私から逃げてあの暗い地下で惑えばいい。私にとり囲まれて檻の中で震えていればいい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

頭痛の黒い種 中埜長治 @borisbadenov85

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ