王国に捧げる鎮魂歌 ~巫戦士ラシュリと飛竜乗りのソーの物語~

滝野れお

第一章 出会い

第1話 巫戦士ラシュリ



巫女長みこおささま、ラシュリです。お呼びでしょうか?」


 重厚な木の扉を細く開け、ラシュリはそおっと部屋の中を覗き込んだ。

 本棚に囲まれた机の向こうには、白髪交じりの巫女長だけしかいない。

 ラシュリはホッと息をつくと、するりと部屋の中に体を滑り込ませた。


 彼女がこれほど用心深くなるのには訳がある。

 この神殿〈飛竜テュールの塔〉に仕える巫女の中には、ラシュリを見かける度に、チクチクと意地悪をしてくる女たちがいるのだ。


 巫女になれなかったのは事実だし、口下手なラシュリでは、彼女たちのにはとうていかなわない。だから、彼女たちには出来る限り会いたくない────というより、金輪際、例え一瞬たりとも会いたくないというのが、ラシュリの正直な気持ちだった。



「何のご用でしょうか?」


 巫女長の執務机の前で姿勢を正し、ラシュリは両手を後ろに組んだ。

 スラリと背の高い彼女は絹のような白金の髪を高い位置で一つに束ね、灰色のチュニックとズボンに黒革のブーツを身に着けている。しかも、鍛錬の途中だったのか、上半身には黒革の短甲たんこう(簡易鎧)と、腰には剣まで帯びている。


「ラシュリ、あなたに頼みたいことがあるのよ」


 巫女長は視線を上げてラシュリを見つめた。

 彼女の顔はとても青白く、少し見ない間に一気に老け込んだようだった。


「実は、神殿に安置されていた〈炎の竜目石〉が盗まれてしまったの」

「えっ……」


 巫女長の言葉にラシュリは衝撃を受けた。

 盗まれた物に覚えはなかったが、ラシュリはイリス王国の神殿〈飛竜テュールの塔〉を守る巫戦士ふせんしだ。自分の知らぬ間に神殿の宝物が盗まれたことは大問題だった。


(盗賊に入られたことに、誰も気づかなかったなんて!)


 ラシュリはギリっと唇を噛みしめた。


「盗まれたのは、いつですか?」


「たぶん、一昨日おとといの夜よ。昨日の朝には盗難に気づいたのだけど、どう対処するか決めかねていたのよ」


 巫女長は、頭痛を堪えるように額を押さえている。


「〈炎の竜目石〉は、その名の通り、燃える炎が内包された赤い石なの。あの石で呼び出すことが出来る飛竜テュールは、とても危険な力を持っているのよ。人が契約を結ぶことなど出来ないほどね。だからこそ、この神殿に安置されていたのだけど……」


「石を盗んだ者は、それが、危険な飛竜テュールを呼ぶ石だと知っていたのでしょうか?」


 飛竜は聖獣ではあるが、契約を交わせば呼びかけに応じて現れ、契約者を背に乗せて空を飛ぶ。それ以外の能力など持っていないはずだ。

 ラシュリは、巫女長の言葉をすぐには信じることが出来なかった。


「そうね。犯人は、そのことを知っていて盗んだのかも知れないわ」


 巫女長は眉を寄せて目を伏せたが、すぐに何かを振り切るように首を振り、真正面からラシュリを見つめた。


「ラシュリ、急いで〈炎の竜目石〉を探してちょうだい。出来るだけ極秘裏にね。盗まれてからもう一日以上経っているわ。今頃はもう、イリス王国の外へ出ているかも知れない」


「国外に? なぜそう思うのです? 内部の犯行の可能性はないのですか?」


「神殿の者ではないわ。いえ、かつて、ここに居た者の、可能性はあるかも……」


 巫女長の言葉は歯切れが悪く、そして弱々しかった。

 ラシュリの知る彼女は常に厳格で、幼子であった自分にも甘い顔は見せなかった。それが今は、青白い顔で不安を隠そうともしない。


(老いたか……いや、単に余裕が無いだけか?)


「もしや、巫女長さまは、犯人をご存知なのですか?」

「いいえ」


 巫女長は即座に首を振ったが、ラシュリはそれを信じることが出来なかった。


(犯人を知らないなら、いったい何を恐れているんだ?)


 これ以上追及しても答えてはくれないだろう。

 ラシュリは頭を切り替えて、もう一つの疑問を口にした。


「なぜ、私だけを、ここへ呼んだのですか?」


「それは……この件に人手を割けないからよ。巫女候補だったあなたなら、飛竜テュールの声も聞けるし、戦士としての力もある。だから、あなたを選んだのよ」


(ああ……そういうことか)


 心の奥に追いやったはずの古傷が、ズキリと痛んだ。

 遠き幼き日、巫女候補の少女たちと共に神殿で育ったラシュリは、天空にいる飛竜テュールと交信する力が足りず、巫女になれなかった。


 巫女候補でなくなった途端、ラシュリの住まいは、きれいな神殿から薄汚れた孤児院に移された。あの時の失望と胸の痛みは、今も胸の奥にくすぶり続けている。

 必死に鍛錬し、巫戦士の地位を手に入れたのは、惨めなまま生きたくなかったからだ。


『ここから抜け出したいなら力をつけろ! 血を吐くくらいの努力をしてみろよ!』


 孤児院にいた男の子。もう名前も忘れてしまったが、ギラギラした緑色の瞳の彼にそう叱咤され、ラシュリの心にも火がついた。


「────わかりました。私が必ず、その竜目石を探し出します。国外へ出た可能性があるなら、まずは竜導師ギルドへ行こうと思いますが……竜導師ギルドは〈炎の竜目石〉の存在を、というか、危険性を知っているのでしょうか?」


「いいえ、知らないわ。話すか話さないかは、あなたに任せます」


(丸投げか……)


 ラシュリは苦笑を浮かべた。


「わかりました。では、すぐに出立し、竜導師ギルドの本部へ向かいます。あそこなら、世界中の竜目石の動きをつかんでいるでしょうから」


 ラシュリは深く一礼して、巫女長の部屋を後にした。




 白大理石の廊下を大股で歩き、ラシュリは白い巫女服の少女たちを避けるように出口へ向かった────のだが。

 よほど運が悪いのか、ラシュリが神殿の扉から出て行こうとした時、ちょうど入って来た巫女の集団とかち合ってしまった。しかも最悪なことに、彼女たちはラシュリと共に育った若い巫女たちだった。


「あら? ラシュリじゃない! 少し見ない間にまた逞しくなったわね。まるで、都から来る殿方のようよ」

「いやだリリンったら、殿方のようだなんて失礼じゃない!」

「あら、わたくしは褒めたつもりよ」


 クスクスと声を潜めて笑い合う巫女たちに、ついつい視線が引き寄せられる。

 重い物など持ったこともない華奢な体。水仕事をしたことのない白魚のような手。白い巫女服を纏った彼女たちの前で、ラシュリは剣ダコだらけの手をぎゅっと握りしめた。


「あなた方も息災そうで何よりだ。急いでいるので、私はこれで」


 追いかけてくる甲高い声を遮断して、ラシュリは急ぎ足で神殿を後にした。


 宿舎に戻るなり荷造りをし、最後に騎竜用の分厚いマントを羽織る。

 寝台と物入くらいしかない狭い部屋にはそれなりに愛着があったが、今はこの場所から出て行けることが単純に嬉しかった。



 鞍を担いで外へ出て行くと、もう鍛錬は終わったらしく広場には誰もいなかった。

 ラシュリは首に下げた革紐を服の中から抜き出した。革紐の先には白く輝く竜目石が括りつけられている。

 ラシュリはその竜目石を、ゆっくりと空に掲げた。


「カァル! 来てくれ!」


 ラシュリが天に向かって呼びかけると、広場にゴォーっと風が舞った。

 昨夜降ったばかりの初雪が風に巻き上げられ、雪煙のようになって再び舞い落ちて来る。その粉雪の中に、いつの間にか白い飛竜テュールが姿を現していた。


 カァルと名付けたラシュリの相棒は、額に一本の角がある、とても美しい純白の飛竜だ。首筋に沿って流れる銀色のたてがみがキラキラと輝いている。


「久しぶりだな、カァル。来てくれてありがとう!」


 長い首を下ろして挨拶に応えてくれた飛竜カァルに、ラシュリは両手を伸ばして頬ずりをする。固い鱗は痛いが気にならない。最後に銀色に輝くたてがみに口づけして挨拶を終えると、ラシュリはカァルを見上げた。


「南へ向かう。ベルテ共和国にある竜導師ギルドの本部だ。一緒に行ってくれるか?」


 ラシュリの問いかけに、飛竜は嬉しそうにケェーと鳴いた。


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