第8話 ラシュリの過去



 翌朝、ラシュリたちは無事に国境の検問を通過し、モラード王国の空を飛んでいた。

 国境を越えると大地の色が少しずつ緑色へと変化してゆき、やがて農作地や森が見えてくる。今まで砂漠の薄茶色ばかり見ていたせいか、緑の大地にホッとする。


「きれいだろ?」


 ラシュリの思考を読んだかのように、ソーが話しかけてくる。

 声が届く距離まで飛竜を寄せてくるソーに、ラシュリは眉をしかめた。


(こいつ……少しは反省しているのか?)


 ソーの右頬には、ラシュリの手形がくっきりとついている。


「ソー、あまり近づくな。飛竜テュールの翼がぶつかったらケガをさせてしまうぞ!」


「だいじょーぶだよ! 飛竜テュールはそんな馬鹿じゃないって!」


 ソーの言う通り、飛竜たちは常に互いの間合いを測りながら飛んでいる。それでもラシュリは、無防備に近づいて来るソーが鬱陶うっとうしくて仕方がなかった。


「カァル、リュザールから距離を取ってくれ!」

「ケェェェェ」


 カァルは一声鳴くと、ふわりと上昇し速度を上げた。


「ええーっ! 待ってよラシュリ!」

「ソー! 追って来るな!」



 壮大な追いかけっこの後、ラシュリたちは昼食をとるために、木々に囲まれた高台の草原に飛竜を下ろした。


「ひどいよ二人とも! 僕を置いてきぼりにするなんて!」


 シシルが口を尖らせて文句を言っている。

 訓練生のシシルは操竜術が未熟だ。そのことを忘れて追いかけっこに興じていたラシュリとソーは、苦笑いを浮かべながらシシルに謝った。


「あー、シシルはどっちかっていうと、飛竜乗りテューレアより竜導師志望だもんな」


「なるほど。知的なシシルには向いているかも知れないな。シシル、私のチャラガンをあげるから許してくれないか?」


 ラシュリは砂漠の町の宿で用意してもらった昼食の中から、小さな黄色い実をシシルの前に置いた。


「え、いいですよ。ラシュリさんが食べてください」


 シシルはそう言ってチャラガンの実を押し戻す。


「シシルは金持ちの息子ボンボンだから、がっついてないんだよ」

「やっぱりそうか。そんな気はしていたよ。シシルは言葉遣いや所作に品があるからな」

「はっ、どーせ俺は育ちが悪いですよーっだ!」


 膨れっ面のソーが、ラシュリの顔に触れそうなほど顔を近づけてくる。ほとんど嫌がらせである。


「なぁ、俺たちの話しばっかじゃなくて、アンタの話も聞かせてくれよ。巫戦士になる前は何してたの?」


「私か? 私は……生まれてこのかた神殿しか知らない。親の顔も知らないんだ。そういう意味で言えば、私もソーと同じ孤児だ」


 ラシュリがそう言うと、ソーとシシルは驚いたように座り直した。


「物心ついた時には神殿で暮らしていた。これでも私は巫女候補だったんだよ。でも、他の子に比べると、飛竜テュールの声を聞く力が弱かったんだ。

 巫女候補から外れた私は、神殿の外れに建つ孤児院に移された。孤児院での暮らしは、神殿とは比べ物にならないほど惨めなものだった。

 そこで出会った年上の少年に叱咤されなければ、とても希望を持つことは出来なかっただろう。彼には感謝しているんだ。

 女の子は神殿にも働き口があるし、それが嫌なら近隣の町へ出て働く道もあった。でも私は、巫戦士になることを選んだ。巫戦士になれば飛竜に乗れる。結局私は、自分の中にある僅かな能力を捨てることが出来なかったんだ」


 ラシュリは肩の力を抜いてふぅとため息をつく。


「私が話せるのはこれくらいだ。もっと話せと言われたら、女同士のイジメの話くらいしか出来ないが、どうする?」


「ひぃ……女の人のイジメって、何か怖そう」

 シシルが悲鳴を上げた。


「ま、男同士のイジメも見られたもんじゃないけどな」

 

 ソーも苦笑いしている。

 彼らがラシュリの過去をどう思ったのかはわからないが、話をイジメの方へ逸らしたのは、彼らなりの気遣いなのだと思うことにした。


「ソー、日が暮れるまでにどこまで飛べる? 泊れそうな町はあるか?」


 ラシュリは地図を広げた。

 今日中にモラード王国を縦断出来れば、明日にはラン川を渡れるだろう。このままイリス王国へ入れば、ジュビア王国との国境はすぐだった。



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