第9話 喧騒の町



 モラード王国の北辺。

 イリス王国との国境を流れるラン川には、流れの穏やかな場所に渡し船の船着場があり、その近くには大抵宿場町がある。


 川が二つに分かれる場所は岩が多く急流になるので、その少し手前の宿場町が一番栄えているとは聞いていたのだが、実際に行ってみると人が多くて騒然としている。


 元々の住民に加え、行商人や護衛士、吟遊詩人流れの歌うたいらしきキタラを背負った麗人もいれば、いかにも破落戸ごろつきといった風情の男たちが、町の大通りを闊歩しているのだ。


 何とか今夜の宿を確保したラシュリたちは、情報収集のために町へ出た。


「見た感じ、レラン王国から逃げて来た人が多そうだな。渡し舟の船着場からこっちへ来る奴ら、みんな濃い金髪か茶色い髪の奴ばかりだ」


「ああ。確かに、私のような白金の髪は少ないな」


「ってことは、イリス王国よりも、レラン王国の方が危機的状況にあるってことなのかな?」


 大通りを歩いて来る人は皆、大荷物を背負ったり荷車に乗せたりしている。行商人だけにしては人数が多すぎる。


「だろうな。家を捨てて逃げ出すには、よほどの覚悟が必要だ。それでも逃げてくるなら、それほど酷い状況なんだろうな」


 シシルの問いに答えて、ソーは肩をすくめた。


「そっか。あの人たちは、家を捨てて逃げて来たんだね」


 避難民に同情したのか、それとも、そんな危険な場所にこれから行くことに怯えているのか。シシルがしょぼんと俯いた時だった。


 キャァァァァァ!


 甲高い悲鳴が響き渡った。


 悲鳴の聞こえた方へ素早く視線を巡らせると、大通りの片隅にぽっかりと開けた空間が見えた。皆が面倒を避けて遠巻きにしているのだ。

 その場所には数人の破落戸ごろつきがいて、その中の一人が、年頃の娘の腕を乱暴につかんでいる。


「俺たちゃ、この娘に身の回りの世話を頼みたいだけだ。俺たちの宿に来てもらって、ほんの一晩世話してくれるだけでいい。もちろん、ちゃんと金も払うさ!」


 男が手の平を返すと、チャリンと音を立てて小銭が散らばった。

 周りにいる男たちがヒヒヒと下卑た笑い声をたてる。


「いやぁ! 助けて父さん!」

「お、お願いします。娘を放して下さい!」


 近くにいる両親は地面に這いつくばっている。彼らの傍にはまだ幼い子供の姿もあり、どう見ても、手も足も出ないといった様子だった。


 ラシュリは視線だけを動かして隣を見た。彼女の隣には、ひょろりとした金髪ノッポが立っていて、同じように破落戸たちを睨んでいる。


「ソー、行けるか?」

「ああ。いつでも行けるよ」

「シシル、おまえは安全な場所で待機していてくれ」

「は、はいっ!」

「では行こう」


 ラシュリは、左手で剣の鞘を押さえて駆け出した。

 神殿に仕える巫戦士には誓約がある。剣を持たぬ弱き民が危機に瀕していれば、必ず救済するという誓いだ。例えそれが異国の民であっても見捨てることは出来ない。

 人波を逆流し、ぽっかりと開けた空間に駆け込むと、破落戸たちが一斉に視線を向けてくる。


「何だてめぇら! 文句でもあんのか?」


 娘を抱えた男がいきり立つと、ソーがずんずん前に出た。


「あったりまえだろ! 天下の往来で何やってるんだ! 娘を放せ! さもないと、俺たちが相手になってやる!」


「俺たち? ひとりはどう見ても女じゃないか」


 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら、仲間の男たちがぞろぞろと前に出てくる。

 あからさまに女を馬鹿にする破落戸たちの言葉には耳を貸さず、ラシュリは冷静に彼らを観察した。


(五対二か。得物は剣だけのようだが……あの娘を盾に取られたらマズいな)


 男に羽交い絞めにされた娘は、可哀想なほど青ざめている。


「おい、おまえ」

 ラシュリは娘を抱えた男を指さした。

「私と賭けをしないか?」


「賭けだと?」


「そうだ。その娘を解放して私と戦え。一対一が嫌なら五対二でも良いが……私が負けたら、その娘の代わりに一晩お前たちのお世話をしてやるが、どうだ?」


 ラシュリの言葉に破落戸たちの目の色が変わった。ヒューと口笛を吹く者。ニヤニヤしながらラシュリの身体を舐めまわすように見る者もいる。


「ちょっ、ちょっとラシュリ! 何言ってんだよ!」

「大丈夫だ。負けなければ良いのだからな。それともソーは自信が無いのか?」

「んな訳ないだろ! 俺が全員のしてやるよ!」

「その意気だ」


 ハハハと笑ってソーの背中をバシッと叩いた時、男が娘を手放した。


「その賭けに乗ってやろう。後悔するなよ!」

「もちろんだ」


 二人を包囲するように散らばりだした男たちを見て、ラシュリは微笑んだ。

 男達の背後には、解放された娘を抱きしめる父親の姿が見える。その父親に、ラシュリは向こうへ行けとばかりに顎をしゃくった。


「やれ!」


 男の号令で一斉に剣を抜く破落戸たち。

 ラシュリとソーも、すかさず剣を抜く。


「ソー。私の背中をおまえに預ける。頼んだぞ」

「お、おうっ! って、ちょっと待て!」


 流れるように動き出したラシュリに、ソーは追いつくのがやっとだった。

 何しろ彼女は、かかってくる男たちの剣を薙ぎ払いながら目まぐるしく動くので、背を守るも何もあったものではないのだ。


「くっそぉ!」


 ソーはやけくそになって剣を繰り出した。

 男と剣を合わせ、ギリギリと力比べをしていたところへ、後ろからもう一人がかかってくる。ソーは前にいる男に足蹴りをかまし、剣が離れたすきに後ろの男の顎に剣の柄をお見舞いして気絶させた。倒れた男の腹にとどめの足蹴りを入れたところで振り返ると、ラシュリはもう戦いを終えたらしく、彼女の足元には三本の剣が転がっていた。


 どういう訳か三人の男のズボンは足元まで下がっていて、彼らは不格好な内股で立っている。どうやら、彼らのズボンの紐が切れているらしい。


「私たちの勝ちで良いか?」


 ラシュリが問いかけると、男たちは慌ててズボンを引き上げ、訳の分からない捨て台詞を喚きながら逃げて行った。


 パチパチパチパチ


 遠巻きにしていた人々から拍手が沸き起こる。


「無駄に目立ってしまったな」

「俺も見たかったなぁ。アンタが奴らのズボンの紐を切るところ!」

「怪我を負わせるより、戦意を喪失させた方が良いだろう?」


 ラシュリがソーに笑いかけた時、背後から強烈な視線を感じた。

 振り返ってみても、二人を囲んでいるのは陽気に笑いながら拍手をする旅人ばかり。特に怪しい人影は見えない。


「ラシュリ? どうかしたのか?」

「いや、何でもない。宿へ帰ろう」


 人ごみの中から駆け出して来たシシルと合流し、三人は宿へと向かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る