第10話 邂逅


「夕飯にしようぜ」

 というソーの一声で、ラシュリたちは宿の食堂へ足を向けた。


 食堂の扉を開けた途端、溢れんばかりの喝采が巻き起こる。

 店の中を忙しく歩き回っているはずの給仕係も足を止め、食事中の客たちもラシュリたちのいる方へ体を向けて歓声を上げたり拍手をしている。


「いやぁ、さっきは痛快だったよ!」

「すげぇな姉ちゃん! その細腕であの破落戸ごろつきたちをやっつけちまうんだもんなぁ!」

「兄ちゃんも強かったぞ!」


 どうやら大通りの騒ぎを見ていた者がいるらしく、食堂中に話が広まっている。


「いやぁ~、そんなぁ、当然の事をしたまでっスよ」


 ソーは照れたように金色の髪をワシャワシャとかき回す。

 見知らぬおっさん達から称賛を浴び、バシバシと肩や二の腕を叩かれているソーはご満悦のようだが、男嫌いのラシュリは、あちこちから伸びてくる手から逃げるのに必死で、席に座る頃にはどっと疲れていた。


「これは店のおごりだ」


 注文した川魚のムニエルと野菜のシチューに加え、果実酒の瓶がテーブルに置かれた。


「わー、おっちゃんありがとな!」


 ニコニコ顔のソーに対応を丸投げして、ラシュリはシチューを口に運んだ。


(味がわからないな)


 ラシュリは眉をひそめて、胸に手を当てた。


 ドク ドク ドク ドク


 妙な胸の動悸が続いている。

 緊張している訳でもないのに、異常なほど大きな鼓動が脈打っている。


(何だろう? 嫌な感じだ……今夜は早く休もう)



「────それにしても、ずいぶん旅人が多いっスよね。みんなレラン王国から川を渡って来た人っスか?」


「ああ。ラン川の向うはきな臭くなっちまってな。川を渡ってくる人の中には、黒い飛竜に町を襲われた人もいるらしいよ」


 ラシュリの向かいに座るソーは、食事をしながらごく自然に周りの男たちから情報を聞き出している。

 興味深い話なのに、ラシュリは胸の鼓動が気になって会話に集中することが出来なかった。


(一体何なのだ?)


 こんな、ゾクゾクするような動悸を感じたのは、叱責されるのがわかっていて巫戦士長の部屋に呼び出された時以来だ。

 

(これでは落ち着いて食事も出来ないな)


 握った拳でトントンと胸を叩いてみるが、鼓動が治まる様子はない。


「ラシュリさん、具合でも悪いんですか?」

「いや。大丈夫だ」


 シシルに心配され、ラシュリが慌てて首を振った時だった。

 氷の矢を射られたかと思うほど、冷え冷えとした鋭い視線が真横から突き刺さった。大通りでの騒動の後に感じたのと同じ強烈な視線だ。


 そっと横を見ると、ソーを囲む男たちの後ろに怪しげな人物が見えた。壁際のテーブルで、灰色のフードを被ったまま食事をしている男だ。


(あいつか?)


 ラシュリが睨むと、男は一瞬ラシュリの方を見て笑ったようだった。彼はそのまま立ち上がると、給仕の女に金を渡して外へ出て行く。


「シシル、少し外の風にあたってくる。すぐ戻るから心配しないで」

「あ、はい」


 シシルが頷くのを見てから、ラシュリはゆっくりと立ち上がり男の後を追った。




 食堂の外は冷たい風が吹いていた。

 上着を置いて来たことを少し後悔しながらラシュリが辺りを見回すと、男はすぐそこの壁にもたれて煙草を吸っていた。まるで、ラシュリが追って来るのがわかっていて、待っていたかのように。


 ラシュリは男を観察した。

 灰色のフード付き外套。その内側に着ているのは黒い服で、見る限り帯剣はしていない。

 フードからこぼれているのは銀色の髪。色白の肌にすっきりと伸びた鼻筋。

 前髪に半分ほど隠れた双眸はきれいな緑色で────その下にある微かな傷痕を見た瞬間、ラシュリは思わず叫びそうになった。

 男の顔に見覚えは無い。それなのに、不可思議な既視感に溺れそうになる。


(私は……あの男を知っている?)


 目をみはるラシュリの前で、男がゆっくりと壁から離れた。


「ラシュリ」


 何の躊躇ためらいもなく、男はラシュリの名を呼ぶ。

 その低い声を聞いた時、記憶の底にしまいこんでいた幼い頃の記憶が蘇ってくる。


「…………イェグレム……なのか?」


「そうだ。覚えていてくれたんだな」


 灰色のフードを払いのけ、イェグレムはラシュリに近づいて来る。

 短く刈られた銀髪が、まだ幼かったかつての彼の姿と二重写しになって見えた。


 彼と別れたのは十年以上前だ。

 同じ孤児院で育った仲間だ。

 嬉しい再会のはずなのに、ラシュリはその場に突っ立ったまま動けなかった。


『ここから抜け出したいなら力をつけろ! 血を吐くくらいの努力をしてみろよ!』


 彼の言葉で、ラシュリは巫戦士を目指した。

 彼のお陰で、劣悪な孤児院から抜け出すことが出来た。

 だからこそ、彼の言葉にはいつも感謝していたはずなのに────なぜか、彼の名前を思い出せずにいた。


(そういえば、イェグレムはいつ、孤児院を出て行ったんだっけ?)


 ラシュリの中にある、彼に関する記憶はとても曖昧だ。


「会いたかったよ。ラシュリ」


 目の前に立つイェグレムが、ラシュリの両手をすくい上げた。

 咄嗟に手を引こうとしたが、イェグレムの両手にがっちりと包まれて動けない。

 見上げれば、宵闇の中ですら不思議な光を放つ緑色の瞳がラシュリを見つめていて、その瞳に、危うく意識が吸い込まれそうになる。


 ゾワリ、と背筋に悪寒が走った。

 ソーに触れられた時とは比べ物にならない不快感が押寄せて来る。


「イェグレム、手を放してくれ。私は……」

「知ってるよ。男が苦手なんだろ?」


 ハッと息を呑むラシュリを見て、イェグレムはスッと目を細め、口端だけで笑う。


「男嫌いの巫戦士が、わざわざ神殿を離れた理由は一つしかない。おまえ、〈炎の竜目石〉を追って来たんだろ?」


「なぜ、それを!」


 嫌な予感がした。

 歯切れの悪かった巫女長の言葉が、記憶の海に浮かんでくる。

 あの時彼女は、の可能性があると、言っていなかっただろうか。


「お、まえ……まさか」


「そう。〈炎の竜目石〉は俺が盗んだ。おまえに捜索を命じたって事は、巫女長は俺が犯人だと気づいていたのかも知れないな」


 緑色の目を細めてイェグレムは笑う。

 いったい、何がそんなに楽しいのだろうか。

 彼は〈炎の竜目石〉を盗んでどうするつもりなのだろう。

 ラシュリは彼の胸倉を掴み上げて追及したかったけれど、実際には、身動き一つ出来なかった。


「俺は今、ジュビア王に仕えている。ラシュリ、おまえも来ないか?」


 イェグレムはラシュリの耳元に顔を近づけてそう囁いた。

 その瞬間、ドクンと心臓が跳ねた。

 苦しいのに、思うように息が出来ない。

 釣り上げられた魚のように、ラシュリは喘いだ。


「なにを……言っている? 私は〈飛竜テュールの塔〉の巫戦士だ。ジュビアに仕える気などない!」


 ラシュリは猛然とイェグレムの誘いを撥ねつけた。

 つかまれた両手をひねり必死に振りほどこうとしているのに、イェグレムの手はどうしても振りほどけない。


 ガンガンと頭が痛んだ。

 目の前にいる男は危険だと、体が警鐘を鳴らしている。

 

 彼は本当に、かつて自分に勇気を与えてくれた少年なのだろうか。

 こんな得体の知れない闇を、彼は纏っていただろうか。

 触れ合った手のひらから闇が侵入してくるような恐怖を感じ、ラシュリはブルブルと震え出した。


(や、だ……いやだ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!)


 ラシュリは首を振り、全身全霊でイェグレムを拒絶した。


「返事は急がない。よく考えてくれ」

「考えても、答えは変わらないっ!」


「────そーだそーだ! とっとと失せやがれ!」


 どこから現れたのか、ソーがイェグレムの手首にスパッと手刀を落した。

 イェグレムはソーから距離を置くように後ろへ飛び退くと、チッと舌打ちをする。


「邪魔が入ったな。ラシュリ、また会いに行くよ」


「二度と来るな!」


 ラシュリの代わりにソーが叫ぶ。


 イェグレムはフッと笑みを浮かべ、灰色の外套を翻して暗闇の中に消えてしまった。


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