第26話 黒竜と赤竜


 ――――カンカンカンカンカン!


 まだ明けきらぬ早朝の砦に、けたたましい鐘の音が鳴り響く。

 緊急事態を知らせる鐘の音に、半分微睡まどろんでいた国境の砦は目を覚まし、急激に活動を始める。


 階下のあちこちからは兵士たちの緊迫した声が聞こえてきていたが、塔の屋上に残ったラシュリは、やや明け始めた薄青い北の空を見上げていた。

 彼女の視線の先には、徐々に近づき大きくなる黒い飛竜の群れがいる。ラシュリは胸に手を当てて、ゆっくりと深呼吸をした。


(黒き飛竜テュールよ! 私の声が聞こえるか?)


 呼吸を整え、思念で呼びかけてみる。

 昨日もこの場所から黒竜に呼びかけたが、残念ながら彼女の声は届かなかった。

 戦闘中だったから心話が届かなかったのかも知れない。そう思い、もう一度呼びかけてみたのだが、やはり黒竜たちからは何の反応もない。


(魔道で操られているせいか? それとも、私の力が弱いせいか?)


 幼い頃、ラシュリは飛竜と交信する力が弱かったせいで巫女候補から外された。

 一昨日の夜、再び再会したイェグレムはその過去の出来事を否定した。本当は、〈炎の竜目石〉に共鳴したラシュリの存在が恐ろしくて飛竜の塔から遠ざけられたのだと。

 そう言われても、長年培ってしまった劣等感はそう簡単に消えてはくれない。


「――――カァル!」


 ラシュリが中空に向かって呼びかけると、空に真っ白な飛竜カァルが出現した。

 カァルは、ケーと一声鳴くと、ラシュリのいる塔の屋上に静かに舞い降りてくる。


「おはようカァル。来てくれてありがとう」


 クルルルルルと、甘えるような声で鳴きながら首を下げてくるカァルの鼻先を撫でると、ラシュリは真剣な目でカァルの瞳を見つめた。


「カァル。頼みがある。あの黒い飛竜たちに呼びかけてくれないか? 出来るなら、彼らと戦いたくないんだ」

「ケェー」


 うなずくように首を振りながら頭を上げたカァルは、一塊になって飛ぶ黒竜の群れに向けて、クルルルルルと呼びかけた。

 何度も何度も呼びかけるカァルの声を聞きながら空を見上げていたラシュリは、グッと眉を寄せた。距離が近づくにつれ、黒竜の数が昨日よりも多いことがわかる。


「二倍……いや、もっと多いな」


 昨日は七頭の黒竜を倍以上の数で迎え撃ち、討伐隊が勝利を収めた。しかし、今日は目視出来るだけでもおよそ二十頭の黒竜がこちらへ向かっている。


(同数で戦って、果たしてこちらに勝機はあるのか?)


 北の空を見つめるラシュリの視界を、砦から飛び立ったばかりの飛竜がかすめてゆく。灰色の体に薄紫色のたてがみを持つ飛竜だ。


「あれは……アティカス隊長か?」


 ヒューゴの騎竜に続き、黒竜討伐隊の飛竜が次々と砦から飛び立ってゆく。

彼らは黒竜を待ち受けるように、森の上に広がりはじめる。


 丘の上に建つ国境の砦からは、ジュビア王国との境に緑の絨毯のような森が見下ろせる。これは国境に沿って帯状に広がる緩衝地帯の森だ。山や川や砂漠のない平地の国境には、相手国との摩擦を回避するためにこうした場所がある。


「ケェー!」


 カァルの呼び声で、ラシュリは我に返った。

 悲しげなカァルの「声」が伝わってくる。


「そうか……ダメだったか。ありがとう」


 同胞カァルの呼びかけにも応じないのであれば、もはや戦うしか道はない。もちろんラシュリは部外者で、この場で戦うことを許されてはいないが――――。


「ラシュリ! ここにいたのか!」


 ハァハァと息を切らせながら、ソーとシシルが階段を駆け上がってきた。

 黒竜来襲を聞いてラシュリを探しに来たのだろう。廊下で枕を抱いてだらしなく眠りこけていたソーも、今は緊張に顔を強ばらせている。


「俺たち、どうすればいい?」


 そう問われて、ラシュリは一瞬空を見上げた。すでに空では黒竜と討伐隊の戦いが始まっている。


「そうだな……シシルは安全な場所へ非難して、そこからこの戦いをしっかり見ていて欲しい。シシルは頭が良い。どんな些細なことでもいいから、彼らに助言できるくらい、しっかりと観察するんだ」


「わ、わかりました!」


 シシルが緊張で体を硬直させる。


「俺は?」


「ソーは……今から討伐隊の指揮下に入れ。アティカス隊長は出撃しているけど、二人の副長のうち一人は砦に残っているはず。見ての通り、黒竜と討伐隊はほぼ同数だ。一人でも戦力が欲しいと判断すれば出撃許可が下りるだろう。副長を探して指示を仰ぎなさい」


「わ、わかった。ラシュリは?」

「私はここに居る」

「わかった!」


 ソーとシシルはきびすを返し、上ってきたばかりの階段へ走る。

 その背中を見て、ラシュリは思わず叫んだ。


「二人とも! 最大の任務は生き残ること。忘れないで!」

「おうよ!」


 ラシュリの言葉に大きく手を振り上げて、二人は階段を駆け下りてゆく。

 その背中を見送り、大きく息を吐いた途端、ラシュリの背を悪寒が走った。


 未だかつて味わったことのない、恐れとも歓喜ともつかない不思議な感情が湧き上がる。と同時に、波動のような黄金の光が弾ける。


「なんだ……これは?」


 まばゆい光の中、思わず両手で自分の体を抱きしめる。その手はブルブルと震えていた。


 ラシュリは恐る恐る顔を上げた。

 光の根源へと目を向けた瞬間、ラシュリは目を大きく見開く。

 黒竜と討伐隊が入り乱れる森の上空のさらに遠くに、赤黒い飛竜が翼を広げていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る