第25話 早朝の砦で


 辺境の砦といえど、王族や高位貴族が視察に来ることは希にある。そのために設けられた貴賓室に、ラシュリは泊まることが出来た。


 野郎どもばかりの砦に女性が泊まる場所などないので、これは国境警備隊隊長ゲイスの粋な計らいである。

 あくまでも砦の中にある部屋なので置かれた調度品は質素だが、部屋はそれなりに広い。大きな寝台の他に長椅子とテーブルもあり、広い窓からはレラン王国側の町並みと、町を囲む森がよく見える。


 宿場町の宿では、イェグレムのことばかり考えていたせいで一睡も出来なかったが、ここでは一晩ゆっくりと眠ることが出来た。


(有難いことだ)


 寝台から起き上がり、まだ薄暗い空を見上げながら、ラシュリはフッと口角を上げた。

 昨夜は食堂で、兵士たちからちょっとした質問攻めに合うも、ソーとシシルが盾となって代わりに答えてくれた。その後、ラシュリが部屋へ戻ると、ソーが枕を抱えて貴賓室の扉の前に座り込んでいた。


『俺が見張っておくから、ラシュリは安心して眠ってくれ。あ、鍵は絶対にかけろよ!』


 そう言って枕を抱えた。

 ソーのことだ。きっと、今もまだ扉の前で眠っているのだろう。そう思うだけで、思わず笑みがこぼれてくる。


 ラシュリは手早く身支度を調えると、貴賓室のドアを開けた。

 案の定、ソーは扉の前で枕を抱えて眠っている。

 ラシュリはソーを起こさないように気をつけながら部屋を出た。


 早朝の砦はまだ眠っている。起きているのは夜番の兵士か、朝食を用意する厨房の使用人くらいだろう。

 らせん階段を上り、昨日上った砦の屋上へ出る。

 外は風が強く、後頭部で束ねたラシュリの髪が横に流れた。


「寒っ」


 冷たい風にマントの前を掻き合わせた時、屋上に先客がいることに気づいた。


「……アティカス隊長?」


 思わずつぶやくと、空を見上げていた人影が振り向いた。


「巫戦士殿か。早起きだな」

「アティカス隊長こそ……まさか夜番をしていたのですか?」


 ラシュリはやや足早にヒューゴの元へ歩み寄る。


「目が覚めてしまったのでな。……いや。本当は、夜中に黒竜に襲撃されたらひとたまりもないと思うと眠れなかった」

「ああ……」


 ヒューゴ同様、ラシュリも昨日初めて黒竜を目にした。町を破壊する様子や兵士たちと戦う姿を見て戦慄せずにはいられなかった。だからこそ、あの黒竜が大挙して押し寄せて来る可能性を説いたのだ。

 ヒューゴは黒竜討伐隊を率いる責任ある立場だ。彼はその可能性を重く受け止め、夜通しその対策を考えていたのだろう。


 ラシュリはぐっすり眠ってしまったことが少し後ろめたくて、ヒューゴから目をそらした。すると、その視線を追うように、ヒューゴが背をかがませてラシュリの目をのぞき込んでくる。


「巫戦士殿。あなたは、あの黒竜たちが、魔道であるべき姿を変えられた普通の飛竜テュールだと言った。

 ジュビア王国に黒魔道を操る魔道士がいることは俺も知っている。ならば、あなたの探している赤い飛竜にも、黒魔道の力が及んでいると考えるべきではないか?」


 ラシュリは弾かれたようにヒューゴを見上げた。

 彼の茶色の瞳が、今は黒く陰っている。


「あなたは、怖くはないのか?」


 ゆっくりと言葉をかみしめるようにヒューゴが問いかけてくる。


「正直に言えば、怖いです」

「ならば、何故ここにいる? 巫戦士といえど、あなた一人で戦える相手ではない。例え逃げ出したとしても、誰もあなたを非難することは出来ないだろう」


 ヒューゴの言葉は、まるで早く逃げろと言っているように聞こえる。

 ラシュリはゆっくりと首を振った。


「例え非難されなかったとしても、逃げることは出来ません。私自身が許さない。

 確かに、私一人の手には負えないかも知れない。何一つ結果を出せずに死ぬかも知れない。それでも、例え何も出来なかったとしても、逃げ出してしまったら、生きている限り、逃げ出したという後悔が一生つきまといます。私はそれが嫌なのです」


「命を失っても?」

「ええ。命を失ってもです」


 暗い、茶色の瞳と、青い瞳が交差する。

 続く言葉もないまま、じっと見つめ合っていた時だった。


 カンカンカンカン――――。


 砦全体を揺るがすほどの大音量で、鐘の音が鳴り響いた。


 ハッと息をのんでヒューゴが空を見上げる。

 同じく空を見上げたラシュリは、遠くの空にあるひと塊の黒い物体に目が吸い寄せられた。

 それはものすごい速度で近づいてくる。


「黒竜だ! 砦の中に戻れ!」


 ヒューゴはそう言うやいなや、らせん階段を駆け下りてゆく。きっと、起きている者だけ連れて出撃するつもりだろう。

 残されたラシュリは、空を見つめたままその場を動かなかった。

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