第19話 再会


 ラシュリが食堂の外へ出ると、冴え冴えとした濃紺の夜空に、白く煙った吐息が昇っていった。


 雲一つない満天の夜空には、無数の星がキラキラと輝いている。

 宿場町の表通りは人影もなく静かだ。ラシュリは部屋に戻る気にもなれず、かといってソーたちと合流する気にもなれず、ひとり寂れた夜の道を歩き出した。

 少しでも良いから、頭の中を整理したかった。


(もしも、本当に赤い飛竜が現れたら、私はどうなるのだろう?)


 そんな疑問が、何度も何度も波のように押寄せて来る。


 神殿に安置されていた〈炎の竜目石〉。その竜目石で呼び出されるのは危険な飛竜だ。そんなものと対峙し、天に還すことが本当に出来るのだろうか。


(正直……不安しかない)


 ラシュリは今頃になって、ソーたちを連れて来たことを深く後悔していた。


(私が倒れたら、あの子たちは私を置いて逃げてくれるだろうか? 間違っても助けになど来ないで欲しいが……)


 見上げた星空に、能天気なソーとシシルの顔が浮かんで見える。

 彼らはラシュリの言葉を信じ、この大陸の未来まで心配してここまで来た。

 自分と出会ったせいで、まだ若く、戦いの経験もない彼らの命をみすみす散らせることになるのではないか。

 そう考えるだけで、ラシュリの気持ちは深く沈むのだった。



 星を見上げながらぼんやりと歩くうちに、ラシュリはいつの間にか、宿場町を囲む石積みの郭壁かくへきまで来てしまった。

 思いがけず遠くまで来ていたことに気づき、宿へ戻ろうと踵を返した時だった。


「────ラシュリ」


 囁くような、それでいて鋭い声に呼び止められた。

 振り向くと、郭壁近くの木の陰に人影が見えた。


 大きな人影だ。きっと男だろう。

 そう察して、ラシュリは思わず身構えた。


 木の陰から灰色のマントを纏った男が姿を現した。男はラシュリにゆっくりと近寄りながら、マントのフードを少しだけずらした。

 月光に白く光る銀髪。

 フードから現れたイェグレムの顔を見ても、ラシュリは驚かなかった。


「どうして……ここに?」


 ついさっきまで彼のことを考えていたせいか、目の前に現れた男の瞳の暗さに、ラシュリは思わず息を呑んだ。


(いったい、彼の身に何があったのだろう? 十年の月日が、あの少年をこんなにも変えてしまったのか?)


 呆然と立ち尽くすラシュリに、イェグレムが歩み寄る。彼は暗い目をしたままラシュリの両手をすくい上げた。

 ラシュリはハッと身構えたが、不思議なことに鳥肌は立たなかった。それどころかイェグレムの手は温かく、以前のような嫌悪感は少しも感じない。


(あ……れ? 男嫌いの発作、治った?)


 ラシュリは目を瞬きながら、自分の手を包むイェグレムの両手を眺めた。

 顔を上げれば、困ったように眉尻を下げたイェグレムの顔が目に入る。


 目の前にいるのは十年前の恩人ではなく、〈炎の竜目石〉を盗んだ危険な男だ。

わかっているのに、何故だか手を振り払う気持ちにはなれなかった。

 ラシュリは息を吐いて気持ちを整えた。


「この前と同じ話をしに来たのなら、私の答えは変わらない。イェグレム……あなたは何故、ジュビア王国に手を貸しているの?」


 じっと見つめながらそう問うと、イェグレムのまぶたが微かに震えた。


「ああ……その話をすると長くなるからな。まぁ……簡単に言うなら、俺を弟子にしてくれた爺さんがジュビアの魔導師だったんだ。だから、まぁ、成り行きってやつかな?」


 イェグレムはそう言って苦笑を漏らす。


「その魔導師に、〈炎の竜目石〉を盗めと命じられたの?」

「そういうこと。まぁ、神殿のやつらに対する不信感もあったけどね」

「不信感?」


 眉をひそめるラシュリを見て、イェグレムは肩をすくめた。


「俺たちのいた孤児院が、どれだけ最悪だったか忘れたのか? 神殿の奴らは貴族のような暮らしをしていたくせに、俺たち孤児には屋根の下で寝られるだけで感謝しろって……冗談じゃない! 腹いっぱい食べることも出来ず、やせ細った俺たちによくそんな事が言えたもんだ。あの頃は生きることに精一杯だったけど、神殿を良く思ってなかったのは俺だけじゃないはずだ」


 イェグレムの言う通りだった。

 ラシュリは抜け出すことに必死だったけれど、中には恨んでいた子もいただろう。


「でも、それだけじゃない。俺は……おまえが巫女になれなかった理由を知ってるんだ」

「……え?」


 思いがけない言葉に、ラシュリは目を見開いた。


「何を言ってる? 私が巫女になれなかったのは、飛竜と交信する力が足りなかったから────」

「それは表向きの理由で、本当は違うんだ」


 ラシュリの手を包むイェグレムの手に力がこもった。


「昔……食べ物が足りなくて、よく神殿の食糧庫に忍び込んでたんだ。

 あれは、おまえが来たばかりの頃だよ。うっかり迷い込んだ部屋で、巫女長と神殿長が話してるのを聞いちゃったんだ。あいつらはおまえの話をしていた」


「私の、話?」


「そうだ。やつらは言っていた。ラシュリ……おまえが巫女候補から降ろされたのは、〈炎の竜目石〉に共鳴したからだ。〈炎の竜目石〉を封印しておきたい神殿にとって、共鳴者であるおまえはわざわいにしかならない。だからやつらは、おまえを神殿から遠ざけたんだ!」


「そ……んな、こと」


 突きつけられた言葉はあまりにも衝撃的で、ラシュリは言葉を失った。

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