第22話 老魔導師との出会い


 赤く、黒く、息をするように明滅する竜目石。

 老魔導師に促されるまま伸ばした手が、つるりと冷たい〈炎の竜目石〉に触れた途端、イェグレムの意識は急速に遠退いていった。


 体の感覚が失われてゆく。

 魂だけが大空に投げ出されたような、音のない水の中に沈んでゆくような、茫漠とした空間に解き放たれたような、心許ない気分になる。


(ラシュリ……)


 薄れゆく意識の中で、イェグレムは必死に彼女の顔を思い浮かべようとしたが、記憶の中の彼女はみるみる透明になって消えてしまった。



 〇〇



 今から十五年ほど前のことだ。

 孤児院の近くの森の中で、イェグレムは老魔導師と出会った。


「────ほぅ。おまえ、風の加護があるな。わしの弟子になるか?」


 薪集めをしていただけなのに、一目で魔力持ちであることを見破られた。

 灰色のフード付きマントを纏った老魔導師は見るからに怪しく、イェグレムも最初は用心していたが、穏やかな顔で能力ちからを褒められれば悪い気はしなかった。


 イェグレムは十四歳になったばかりで、ちょうど、孤児院を出た後の身の振り方を考え始めた頃だった。

 何度か森で会ううち、彼から魔道を教わるようになった。


「おまえは本当に筋が良いのぉ。その銀の髪から察するに、ジュビア王国〈魔道三家〉の落しだねかも知れんのぅ」


「魔道三家? 何それ?」


「ジュビアには、王に仕える魔導師の家系が三つあるんじゃ。わしも三家の一員でな、諸国を放浪しながら名のある竜目石を探しておるのじゃ」


「へぇ~」


「そうじゃ、おまえ、知らぬか? 〈飛竜テュールの塔〉には力のある竜目石が安置されているだろう?」


「名のある……竜目石?」


 イェグレムは眉をひそめた。


「そうじゃ。その竜目石に共鳴した者がいるはずなのだが、町で聞いても誰も知らなかった。あれだけ力のある竜目石に共鳴者が出れば、噂の一つや二つあるはずなのだが……」


(こいつ、ラシュリを探しているのか?)


 教えてやればこの老魔導師は喜ぶだろう。けれど、それは良くない事のような気がした。

 だから、イェグレムは何も知らないふりをして、用心深く質問を返した。


「聞いた事ないなぁ。竜目石に共鳴するとどうなるの?」

「呼び出した飛竜を自由自在に操れるんだ。すごいだろう?」


「うーん。まぁ、すごいとは思うけどさ、ここに共鳴した者がいるってわかる爺さんの魔力の方が、俺はすごいと思うな!」


 イェグレムの少年らしい賞賛に、老魔導師は相好を崩した。


「魔道三家の筆頭ともなれば、力のある竜目石の存在はどんなに遠く離れていてもわかるのさ。もちろん、その石が共鳴の光を発すればそれもわかる」


「へぇ、それじゃ、その人がどこにいるかもわかるの?」

「いや。残念ながらわからん。共鳴の光は一回きりだったからな」


「じゃあ、共鳴した人は神殿のお客さんだったのかも知れないね。きっとさ、共鳴したことに気づかないで帰っちゃったんだよ!」


 イェグレムは笑顔でそう言ったけれど、内心は、心臓が飛び出すのではないかと思うほどバクバクしていた。


(あの子を、守ってやらないと……)


 何年も世話を焼いて、ようやく笑顔を見せてくれるようになったのだ。ラシュリを守れるのは自分しかいない。何としても彼女の存在を隠さなければ。

 そんな一心で、イェグレムは一つの答えを出した。


「爺さんの弟子になれば、世界中を旅できるんだろ? 俺さ、十五になったら孤児院を出なくちゃならないから、一緒にその人を探してやるよ」



 〇〇



 今でも、あの時の決断が間違っていたとは思わない。

 ただ、自分にも別の人生があったのかも知れないと思うと、羨望の想いが湧き上がってしまう。


(ラ……シュリ)


 体の主導権は既に老魔導師に奪われている。

 五感は失われ、イェグレムの意識は体の奥に追いやられて、ぼんやりと自分の体を後ろから見ている感じだ。


 老魔導師に操られたイェグレムの体は、いつの間にか城の外へ出ていた。彼は手に持った明滅する竜目石を夜空に向かって掲げている。


(召還を、するのか?)


 ゴォーッと風が渦を巻いた。

 夜空から、赤黒い飛竜が苦し気な咆哮を上げながら舞い降りてくる。


 止めたくても、イェグレムの意思とは関係なく召喚の儀は進んでゆく。

 どんなに願っても、指先ひとつ自分の意志では動かせない。それどころか、一瞬でも気を抜けば自分自身が霧散してしまいそうだった。


(しっかりしろ!)


 せめて心を失わないように、イェグレムは必死に己を鼓舞するしかなかった。

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