第5話 小さなオアシスにて



「オアシスというのは綺麗なところだな。この広大な砂漠の中にいると、水や緑の美しさがどれほど尊いか良くわかるよ」


 泉の畔に座り、ラシュリは目を細めた。

 風に揺れるナツメヤシに、キラキラ光る青い泉。異国情緒満載の風景は、いくら見ていても飽きることはない。

 長年、閉鎖的な神殿にいたラシュリにとっては、見るものすべてが美しく輝いて見えた。



 朝早くに竜導師ギルドの本部を出発したラシュリたちは、目的地であるジュビア王国の国境を目指して飛び立った。そして太陽が中天に達する頃、この小さなオアシスを見つけたのだった。

 ナツメヤシに囲まれた小さな泉でのどを潤し、携帯食をかじる。水筒の水もしっかり補給した後、ラシュリは泉の水を両手ですくい顔を洗った。


「冷たい」


 透き通った水は、砂漠の暑さからは想像もつかないほど冷たかった。もっとも、季節が冬に向かっている今は、昼間でも夏のような酷暑ではない。


「ラシュリさんの飛竜テュール、めっちゃ綺麗っスよね」


 ソーはナツメヤシが影を落す砂の上に寝転んで、仲良く並ぶ三頭の飛竜を眺めている。ラシュリの白い飛竜とソーの薄緑色の飛竜。それに、砂と同じ薄茶色のシシルの飛竜だ。


「ありがとう。でも、そういう褒め言葉は、カァルに直接言ってあげてくれないか? きっと喜ぶよ」


 ラシュリは自慢の相棒を見ながら微笑みを浮かべた。

 三頭の飛竜は、互いにクルルルルルと鳴き交わして、人にはわからぬ交流をしている。


「へっ? 褒めるって……やつら、人の言葉がわかるんスか?」


 ソーはひょいと起き上がり、大きな榛色ヘーゼルの瞳をラシュリに向けた。


「もちろんだ。……まさか、知らなかったのか? 逆に、言葉無しでどうやって彼らテュールに目的地を伝えるんだ?」


「それは、だから訓練だよ。手や足で体を叩いて合図したり、体重のかけ方で合図するんだ」


「は? それではまるで下等生物扱いじゃないか! 竜導師ギルドは、人と飛竜テュールが同等だという事を忘れてしまったのか?」


「そ、そんなこと言われても……俺らはそう習ったんだ。なぁシシル? 別にギルドの肩を持つ訳じゃないけどさ、俺らはアンタら神殿の教えなんて一度も聞いた事ないぜ!」


(神殿の教えを、聞いたことが、ない?)


 ラシュリは愕然とした。

 だが、言われてみれば、〈飛竜の塔〉の巫女たちは天空の神と交信するため、常に塔にこもっている。

 祈るだけで何もしなくとも、イリス王国に守られているから衣食住には困らない。だから、自ら進んで教えを広める者もいない。

 彼女たちを守る巫戦士も、またしかりだ。


「二人とも……飛竜テュールの名前は、自分でつけたのか?」

「ああ。俺の相棒はリュザールだ。カッコイイだろ?」

「ぼ、僕の飛竜テュールクムって言うんだ。砂の色にそっくりだから」


 得意げに相棒の名前を言うソーとシシルの様子を見て、ラシュリはホッとした。


「良かった。竜導師ギルドでは契約の仕方も違うんじゃないかと心配したが、名前の交換はさすがに外せないよな」


「え? 交換はしてないよ。自分の飛竜テュールに名前を付けるだけだよ。な?」

「う、うん」

「…………そう…………なのか」


 一度安心した分、ラシュリの落胆は大きかった。

 大陸の主だった都市には必ず神殿がある。なのに、いつの間にか〈飛竜テュールの塔〉の教えは消えてしまい、今では竜導師ギルド独自のやり方が広まっているらしい。


 ラシュリ自身はギルドのやり方を認めることは出来ないが、それもこれも〈飛竜の塔〉の怠慢が招いたことならば、彼らに怒りをぶつけることは出来ない。


「少し、歩いて来る」


 ラシュリが立ち上がると、ソーが慌てて立ち上がった。


「ちょっと待てよ! 言いたいことがあるんなら、飲み込まないで言ってくれよ!」


 歩き出そうとするラシュリを止めようと、ソーは彼女の腕に手を伸ばした。

 ゾワリ────。

 ソーに腕をつかまれた瞬間、ラシュリの全身に悪寒が走った。


「うわっ、ラシュリさん鳥肌立っさぶいぼ出てるよ!」

「はっ、放せ!」


 ラシュリは青ざめたまま、ソーの手を振り払おうとしたが、逆に強く握り込まれてしまう。


「嫌だよ! ってか、何で俺が触ったら鳥肌立つさぶいぼ出るんだよ!」


 ソーは頬を膨らませて不満を露わにしている。

 彼にしてみれば、ラシュリから「触れられたくない存在だ」と認定されたようなものだ。


「おまえのせいじゃない。私は、男に触れられる事に慣れていないんだ。神殿は女社会だからな」


「へっ? それって……つまり、今まで男に触られたことがないってこと?」


「そういう訳ではない。子供の頃に住んでいた場所には男の子もいたからな。ただ、竜導師ギルドの本部は男ばかりで、少々居心地が悪かった」


「あー……確かに。竜導師ギルドは男社会だからな。でもさ、神殿にだって結婚する人はいるんだろ?」


「いや。巫女も巫戦士ふせんしも結婚はしない。それが嫌で辞めてゆく者もいるが、私はこの仕事に誇りを持っている」


「ええっ! ラシュリさんほどの美人が……もったいない!」


 ソーは空いている方の手を額にあてて、大げさに嘆いている。


「勿体ないとは、どういう意味だ? 神殿の暮らしは確かに窮屈だけど、特に不満はない。たまに、こうして外へ出られれば、日頃のうっぷんも晴れるしね。さぁ、早く手を放してくれ」


「えー、嫌だよ」


 子供がイヤイヤをするように、ソーは体を左右に振る。

 駄々をこねているというよりも、面白いおもちゃを見つけた好奇心の方が強いのかも知れない。


「いいから放せ!」

「いーやーだーねー!」


 ラシュリは猛然とソーの腕を振り払ったが、相手は年下とは言え男。しかもラシュリよりも上背のあるソーは、ヒョロヒョロの見かけによらず意外に力がある。


「シシル! この男を何とかしろ!」

「えっ、僕が? 僕の力じゃソーに負けちゃうよ」


 じりじりと後退してゆくシシルにため息をつき、ラシュリは仕方なく相棒の名を呼んだ。


「カァル! この男と少し遊んでやってくれ!」

「ケェエェェェ!」


 トットットッと助走をつけて、白い飛竜がフワリと浮き上がる。

 頭上すれすれに飛んできたカァルの足が、ソーの体をむんずと掴んだ。


「ひぃぇえぇぇぇぇ」


 ソーは驚きのあまりラシュリの腕から手を放し、悲鳴を上げながら空高く運ばれて行った。


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