第14話 心機一転


 ーーこんにちは、新しい日々。


 と変化した毎日を笑いたいのだが、愛花は大して変わっていない。

 まあ、黒髪が艶々して髪を整える時間が短くなったり。少し前向きになったおかげで、健康になったかもしれない。学校も真面目に通っているし、このまま普通の人として過ごしていけるのかもという希望を抱いていた。


 母と朝の食卓を囲む。しかし、変わってしまった日々もあった。


「ママ。ママって変だよ」

「私が変なら、愛花も変よ」

「……変かな」

「変よ」


 よく分からなくなったが、当たり前の顔をして、食卓に座っている彼が悪くないだろうか。流石に知らない人が家にいて、それも、普通にご飯を食べているのだ。

 今日の朝食は、漬け物、だし巻き卵、ワカメの味噌汁、白ごはんに海苔。食べ過ぎると消化不良で体調が悪くなるので、あっさりと済ます。というか、そんなに食べられない。


「お箸の使い方が素晴らしいわ」


 彼は綺麗に、丁寧に箸を使っている。


(普通にご飯、食べられるの、知らなかった)


 長い間一緒に居るのに、彼が普通の料理を食べているところを見たことがなかったので、愛花はそれに驚いた。隣に居ることは多かったけど、彼自身のことをあまり知らないのに気付く。


 今度、魚を焼いて出したら、骨が見事に標本なって出てくるかもしれない。炒った小粒大豆を食卓に出してみたら、どのように食べるか、見てみたくもある。

 

 愛花は手を止めて、食べ進める彼を見つめて想像する。きっと綺麗に食べ切って。そして、ご馳走様、美味しかったと言ってくれる。……言うよね? 彼があまりにも意思を言葉で伝えようとしないので、不安になった。


「ねえ、お名前は?」


 母が不意にそう言った。


 ーーそれは、禁断の質問だった。


 愛花は、彼の名前を知らないのだ。長い付き合いだというのに、一切知らなかった。そもそも名前がない可能性が高い。


 シーンと部屋が静まり返った。しかし、彼は気にせず食べ続けている。


「……名前は?」

「……」

「マ、ママ。彼の名前はね、えー、龍! ……稀龍きりゅう」


 ふいに彼が顔を上げた。名前、もしかしてあった? と不安になったが、彼は問題に感じなかったのだろう。こくんと首を縦に振り、ご飯を食べ進めていく。


「あら、愛花……。もしかして」


 母が口元に手を当てて、ニヤニヤと微笑んでいるのを感じる。母は恋バナが好きである。年頃の娘に、好きな男の子がいないのではないかと心配していた様子だったので、ニヤニヤと笑ってしまうのはしょうがないのだが……。


(この空気は、何なんだろう。彼が好きなのは間違ってはいないのだが、いたたまれない)


 生暖かい目で見られて、母の視線から逃げた。いや、あの、えと、言葉が出てこない。次第に深まっていく笑みが目の端に入ってくる。

 詳しく話を聞こうとしてくる母を無理やり誤魔化して、愛花は朝食を食べることに集中した。


 彼はいつものごとく何も言わない。顔を上げたと思ったが、もくもくと姿勢良く、静かに箸を進めていた。わざわざ人型になって、家のご飯を食べている理由もわからない。ほんと、わからない……。こういうところを理解しようとする方が間違いかも。


「……外出しようかな」

「いいじゃない。遊んで来なさい」


 現実逃避しようと、愛花は外に気を向ける。


 せっかくの休日だ。涼みに、川にでも行こうか。山の紫陽花を見に行くのもいいかもしれない。食材の買い出しでも、ついでにしようかな。ケーキでも作ってみようか。


 彼の方をチラリと見る。似合わない。


 ……いや、和菓子? 作ったことないけど、レシピはあったと思う。わらび餅、ようかん、白玉とか。抹茶のロールケーキなら、ほぼ洋菓子なので多分失敗はしないはず。時間かかるけど。


 日差しがきついので帽子を被り、そのまま彼と一緒に外に出た。母はいつまでも微笑んでいた。



 1人は、緩いTシャツにジーパン。黒地に白で大きさがバラバラにNoteと刺繍されている野球帽を被り、耳に多数のピアスをつけている。それだけではなく、右手の中指には関節を覆うほどの大きなシルバーの指輪。

 1人は、全身真っ白で肌を見せない格好。パンツだけが少しだけベージュの色味が混ざっているが、それも申し訳程度の薄ーい色だ。上から下まで裾がひらひら余っていて、長い髪まで白い。


 田舎道の、樹木が溢れる表通りから外れた場所。

 2人は目立っていた。否応なしに目立っていたが、それに彼らは気づいていなかった。


「行きはよいよい、帰りは怖いって何の歌だっけか?」

「カゴメ唄?」

「それはかーごめ、かごめじゃね? ……なんかここ来てから、そのフレーズが思い浮かぶんだよな」

「とおりゃんせか」

「あ、そだ。通りゃんせ、通りゃんせ、だな」


 通るのは許してくれても、帰るのは簡単には許してくれない感じがする場所だな、ここは。


 ぶつぶつ呟く。


「それにしても、ここの住人鈍いなぁ。こんなとこで暮らしてたら、狂うぞ? 盆地のせいか、住宅街は鬼門側で、端にはダム湖。裏鬼門なんて、塞いでやがる。霊が入っても出れねーだろ、これじゃ。……わざと溜めてるとしか言えない土地だな」

「穴を開けるか?」

「土地ごと壊すみたいな、アホなこと言うな。地形を変える気かよ」


 アホか? 白い方の男が不思議そうに呟く中、黒い男は無視して周囲をキョロキョロと見回す。


 霊どころか、何でこんなに魑魅魍魎どもがいる? と疑問が増していくばかり。現代日本で、昼間から複数の妖怪や伝説上の生き物が現れるなんてありえないことだった。この土地は、外(現代社会)から隔離されていたと聞いたが、その影響なのだろうか。


 ーーパァーン! 


 人差し指と親指を伸ばし、他の指を折り曲げた銃の形を作り、道行く人々を撃っていく。パァーン、パァーン! と口にしながら、引き金を引くように、指を動かした。


「つまんな」


 端から消えていく、彼らに取り憑いていたもの。弱すぎて抵抗すらなく、呆気ない。こんな土地に来たのだから、もっと手応えのある何かに出会えると思っていたのだが、と残念に思う。


「くだらんことに力を使うな」

「は? くだんなくねーよ、調整だよ。他界と同じで、鈍くなってんだよ。生え抜きの坊ちゃんのくせして、こういうのは気付かねーのなんなの? 経験足りなさすぎわろた」

「……お前は時々、日本語とは思えないものを話す」

「オレとお前で話が通じないのは、いつものことだろ」


 いい加減にしろ、時頼。怒ったように鋭く声を尖らせる。


「おっと、名前は呼ぶなよ。オレはクロ、お前はシロくらいでいいんじゃねーか」

「……犬か猫か」

「そーだよ、にゃんにゃん!」


 猫の真似をして、両手を丸くするクロ。……シロは、完全に無視し始めた。



「……っち。繋がらねー」


 スマホを開いて、暇つぶしをしようとしたが全く動かない。故障ではなく、土地の問題だ。


「電波は悪いし、Wi-Fiは飛んでない。3Gの一本だけ立っても、意味ねーじゃねか。ど田舎め」


 ズボンの後ろにスマホをテキトーに仕舞った。

 視線を感じて、後ろを振り返ると塀に登っている猫がいる。黒、茶、白。三毛の柄だが、見るからに普通の猫ではなかった。いわゆる猫又というやつである。


「変な人間が入って来たって聞いたが、本当に変な奴らだなぁ。この土地に添わん人間だわ」


 また、猫が現れる。茶色い縞々で、デカい。


「都会もんは都会にいりゃあ良いのにヨォ。田舎田舎と馬鹿にして、都の何が偉いんじゃ。山道も歩ききれん軟弱者どもの集まりが」


「なんだぁ、お前ら。見てんじゃねーよ」


 わらわら出てくる猫どもは、どこに隠れてやがったんだ。クロは周囲の気配の多さに驚くと共に、やはり鈍くなっていると思った。


「おっ、見えるやつじゃないかぁ。厄介だ、厄介だ。愛し姫に伝えてやろうかねぇ」

「珍しいなぁ。面白いなぁ」

「揶揄うと面白そうだよ」


 尻尾を目の前でぶんぶん振られて、コソコソ噂話をされる。クロの顔に向かって、空き缶が飛んで来た。片手で跳ね返すが、馬鹿にされている。


 喧嘩を売られた。なら、買うしかねーだろ。



「ぶぁーか! コッチだな!」


 愛花はスーパーで買い物を済ませ、暑さから逃れるために裏道を通りながら、一度荷物を下ろすために家に帰ろうとしていた。

 そこで見かけたのが、何やら走っている猫たち……と男の人。


(なに、この人。猫を追いかけ回してる)


 愛花は不審な男を目にして、物陰に身を潜めた。見るからに近付いてはいけない類の人だった。見た目も派手で変な感じがしたので、さらに怪しさがあった。


 猫が木と木の間をすり抜けた。すごい速さでスライディングをして、足でブレーキをかけながら角を曲がり、走っている。

 不審人物は猫の動きを先読みして迫っているが、びょんと躱されて負けていた。……猫に揶揄われているようだ。普通の猫ではないので、一度標的になってしまえば、カラスなんかよりもひどい目にあう。


 豪快な動きすぎて、猫を相手にするには隙が多い。しかし、速い。いつのまにか、愛花は猫と男性の追いかけっこをじっと見つめてしまっていた。


(道に何か仕掛けてる? 蜘蛛の糸みたいで気持ち悪い)


 振り返った男は、野球帽を深く被っていて、顔が見えなかったが、半袖のTシャツ、擦り切れたジーパンのガラの悪さにちょっと引いた。


「お、美人。いや……なんだ、おまえ」


 相手は愛花を見て、彼を見て。


 ーーあー、なんだこれ。


 そう言いながら、急に目の前でひっくり返られる。いや、私が言いたいと愛花は心の中で突っ込んだ。


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