第11話 開かれる


 「ひらいて」


 言葉が力を持った気がした。空間が歪んで、何もかもが開き、愛花の望み通りに動く。奇跡ってあるんだ。これまで信じてもいなかったことが起きて、不思議でさえあった。


 神社の領域が新しく構築し直されて、綺麗に整えられ、そして、扉を作る。


 ーー戸を開け合わせ、立て籠めたるところ、ひたすら開きに開きぬ。


 頭の中で、赤い扉が一斉に開いた様子が見えた。


 そして、視線の先に彼の姿。ああ、良かった、出てきたんだと愛花はホッとして目を瞑った。ゆっくりゆっくり血が流れている感覚があった。虚脱感とともに、爪先から冷たくなっていく。熱さが一瞬で消えて、魂の火元が吹き消される。


「……愛花!」


 現れた彼に、愛花は名を呼ばれた。


 ーー少し、驚いた。彼が自分の名前を呼んだのが初めてだったから。


「あーあ、愛花ちゃんたら、イタズラしたらダメ! しつこいのが出てきちゃった」


 髪をくるくる、指で巻きながら夢は言った。

 夢が口を開いた途端、彼は彼女を吹き飛ばした。見事に丸まって、ダンゴムシが弾き飛ばされるようにどこまでも、神社の敷地ぎりぎりまで転がっていった。


「いったーい」


 衝撃を受け流したのか、全く痛さを感じていない口調で痛いと言いながら、フラフラと夢は立ち上がった。自分の体についた葉や土をゆっくり払いながら、くすくすと笑っている。


 でも、愛花にそれを気にしている余裕はなかった。彼が目の前に蹲り、ゆっくり愛花を抱き上げた。


「……どこに行ってたの」


 愛花は力の入らない手で、彼の手を握った。


 繋いだ手から感じる感情。言葉ではなく、体の動きで、彼の気持ちは読み取れた。触れた指先から染み渡るものがある。


 ーー愛している。


 切実で、熱烈で、愛花だけに向けられた純粋な感情。大切にしたいために記憶を封じ込め、その誹りを受け続けながら、何も言わなかったこの人。


 愛花は泣きたくなった。こんなに優しい人を、何年も憎しみ、恨んでいたのだろう。


 考えれば、彼は愛花をずっと守っていた。愛花さえ良ければ良いと思っているから、彼女を傷付ける全てを消して、真綿に包んで待っていた。それは彼らしいおかしさだった。

 愛花の気に入っている物を隠してしまうこと、無駄なことを一切語らず、一言で済まそうとするところ。極端に走ってしまっているのだ。


「愛花」


 手を動かす。指先だけがかすかにブレる。


 ーー声は、出ない。


「良い」


 怖くて、喉も手も震えていた。握り込められて少し安心して、力が抜けた。言いたいことがたくさんあるのに、言葉が出てこない。死ぬかもしれないのに、そう思うと何も思いつかない、考えて、。


 でも、そんな悠長な時間はなかった。すぐに夢がやってきた。


「だいじょーぶだよ、それくらいじゃ死なない。ゆっくり血を抜いてるから、2時間はかかる。メインディッシュの前に、楽しまなきゃ。愛花ちゃんはそこで、無様に負けるコイツを見てて」


 コキコキと関節を鳴らし、愛花の横に走り寄り、彼にやられたように拳を振るって、夢もやり返す。負けじと彼も、手を十字に衝撃を受け、そのまま影を動かした。複雑な応酬。夢の暗いモヤから、いくつもいくつも手が伸びる。


「あははは!! 楽しいね」


 楽しい楽しいと言いながら、足技を繰り返す。足をバネに飛び上がり、彼の首を両の太腿で締め、捻り上げた。


 彼はそのまま腰を勢いよく反り返らせ、夢を自分ごと地面に叩きつけた。しかし、離れない。ギリギリと夢の筋肉が浮き出る。力が入っている。


「愚かで、可哀想。かなわないと分かっているのに、それでも抵抗するのはどうして? 強者に逃げずに立ち向かう。うーん? ……いや、アハ! 分かんない。私は死にたくなーい! ずっと、ずーっと生きてたい」

「……」


 彼が夢に力のままに跳ね除けられ、目の前に転がってきた。彼はずっと人型のまま。


 どう見ても彼が押されている。負けるあなたなんて見たくない。ずっと守られる側なんて、いやだ。何も知らないまま、傍観者で居続けるのはもう耐えられなかった。


 ーーいやだ!!ーー


 時が止まった。それに愛花は気付かない。


「ねえ、あげる」


 このままいけば、もう後はなかった。


 愛花は、自分の全てを彼に与えることにした。

 なぜって? もう、我慢する必要なんてなかったからだ。失くすものなんてない。少しでも彼の力になるのなら、捧げたい。


「全部、あげる。わたしを、全部」


 ーーもう、死ぬ体。アイツに食われるくらいなら、彼に全部あげよう。


 そうすると、彼はその本性を表すように艶やかに、恐ろしく微笑んだ。そして、その形が崩れ、蛇のような影に変わる。

 その様は、今まで見た何より美しく、そして恐ろしかった。愛花は安心するように、目を瞑った。


 飲み込まれる。


 グルグルと愛花は彼の中に溶けた。とろとろと、正しさも悪もなく、ただ彼という存在と溶けよう。溶けて、溶けて、巡り、生まれ変わる。


 ーー彼と合わさって、一つになる。


『愛花は死なない』


 黒い繭に包み込まれ、愛花はまた生まれ直した。ずるりと繭から体を引き出す。蝶のように彼女は美しく羽化した。


「……な、に?」


 さっきまでのことが嘘のように、自分の体が再生している。それどころか、違う自分になったようだった。


 傷ひとつない身体、不純物がなくなったのか体がスッキリした。また、黒い髪も輝き、触れば肌も弾力があった。全く予想もしていなかった出来事に、愛花は混乱し、慌てふためく。これは、何なんだ。


「もう、全部俺のもの。……お願いだから、簡単に死のうとするな」


 ーー俺相手でも生きるのを諦めたら、許さない。


 彼が珍しく長く話したので、笑うと小突かれた。本気で怒っているようだった。

 でも、愛花は生きるのを諦めたわけじゃなかった。自分より彼に生きて欲しかっただけなのだ。でも、それを彼は許さないと言った。それが愛花は幸せだった。犠牲になる道じゃなくて、一緒に幸せになる未来を描く。悲しい生き方をするより、前を向いて進む。


 自然と顔に笑みが浮かんだ。


「だいすき」


 そして、抱きしめられた。温かくて、優しい気持ちになった。今なら、どんな困難も乗り越えられる。


「フザケンナ!! ヨコドリナンテシテンジャネー」


 いつのまにかガチリと凍り付いていた夢。力に任せて、動き出した。


 夢の声ではなかった。耳が痛くなる高い音の不協和音。キーンと響く。


 ーー幻よ、虚像と重なり、現れよ。全ては神世の映し絵である。世にゆらめく者たちよ、胡蝶の夢を見なさいーー


『幻影Imitation 』


 夢が一瞬でモヤの中に消えて、本体であるあの怪物が姿を出した。極彩色の幻影。外側だけの抜け殻。


 相手から、余裕が消えた。


 でも、愛花もアレを許す気は毛頭なかった。


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