第10話 想い出


 ーーもがいて、足掻いて、叫んで。それでも必死に生きていく。


 そこにーーがいたら嬉しいな。どんなに大変でも、耐えていけると思うから。幸せを一緒に積み重ねて、苦しさも半分こ。ずっと、ずっと。


 それが、私のゆめ。


 あまりにも唐突な出来事で、現実味がなかった。


 それは、愛花の体を貫いた。次から次へとーー急所は外しながらもーーそれは確実に愛花の命を削っていく。


 ーー血が、溢れる。


 赤い赤い命の根源が広がり、みるみるうちに世界を汚した。


 体から力が抜けて行く。自分はもう生きられないのだろうか。まあ、彼がいなければ自分なんてそんなものだ。大した能力もない愛花がこれまで生きていたのが、奇跡なのだから。


 感覚が全くない。痛みもない。ただ、怖い。こんな簡単に全てが終わるのか。


 夢が近寄ってくる。制服姿で、いつもと何も変わらないのに、ボヤけて見える。影が信じられないほど濃く深く、その身を模る夜との境界が無くなり、掠れてしまっていた。夢が夢だと思えなかった。


「愛花ちゃん、愛花ちゃん。痛くはないよね、苦しくないでしょ。愛花ちゃんに苦しい思いは、ゆめが絶対にさせないから。でも、怖いかな」


 背中を優しく撫でられる。血が溢れているのに、丁寧なその動きが、本当に自分を心配しているのだと分かって、その奇妙さに衝撃を受けた。


「息を吸えば、意識できるよ。ほら、ゆーっくり。どんどん落ちていく」


 ーー目を瞑って、ゆるやかに死を想って。絶望しながら、一緒に夢を見て。


 鈴のような高い音。柔らかくて大好きな声が、どうして歪んで聞こえるのか。声を出そうとしても、出ない。はくはくと口を動かす。


「やっと、やぁっと、あの化け物が弱ってくれた。なんど、何年殺しあっても、アレは隙を見せなかったから、この機会は逃せない。ギリギリ領域外で罠を張って弱らせて、初めて会った領域内で仕留めることになるなんて、巡り合わせだね」


 私より強いやつは嫌い。こんなに苦戦するなんて思わなかった。力を溜め込んで、時間をかけて苦しめて、やっと互角なんて最悪。


 横で、座り込んで夢が愚痴っている。何を言われているのか、愛花には理解できない。


「境界に封印が完成する前に、愛花ちゃんが欲しかったの。そうすれば、あなたが完成していなくても、私はこちらに居られる。……ね、幻なんかじゃないよ、現実なの」


 顔を舐められた。舌がツーッと肌を這う。跳ねた血を舐める。耳元で美味しいと呟かれた。


 これは本当に人? 絶対に、違う。こんな、のは、ありえない。


「ねえ、愛花ちゃん。私だよ、思い出して。『ゆめちゃん』だよ。本当は気づいてるでしょう? きっと意識すれば思い出せる。さあ、見て」


 顔を両手で抱え込まれて、その美しい顔で覗き込まれる。ツインテールが良く似合う小顔は綺麗な卵肌。潤んだ瞳を長い睫毛が囲んでいて、下にたどっていくと形の良い鼻、唇が並ぶ。


 頭が痛い。体の感覚は無くなっているのに、その痛みは響く。それは、頭じゃなくて、こころのいたみ?


 ズキズキ、ズキズキ。


 顔は少し幼いけど、大事な大好きな……


「あいかちゃん」


 優しくて柔らかくて、愛花を想っている声が聞こえた。今目の前にいる夢の声ではなく、もっと高くてのんびりしたもの。


 ーーどうして、忘れていたのだろう。


 私は彼女を知っている。ずっとずっと昔から、大好きな


「ゆめちゃん」


 愛花の瞳から、涙がひと粒溢れた。


♦︎


 幼いときの記憶。


 それは暑い夏の日。

 メラメラと地面が揺れて、ここは現実なのかと少し疑問に思うような、そんな日。地面の石を蹴り転がして、暇つぶしをしながらも、待ち続ける。


「ゆめちゃん、遊びましょー」


 愛花には大好きな友達がいた。優しくて、可愛くて、とっても強い女の子。


 ーーその名前は、白鷺優芽。


 人付き合いが苦手だった愛花にとって、優芽は大好きでかけがえのない友達。幼稚園で出会ってから、ずっとずっと一緒にいた。

 彼女たちは、偶然にも同じ集落の子供だった。この世代ではたった2人の。だから、登下校も一緒で遊ぶ時もずっと一緒。愛花は、優芽にべったりだった。


「はーい」


 小学校低学年、まだまだ幼い年頃だったが、好奇心は人並み以上にあった愛花と優芽。家の中で遊ぶよりも外で駆け回って、探検したい。2人で走ってお話しして、見たことのない世界に行くのだ。


「あのね、行きたいところがあるんだ」


 そう切り出した愛花に、優芽はにこっと微笑んだ。愛花のことが大好きな優芽が、その提案を断るはずがなかった。

 

 そこは幼い彼女たちの足で、30分ほどの奥深い樹木の中。大きな大きな木に少し気後れしたものの、2人は進んで行った。


「愛花ちゃん、待ってー」

「あとちょっとだよ」


 母から聞いた神社に優芽と一緒に行ってみたかった愛花は、疲れが見え始めた優芽を励ましながら歩く。2人のお願い事を、この神様なら叶えてくれるかもしれない。母の願いを叶えてくれたという神様に、お祈りをしに行くのだ。


 ーー2人をどうか引き離さないでください。ずっと、隣に居させて下さい。


 すると10段くらいの階段。その先に鳥居があるのを見つけた。あれか、母が言ったよりも随分と遠くにあった気がしたが、やっと見つけた。


「あった!!」

「どうしたの?」


 懐かしさを感じた愛花は、嬉しくなって駆け出す。


 階段からではなく、木が周囲を囲んでいて、かろうじて通れるくらいの道の先。獣道よりは大きいけれど、通り辛いのを近道だとかき分ける。愛花は鳥居から通らず、横道から入った。


 奇妙な雰囲気だった。神域というには澱んだ空気。参道の真ん中を歩いて、神社の社殿前に進む。

 しめなわのある扉に、小さく剥がれかけた封。その奥が薄く見えた。隙間から、光が漏れていた。


「……なに、あれ?」


 極彩色に、ギラギラギラギラ。見つめるだけで目が回った。見つめて、見つめ返されたと気付いた。ぐるりと宙が一回転。


 神社の中、ではない、扉の中からたくさんの手が出てきた。


「愛花ちゃん!!!」


 後ろから追いついた優芽。一切躊躇なく、愛花を突き飛ばし、場所が入れ替わる。


 優芽は愛花を庇った。


 必死に、愛花は優芽に手を伸ばす。時間が永遠に感じられた。あと少しで、優芽の手を取れる。


 ーーけれど、届かない。


 あっという間に、優芽はそれに取り込まれてしまった。血溜まりと、よく分からない現実。凄惨な一瞬の出来事だった。大好きな彼女の哀れな姿など、子どもの愛花には耐えられるはずがなかった。

 そして、次は愛花の番だった。

 

「いや、いやいやいやいや。いやあぁぁぁぁぁーーー」


 大きく、大きく叫んだ。それは優芽の最後を見てしまったからなのか、自分も襲われると自覚したからかは分からない。もしかすると、その両方かもしれない。

 この現実が信じられなくて、理解できなくて。パニック状態になり。


 誰かに助けてほしくて、愛花は叫んだ。


 そこで思い浮かべたのは、母から聞いた家の守り神だったかもしれない。恐ろしくて、強くて、祀らずにはいられない、名もない神。


 誰よりも強いなら、この化け物にだって倒してくれるかもしれない。そんな短絡的な考え。


 しかし、その思いにこたえるように。

 

 ーー門扉が開かれる。しめなわの境界線より奥、本殿から。


 そもそも、そこは神社であった。神社は神を、ナニカを、祀るものだ。


 ーーそして。


 闇夜に現れる鬼。形を持たないそれを神様だと思うよりも、鬼だと思ったのは、やはり愛花の短絡的な思考から、だったのかもしれない。

 愛花は意識が朦朧とした中で、それに包まれ守られた。


 複数の目と、愛花を囲む影。


 二つの異形は対抗するように、愛花の周囲で争い合っていた。絡み、歪み、衝突する。


 狂うように、呪うように、嘲笑うように、奇妙な声が聞こえていた。


 ーーそこで、記憶は途切れた。


「……あ」


 そうだったのか、彼はただ私をずっと守ってくれていただけだったのか。記憶からも、何からも。


 全部、全部忘れてしまって、つぎはぎの記憶だけが愛花の中に残っていた。愛花の苦しくて耐えられない、優芽が自分を庇った記憶だけが切り離されて、彼女は彼すら呪っていた。

 ショックで茫然自失になっていた愛花が苦しむたびにその痛みを庇ってくれていたのは、彼。


 まず、彼のことを思い出した。


「……ば、か」


 こんな土壇場で、大事なこと。


「あああ!!!!!」


 記憶を思い出すと、同時に体が熱くなった。あつい、アツイ、燃えるようだ。死ぬ、死んでしまう。


「愛花ちゃん、思い出した?」


 変わらない夢の声が、憎い。これは、優芽ではない、彼女に化けたあのときの怪物だった。


 もう、ダメなのに、でも足掻きたかった。このまま死ぬなんて、出来ない。しんだって、しねない。


 血濡れた手で、彼がいた場所をなぞる。ここは彼の空間。彼の領域だ。


 私の血が、もし力があったなら、彼を助けられるなら、全部あげる。


「ねえーー。ひらいて」

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