第9話 無人神社


 

 ーー神だろうが、悪魔だろうが、今この瞬間助けてくれるなら、私の全てを捧げても構わない。


 震える体を抑えつけ、この世界を睨み付ける。理不尽が憎かった。体を両手で抱え込み、憎しみと救いを求めて、祈った。

 


「なに、これ。学校から、人が消えてる」


 宿泊学習も無事? に終わり。平凡な日常が帰ってくると愛花は思っていた。

 しかし、そうではなかった。彼方の世界からやってきていた者たちも消えて、少しずつ少しずつ学生たちが姿を消していた。

 教室から机がなくなっているのだ。大した人数もいない教室から、辻褄を合わせるように入れ替えられていた机には大きな違和感があった。席替えもしていないのに、自分の席がズレていることで、その奇妙さに気づく。


 最近は頭痛も酷くなって、浅い眠りがもっと浅くなり、身体も妙に熱を持っている。意識が混濁してしまうことも多かった。とにかくボーッとしていて、苦手な勉強がさらに集中出来なくなってしまい、中間試験の成績が酷くなることが予想される。


 ……現実逃避が始まりそうだ。


 とにかく、今は不自然なことが多すぎる。


 行方不明者は他にもいるはずだ。この教室だけ不自然に居なくなるなんてことはないと思う。魔法使い達も居なくなり、半人半妖達もいない。こんな状況はおかしい。


 ファンタジー世界の住人が居なくなったことはまだ良い。彼が危険を感じて、教室から出ていっただけなのかもしれないから。

 しかし、普通の人たちが消え始めるのは良くないことだ。それどころか、かなり悪い。考えるだけで、背筋がザワザワする。


 事態の把握が全く出来ていない。

 不審者情報は依然として消えぬまま、しかし行方不明者に関しては、情報が一切流れていないこの現状が最悪すぎる。


 ーー何が起きているのだ。


 途方に暮れながら、ボーッと授業を受ける。まあ、このままいけば赤点は免れないだろうけど。


 放課後、何故か久しぶりに母が、家の前で待っていた。なにやら心配になって出てきたらしい。


「どうしたの、ママ」

「何か心配なったから、ちゃんと帰ってくるかしらと思って、待ってたのよ」

「……ありがとう。ただいま」

「いいえ。おかえりなさい、愛花」


 母は何も見えない、分からないはずなのに、どうしてか察知能力が高い。愛花が危険な目にあった日は、すぐに仕事から帰ってきたり、庭に水を撒いて、あちらのものたちを寄らせないようにしてくれる。


「え? 掃除に行って欲しいって? それも神社に⁈」


 その言葉に母に対する感謝が、薄れていったのを感じる。神社にはいい思い出がない。門扉を開いてしまったことで、それからの日々はその罪の重さを誤魔化して生きていくことしかできなかった。掃除になんて行ける気がしない。


「あら、そんなに大きな神社じゃないわよ。私の家が代々祀っている無人神社だから。家に飾っている神棚の神様のご本尊があるから、手入れに行ってくれないかと思って。愛花よくあの神社に行ってたし、この機会に久しぶりにお参りしてくれば良いと思って」

「私、神社なんて行ったことあった?」

「子供の頃よ、2歳くらいのときよく行っていたの」


 全く覚えていない。愛花は腕を組んで考え込む。


「それにしても、毎朝神拝してた神棚の神様って家が祀ってたんだ」

「あぁ、知らなかったかしら。管理を任されているのよ。昔、愛花が怖がってたお話があったじゃない。その大元」

「え?」


 母はそのまま、なつかしそうにその話をしていく。


 ーー鬼のお話。


 あるところに、残虐非道な賊たちがおりました。周囲の村や都はその悪鬼羅刹のような集団に食い扶持を奪われ、日ごろ苦しんでおりました。

 とくに、その盗賊の長は人とも思えぬような美しさをしており、残虐さがその容姿に相まって『鬼』と呼ばれていました。彼はその美しさから、幼い頃から人の欲に触れ、その人間は狂ってしまったのだと言います。人の身にして人にあらず。彼らが訪れた先には金銭を奪われただけではなく、ありとあらゆる災いが降りかかりました。

 人々は彼らを鬼と呼び、討伐するための人手を京の都から得ます。しかし、京からやってきた武士達でも賊達には敵いませんでした。天空が鬼達に味方をして、武士達は嵐に飲み込まれ、絶対絶命になりました。

 何度か死合を交わすも、決着がつかず。激しい雷雨の中、武士達はある策に打って出ました。 


 美しい女性を荒屋の雨漏りする場所に置き去りにして、女を好むという鬼達を呼び込んだのです。女性に酒を飲ませるように、武士達は命じ、のこのことやってきた鬼達はその美しい女性に惚れてしまったのか、乱暴をすることもせず、ただ酒を交わし続けます。ですが、女性は酒に強く、それに敵わなかった鬼達は眠ってしまいました。鬼の長と女性だけはいつまでも、いつまでも酒を飲み交わします。

 その荒屋に押しかけた武士達は、酒に酔った鬼達を襲い、小屋に火をつけ、彼らは燃えてしまいました。そうして、退治は成功しました。


 時の英雄に滅ぼされましたが、災いは消えず。天地から雷雨が降り注ぎ、日の届かない雨の日々が続く。村は洪水に呑まれてしまいました。鬼の長のその幼少の有様を知った英雄は、長の生い立ちに同情し、男を供養するように村人たちに伝え、彼は神として祀られました。そうするとその村から災いや病が消え、村人たちの生活は元に戻ったと言います。

 かの鬼は、人は、そんな神の一柱となったのでした。


「泣きじゃくるあなたを、そこに連れていくとすぐ泣き止んだから、助かったわ」


 愛花の脳裏に、不思議と思い描ける神社の様子。その鬼だった神様は、そんな最後を迎えても、この町の人間を守ってくれるのだろうか。


 とにかく、手入れをしてみたいという気持ちになった。


「じゃあ、行ってみる」

「そう、ありがとう」


 その場所は、家から田んぼ沿いに5分ほど歩いた先にある森の奥。深く深く潜っていって、やっと辿り着く場所。


 神社は、小さな赤い鳥居があり、奥に入ると手水場。石畳。そして、なぜか門扉が開いている。ゆらゆらと揺れるそれには、なにやら封と書かれた古びた紙が、半分になって貼り付けてあった。他の文字は読めない。私はこの状態と似たものを見た記憶がある。いや、門扉に触れた?


「あれ、これ、私知ってる?」


 背中にポンと手を置かれた。全く身構えてなかったので、驚いた。振り向く。

 後ろから突然彼が現れている。突拍子がないのは、いつもの彼だが、最近は愛花に何も言わずに姿を見せないことが増えていたので、驚いてしまった。それも人型のまま、突然横に立っているので、耐性のある愛花でなければ、ショックを受けてしまうこと間違いない。


「……いるなら、言って」

「いた」

「いた、じゃなくて、声をかけてよ」

「………」


 彼と話しながら、掃除も開始する。汚れてしまっている水回りから、手をつけていく必要がある。身長の足りない場所は彼に手伝って貰えば良い。


 ーーーカラン、カラン、カラン。


「あ、」


 掃除をしようとして、手水舎の柄杓を落としてしまった。


 ーーいま、何か違和感があった。


『愛花ちゃん、愛花ちゃん』


 そこにいたはずの、彼がいなくなっていた。そして、どうしてか、ゆ・め・がいる。


 不思議な感覚。


『どうしたの、愛花ちゃん』


 彼はどこ? どこに消えたの。



 彼は彼が最も苦手とする異形に、虚空の空間に閉じ込められた。

 自らの領域で舐められたものだが、領域外で思ったよりも力を使ってしまったので、体が弱っており、まんまとその罠に閉じ込められてしまった。

 彼は一度、影に姿を変えることにする。この空間では、どんな姿でも能力値に変わりはない。ぽよんと地面に体を下ろして、ふらりと震える。

 そして、影は一度、迷うように震え、その形をどんどん変えていく。

 この空間を壊すために。愛するものを守るために。


 ーー間に合わなければ、全てが終わってしまうから。力が足りなくても、全てを賭けて、君を守る。




 夢は彼を別空間に閉じ込めて、その間、愛花とゆっくり話をする。

 日は暮れ、森の中に光の光源はなく、頼れるのは空の月。どんどん周囲は暗くなっている。月の光が頂上に見え始め、体感時間の感覚がおかしくなっていることを知る。


「ずっと待ってたの。愛花ちゃんのこと」

「待ってた?」


 夢はそう伝える。その目に光はない。いつものブラザーを着て、可愛らしいツインテールをしているところは変わらないのに。


 これまで愛花が見てきた夢と同一人物だとは思えない無表情さ。これは、異形と同じ。


 ーーでも、アレが邪魔をするから。封印を戻して、私を返そうとするの。


「思い出してほしいのに。私を想ってほしいのに」

「何を思い出して欲しいの、ゆめちゃん」


 そう愛花が問いかけると、夢は笑う。花のように、溶けるように、笑う。


 ーーどんどん、近づいてくる。愛花はなぜか動かない。


 アイシテホシイ、アナタガホシイ。


「でも、愛花ちゃんは特別を決めてしまった」


 ーーそれなら、もうしょうがないの。アナタガダレカノモノニナルマエニ。


 夢はそう言って、笑いながらーーあるいは泣いているかのようにーー愛花の体を貫いた。


 愛させて食べさせて。愛して食べて


「あなたのすべては、わたしのものだから。何より愛しい愛花ちゃん」

 

 愛花の母ーー瑞恵は夜遅くになっても、帰らぬ娘を思っていた。


 冷たい井戸の水で身を清め、神棚の捧げ物を移し替え、地に伏しながらひたすら願う。


 ーー我が子が無事でありますように。


 それは昔、夫を亡くし、自分の身の内の子も流産しそうになっていた時のように。

 藁にもすがる気持ちで、我が家に伝わる神に祈り続けた夜。


 それが奇跡のように叶ってから、瑞恵は決して祈りを忘れたことはない。たとえ昔は厭われた禍神だとしても、瑞恵を救ったのはあの神に違いないのだから。


 どうか、あの神が愛花を守ってくださりますように。


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