第8話 スタンプラリー

私は蛹のように縮こまり、外敵から身を隠していた。私は徐々に成長し、溶けていく。ぐるぐると混ざって、私の全てが混ざる。混ざり、溶け合わさっていく。私は蝶に生まれ変わるのだ、この町で、かれのもとで。


 ーーでも。


 大きな大きな穴が生まれた。全てを吸い込んでしまう穴が。わたしのまちに。

 わたしをまもるすべてがほうかいしてしまう。それをふさがなくては、わたしはたべられる。


 巡る巡る螺旋の渦に巻き込まれて、私は夢を見る。


 



「あいかちゃんー! 起きてー、朝だよぉ」


 夢の声に愛花が目を覚ますと、テントの中であった。

 

「……あれ、私テントに戻ってきてた……?」


 ジンジンとした頭痛。昨日の記憶が曖昧だ。低血圧でただでさえ朝は強くないのに、頭痛も増して気分が最悪。

 いつもの勢いで立ちあがろうとすると、体がふらつきよろける。が、夢に支えられた。


「……愛花ちゃん、大丈夫? 昨日ちょっと寒かったし、風邪とか引いてない?」


 慣れたような仕草で、額に手を当て熱がないかを確認する夢。優しく触れるその手に少し安心する。


「……うーんと。熱はなさそうだけど、今日はスタンプラリーだから、無理は禁物だよ!」


 スタンプラリーで絶対1番になって景品もらうんだー、と嬉しそうに昨日の夜テントで話していた夢を思い出した。……それから、それから、私は目を覚ましてあの化け物と……。

 杖を出してから記憶がない。気を失ってしまったのか。


「いや、大丈夫だと思う。体調は悪くない」


「なら、良かったぁ!」


 ニコニコと笑う様子から、昨晩のことは何も気づいていなそうだと思った。愛花をテントの中に戻したのは彼だろう。心配することは何もない。……何もないはずだ。


 スタンプラリーは1グループ計5〜6人、学年で12グループほどが時間帯をずらして動くことになっている。


「スタンプラリー楽しみ! 愛花ちゃん、絶対に1位になろうね」


 青少年の家周辺に目的地が10個あり、制限時間内にその全てをまわり切ることが今回のスタンプラリーの主な要素である。到着順から点数がつけられる。

 もちろんただ歩き回るだけではなく、目的地にはスタンプと問題が記された紙があるため、それを解いた点数が集計され、上位チームたちにはご褒美が得られる。噂によると、最後の10問目には数学の鬼教師が出した、難易度鬼の問題があるらしい。それが解けるかが、点数の大きな差になるはず。体力と足の速さも問題だけど。


 愛花が入ったグループには、夢が誘った体力、頭脳共に秀才の方々が揃っていて、夢は本気で1位を取る腹づもりだと分かった。負けず嫌いなところも、頑張り屋なところも愛花の好きなところ。愛花は足手まといにならないようついていくのみだ。目指すは、秀才たちにおんぶに抱っこされても、何とかついていきました風の目立たない女子! 違和感なく、必死になっている感を出す。


「えーと、まず初めの目的地はー。全体を通るルートを考えればどこから行こう」


 夢が地図を見て、相談しながらルートを決める。


 出発地は山野公園。それから萩谷森を下り、周辺に分かれる形で、千ノ花湖、紫陽花園、日本一大きな楠木、遠山寺、川沿いの展望台、歴史記念館、山野村跡地、景ダム跡でスタンプを集め、それぞれの場所にいる先生が渡してくる問題を解答し、ぐるりと一周して、また公園に戻ってくる。結構距離があるが、それぞれは近くに位置していて、回るためのルートはいくらでも考えられた。


 ルートを決めて、皆、歩き進める。ペースは早く、前のグループにも追いつきそうなほど。


 そして、一つ目の目的地があと少し。そんな中、愛花には見えている異形がいた。大きな池、のほとりになにやら大きな馬? いや、頭に大きなツノが生えているだけで馬ではないのかもしれない。


 (……一角獣?)


 周りには見えていないようなので、あちらの世界の生き物なのは分かった。


 でも、猫にだって聞いたことがない生き物だ。物語の中に出てくるユニコーンのように白い羽、馬のような見た目で、その頭に大きな角が生えているわけではない。その生き物は、キメラのようなライオンの胴体に鱗、大きな烏羽、尻尾はさそりのようだ。一角獣だと思ったのは、背後から見える頭部の一本のツノが、そう思わせただけ。

 前足を捻らせ、土を蹴る動作をしているその生き物は、愛花の心に警鐘を鳴らす。


「……ちょっと、あの池寄るのやめない?」


 自分から声をかけて、目立った行動をするのは嫌だったが、アレは怖すぎる。危険な目には慣れているけれど、忌避感があった。

 目的地の一つ、千ノ花湖にどうしてあんなものがいるのだ。


「なんでだよ」

「せっかく近くまで来たんだから、行こうぜ」

「ここまでまた来ると遠回りになる」


「……愛花ちゃん、どうしたの?」


「あのね、あの」


 言葉が見つからない。なんて言って説得すれば良いんだ。


「大丈夫だよ、愛花ちゃん」


 ーー愛花ちゃんがダメって言うなら、行かないよ。体調が良くないんでしょう? 元気なかったなら、言って欲しかったけどね。


「あ……」


 体調が悪いわけではなかったが、夢の一言で視線が愛花に集中する。先に言えよ、迷惑だな、という周囲の心の声が聞こえた。これは悪目立ちしている。なんとか切り替え、先に動いて、解決策を探すのだ。


「い、いや、大丈夫」


 良い言い訳を思いつかず、そのまま着いていくしかなかった。だんだん近づくにつれて、愛花の足は重くなる。


 昨日、愛花の奥の手は使ってしまった。どうしたらいい。彼らを守るには、何をすれば良いんだ。愛花には全く思いつかなかった。


「体調悪いなら、無理して着いてこないでいいよ」


 6人グループのうちの1人。愛花と夢以外の女子にそう伝えられる。他の男子3人たちも同意見のようだ。空気が悪すぎて、自分が早々に消えた方がいい気がしてくる。


 でも、それ以上に背筋の寒気が消えない。「ね、も、戻らない?」愛花は彼女たちにもう一度告げた。けれも、どんどん突き進んでいく。


 愛花が必死で見つめていた一角獣のような、キメラのような生き物は、こちらに注目していた。だが、くるくると渦巻いて、消えた。


 あ、良かった、いなくなった。そうほっとしたのも束の間。

 

 ーー愛花のすぐ横に現れた。大きな大きな口。


「きゃ!」


 夢が同時に転けて、一緒に愛花は前に押し出される。


 そして、彼女の代わりにそこにいた6名のうちの1人ーー愛花に先ほどまで話しかけていた女子ーーがパクリと咥えられた。頭からゴクンと飲み込まれる。


「あ」


 それが見えたのは、愛花だけ。他の人は気付かない、認識しない。


 ーーくすくす。かわいそ。


 有象無象が囁く。哀れみなんて少しもない嘲笑が混ざって、愛花の心をゆらめかせる。彼女の内なんて知らなくて、でも的確にダメージを与える一言。

 人の命は一瞬で、彼女の善意は儚く消えた。自分の醜さが声に映って聞こえた。


 同時に既視感。デジャヴが起こる。残像が混ざって、あの子に重なる。


 モヤは、「……め、ちゃ、」ぐるぐる。「い、……あぁ」、混ざる。溶ける。戻らない。極彩色。閉じて。


 残像の中で、感覚だけが残っていた。思い出せる、思い出せ、思い出せない。あれ、これは前にもあった気がする。


 ガンガンとした頭痛。あ、ああ、あああ。


 愛花の中に欠けたもの。何が足りない? とにかく大事な何かがなかった。それを自覚する。


「愛花ちゃん、大丈夫?」


 ーー夢が語りかける。


 意識が戻った。高くて優しい声が、響く。


 これは、ダメだダメだダメだ。


 足元から崩れ落ちる。他の人たちも狙われてしまう。夢ちゃんが、襲われる。でも、どう対処すべきなのか、分からない。過呼吸になる。目は見開かれたまま、一瞬の出来事が永遠に感じる。


「息を吸って」


 びくりと肩が跳ねた。

 後ろを振り向くと、彼が居た。低い声が耳元で聞こえて、一気に力が抜けた。


 目を閉じられる。彼の大きな手が彼女の顔を覆い隠し、守る。なんで、優しくするの、やめて。


 徐々に、息がゆっくりと吸えるようになる。


「……普通に生きたい。何も聞きたくない、知りたくないの」


 ーー傍観者でいたいのだ。


 幸せに、普通に生きる、木皿儀愛花でいたい。


「助けて」


 言ってはいけない一言。

 全ての罪を背負うべきなのに、この世に悪を引き込んだのは自分なのに、どうして彼に助けを求める? 


 彼を憎めばいいのに、憎みきれない。自分を嫌えばいいのに、嫌いきれない。相反した感情が混ざって、愛花の中に積もっていく。

 

「助ける」


 彼の声で、目の前が溶ける。覆われて見えないのに、自分が柔らかく消えてしまう気がした。


 心の底から、ああ。救われたい。助けてほしかった。


「愛花ちゃん、ダメだよ」


 シンと音が消えた。


 空が雲に覆われて、太陽が閉ざされる。

 光はなく、闇に覆われてしまう。


 ああ、彼の世界に入る。でも、これは闇ではない。


 ーー雲は、溶けて、変化する。黒雨。


「あ、め」


 大雨が降ってきた。土砂降りの雨に打たれる。音を立てる程の量の雨が、時を移さず降り出して、湖の水かさが増し、傘を持っていない皆は慌てて湖から離れていく。愛花も抱き上げられて、彼と一緒に離れた。


「これ、危なくないか」

「氾濫したら、巻き込まれる」


 皆、足が速くなる。いくらか遠ざかった時。


 ーードピシャン!! ドンドン! ゴドン!!


 地面が揺れた。光と音が同時に来るほどの距離だ。


 雷がさっきまでいた場所に落ちた。彼があの生き物にトドメを刺したのだろう。焼け焦げているに違いない。どこか他人事のように、感覚がふわふわしている中で、誰かが叫んだ。


「……死ぬぞ!! 走れ」


 生命の危機を感じたため、皆屋根のある建物に一目散に駆け抜ける。周りのことなど気にしている暇があったら、走り抜け! 先生たちもいつのまにか集合していて、この雷雨の中、自ら外に出て動こうとする者は、誰もいなくなった。

 

 そして、そのままの勢いで雨は降り続け。スタンプラリーは中止になり、青少年での宿泊学習もそこで打ち切りとなった。



「……ま、これも良いのかなぁ」


 湖の近くで呟かれた小さな声は、雷雨の轟音に紛れて、誰も聞いてはいなかったが、それはそれは、不吉な予感をはらんでいた。


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