第16話 彼らは
「……環境分析ね」
彼らが帰った後、優芽がそう呟き、指を一文字に切った。羽虫たちは一瞬で消え去り、跡形もなくなる。
愛花には、なにがなんだかさっぱりだった。彼らが何者で、どうして見えないはずのものが見えるのか分からない。
普通の人ではないこと。優芽の正体には気付いていなかったこと。しかし、仕事でここに来たと言っていたのが真実なら、厄介事の予感がする。
「愛花ちゃんは、疲れてるだろうから休んでて」
「全然疲れてないよ」
「なら、この服着てくれる?」
紙袋からごそごそ取り出したのは、動きづらい和装。愛花は着物が似合う顔をしていると言われるが、歩くだけで帯がずれそうになるので、こういうところが自分は現代人だと思うほどに苦手だ。しかし、洋服も着付ける順番が分からなくなるものは苦手なのは、余談。
可愛いものは好きだけれど、複雑なものは……。
「……うん、でも一人じゃ着れないよ」
「大丈夫、大丈夫。繋げてあるから、ワンピみたいなものだよ! 動きやすいように、上下は分けてあるし、キュロットスカートだから」
「あー……」
ひらひらの中身を広げたら、逃げ道を失った。帰り道はないので、愛花はこれを着る運命にあると悟った。
「た・の・し・み!」
そう言って微笑む優芽を部屋の外に出して、着替える。
「上と下に分かれていると言っても、ボタンが多い……」
前合わせに見せかけた襟の下には、小さな真珠型のボタンが複数。優芽のゴスロリとは違った紐のリボンが肩口、背中についている。赤色をアクセントに使って、サクラ柄の薄いグラデーション。
薄い布の羽織り? には上着と同じフリルが縫い込まれていた。デザインが重ならないように長さが微妙に短くなっているのが、愛花の腕の長さ、腰の位置、身長も計算に入れられているような気がした。ちなみに測ってもらったことはない……。
小さな桜がついた赤い紐リボンがあった。これは髪につける用なのだろうか?
ーー結局愛花は、着替えに時間がかかった。
♢
優芽は、戸の後ろに気配なく立っていた男に声をかけた。話が通じなくなるのは面倒なのでなるべく人型を取れと言ったのに、勝手に姿を消した相手に配慮する気持ちなどさらさらない。
そもそもこの男は、本質的に愛花に害を及ぼす存在だ。優芽にとっても本来ならば関わりたくない相手であり、消し炭一歩手前にされた容赦の無さを知っていた。
消えるだけだった彼女を無理やり起こして、ツギハギに再生した痛み。それと夢魔の記憶が本能的な恐怖を呼び起こすが、見栄を張る。
「邪魔」
「そう、邪魔が来た。あなたが本来なら阻止するべきことなのに、愛花ちゃんと相思相愛になったからって、フワフワされても困るよ。この土地を守るのはあなたの仕事。私はその補佐をするだけ」
「開」
「開かれたのは、愛花ちゃんの力が中途半端に覚醒したから。……分かるけど、相手の読解能力に頼りっぱなしにしないでほしいわ。もっと話せるでしょう」
「……」
部屋の方を指差す。ついに話すことをやめたのかと思ったが、愛花に聞こえる声で話すなと言いたいのだ。
狭い狭い世界で耳も目も封じ込めて、大切に育てる。未熟な彼女をゆりかごで揺らして、眠りに包み、目覚めの時を待つ。異界に触れながら存在だけは現世に置く、境界線を綱渡りする違和を成り立たせることを行った。
危険と隣り合わせでずっと傷ついてきた愛花を、その方法でこの男が守ってきた。
優芽が死んだときの記憶で、愛花は苦しんだ。自身を責め続け、精神が崩壊しかけるほどに追い込んだ。優芽を思い出した瞬間、自分の罪の意識で気絶して異変を起こしたのだ。体は震え、頭痛を起こし、眠ることを忘れ、時には呼吸の仕方さえ忘れた。
だから、優芽は必要だった。生き返る必要があった。愛花が優芽に残した後悔も、彼女が生き返りさえすれば、やがて思い出となって薄めることができる。そして、愛花の心のすべてがコレになってしまう。
しかし、それが怪物としての本質でもある。
『相手の全てを奪ってしまいたい』と願った夢の記憶があった。愛する相手を食べて、溶け合いたい欲望。裏切られることなく、ずっと一緒にいたい。何もかも支配尽くして、感情さえも飲み込む。それがワタシタチの歪みで、愛しい愛花への思いだった。
「……分かり合えるうちに分かり合わないと、どうなるのかは誰にも分からないのに。言葉にしようとしなきゃ、伝えなきゃ、いつか伝えられなくなる日が来る。愛花ちゃんに甘えないでよ」
「言葉でなくとも良い」
「最低限のコミュニケーションを忘れないで」
「分かった」
主張が苦手な愛花。彼女は遠慮しがちで、迷惑をかけることを嫌がっていた。自分の幸せが分からなくて、人の価値が基準になる。認められないことに怯えて、否定されることに苦しむ。昔の彼女の基準は、母と優芽だった。今は『普通の人』という括りらしいけれど。
「……破滅なんて、許さないから。幸せにしないと呪う」
この男なら優しく優しく包み込んで、自分が出来る全てを相手に傾けて、愛花と求め合うだろう。愛花が求める限りの幸せを与えようとする。小さな世界に閉じ込めて、この男が見せる限りのものを見て、終わりを迎える想像ができた。
誰に責められようと、この男はその方法が一番いいと思っているのだと感じていた。
このままでは愛花はなにも知らないままに、きっと……。そんなのは嫌だ。
変えようと意識して欲しい。相手を見て、互いが最善を選択しようと努力しなければ、今を一緒に幸せに生きていけないのだ。相手に求めるばかりでは破綻するから、分かり合おうとする。言葉を交わして汲み取ろうとしないなら、一方的な関係でおしまいだ。相手を大切にしたいと願い、尊重するのが人の本来の在り方だと思っている。
「愛花の幸せが、俺の幸せだ」
「……そう」
話を聞きながら、目を瞑った。
♢
愛花が着替え終わった姿を、優芽は連写とビデオで撮りまくり、試作品の袖の長さやデザインをチェックして、要修正点をメモ。夏祭りに向けて、完璧なものに仕上げると優芽は意気込んだ。そして、素早く帰っていった。
ーーじゃあ、あの男たちの正体も探ってくるからよろしく。
愛花は、帰り際にそう言って去っていたのが気になった。
「ね、優芽ちゃんと何話してたの?」
「話せと言われた」
ーー話せ? 何を。
「
「あ」
愛花が名付けた名前。それがふさわしいと思ったから、口に出たもの。
「
「名は要らなかったが、愛花に呼ばれるのは良い」
「あー……」
真正面から言われるとすごく照れる。顔に血が昇って、真っ赤になっていそう。
「……見ないで」
近寄る彼をぎゅーぎゅー押し込んだ。すると手を握られて、ポンと体の支えが消えた。彼を膝枕する形になる。人の姿ではなく、影の姿だけど。
その方が目立たないし、恥ずかしくないし、良いかもしれないと思った。乗せてて気持ちもいいのだ。その気持ちが通じたのか、ぽよんぽよんぽよんと膝で飛ぶ彼の姿が、これからしばしば見られることになる。
♢
「あー、つまんね」
「おまえ、違和感を感じなかったか?」
「何に」
「さっきの女たちだ」
ーー引っかかるようなことあったか?
そう、クロが言った。帽子を深くかぶっていて顔は見えないが、訝しむ声。
「男のお前が道端で倒れた。男手なしに、女が家にどうやって運んだ? いくら軽くとも50キロはあるだろう」
「うるせ、鍛えても筋肉つかねーんだよ」
「……難儀だな」
なんつーか、人の良いタイプだと思ったけどな。父親とかの気配はなかったけど、車もあったし、俺はズルズル引きずられたんだわ。土の道だし、きっとそうだわ。被害もなかったし、いいじゃねーか。
「そもそも、どうして倒れたんだ」
「あー、熱中症ぽかったわ」
暑さを自覚しないまま、飲み物も飲まずに走り回ったので、脱水症状を起こして倒れた。猫に揶揄われ、見事に負けたのであるが、クロはそこまでは話さなかった。話せば面倒になることはわかりきっていたからである。
「虫が付いてるぞ」
「お、マジか」
「…………」
話が続かない。そもそも2人は話が合わない。しばらく沈黙が続き、目的地寸前まで歩き続けた。
「目的地は目前だ。五芒星を描くには、まず基準を取らなければいけない。その下調べだ」
「地図アプリでやれりゃ、楽なのに」
「目で確かめなければ、土地の動きはわからん。五芒星で逆に厄災を引き込む羽目になれば、被害は拡大すると分かっているだろう」
「分かってるから、地道に歩いてんだ」
都への方角を、正の方向。住民が最も多く集まる場所を中心として、五行、十干十二支、太陽と月の満ち欠けの組み合わせが指針となり、霊脈をもとに方角を決める。水場が多いので、面倒なことも多そうだと感じた。
方位磁針を手にして、距離を詰めた。しかし、山深くまで来てしまったようだ。
霧が立ち込める。近くに滝、いや水が湧き出るところがあるようだ。
ーーパン、パン。
ふいに耳元で手を叩く音がした。
ーー鬼さんこちら、手のなる方へ。
幼い少女の声がする。黒髪の少女のイメージが頭の中に浮かんだ。
追いかけっこをいたしましょう。招かれざる方たち。
遊びましょう。捕まえて下さいな。
クロとシロは同時に目隠しをされる。方角が分からなくなり、相手がどこにいるかは耳で判断しなければいけない。捕まえようにも、範囲が決まっているわけでもないものを捕まえるのは難しい。
呪術で言えば視覚を封じ込め、条件を相手に強いるもの。最終的には五感を封じ込められて、終わるルートだ。
「うぎゃ、御伽話タイプじゃん。古くて強いやつ」
「……見事に当たりか」
「つーか、この土地全部最悪な気がしてきたわ」
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