第17話 選択肢はそこにある


 スクリーンに映る情報の山。取捨選択しながら、自分に何が必要か選ぶ。


 スクロールして、スクロールして、選択を無意識にしている。履歴に残るのは、自分の思考だった。何に興味があるのか、何が嫌なのか、求めるものは何なのか。


 望むものを選ぶ。知りたいことを知る。


 幾千幾億。パターンはいくつもあり、その時々によって違う。知らないものを知れる喜び。しかし、その全てを受け入れきる器はない。


 だから、小箱に入れて必要な時に取り出す。過敏過ぎる自分にとって、それは自分をセーブする方法。


 選択肢はいつもそこにある。




「……どういうこと」


 優芽は、2人組を追って山の奥深くまで来た。

 しかし、途中から気配を感じなくなり、急いでその場所まで向かった。


 痕跡が残ってない。しかし、残っていないからこその違和感があった。


 この土地は、人間の気配よりも物怪達の気配が濃密な場所だ。神域に近いとも言える。


 業を寄せ集め、怪物で怪物をごった煮して、食い合って、それで秩序を保つ。境界と領域が線引きされず、欲のままに動き続けることができる空間。共有されるいにしえの忌物たちは、そうして存在することを許されている。


 互いに侵蝕し合っているので、確実に何かの気配はあるべきなのだ。


 優芽は地面に座り込み、しばらく感覚を研ぎ澄ます。頭がどんどん斜めになっていき、地面につきそうになる。そして、ツインテールが元の位置にぴょんと戻ったとき、優芽は目を見開いた。


「うん、うん。何もない」


 強いものがいれば、甘い香りが漂っていたり、目が痛くなったり、耳鳴り、急に寒さを感じるなどの違和感がある。意識的に無視しない限り、居るのは分かるものだ。

 領域に取り込み、痕跡を残さない虚のような夢魔ーー自分のような存在ーーもいるにはいるが、同類だからこそ分からないはずがなかった。……それゆえ、奇妙なのである。


「ほんと、面倒な人たちだったのね」


 考えられる可能性は、いくつかある。


 優芽の知らない何かが突然ここに現れて、彼らを襲い、全ての痕跡を消して去った。

 あるいは、彼ら自身が痕跡を消せる何者かであること。


 この二つが、主な可能性だろう。しかし、一つ目はよほどのことがなければあり得ない。そんなことがあれば、あの男が気付いて駆けつけて来ている。


「能力者? とかなのかなぁ」


 祈祷師や呪術師など、霊能者の部類が世の中には存在するようだが、どこまでが本当なのかは優芽もよく知らない。遭遇したことがないので情報もないが、そのあたりの何者かではあると予想した。


 夢なら暴力的に解決したろうが、優芽は状況判断を優先する。彼らが無事に戻らなければ、大事おおごとになることは明白。

 愛花の話を目を見て言い返すことなく聞いていたクロという男は、話が分からない相手ではなさそうだった。周りに威圧を感じさせるような見た目。意志の強い瞳は反発感があり、何やら不満を抱いていることもーーそれが仕事関係でありそうなこともーー優芽は推察する。


 何事もなかったかのように、帰っていただかねばならないと痕跡の消えた場所を辿った。



♦︎


『鬼さんこちら、手のなる方へ』


 御伽話のモチーフにした怪異の相手。

 滅多にないことだ。シロクロにとっては、霊や霊障の方が身近な存在だった。


 経験値が少ないため、対処の方法も難しくなる。


 時間が過ぎるほどに、状況が不利になっていくのが目に見えていた。


 怪異は、限られた条件下で発生する自然現象のようなもの。特殊な性質を持った自然現象と敵対するのは、できる限り避けたい。

 しかし、相手から迫ってくるのなら逃げることはできない。


「……突然すぎる登場だな」

「ここまで、何にも会わなかったことが奇跡だろ」


 怪異は、発生する条件がしっかりと固定されているものほど強い。たぶん、御伽話を前提にしているこの相手は、条件下においては最悪最強だ。

 土地によっては、独自の条件を持っているものもいるので、まずは敷かれたルールを確かめなければいけない。


 そして、ルールを確かめるのはクロの仕事だった。


「落ち着け」


 クロは下唇を舐める。

 視覚情報を得られないことが平衡感覚さえも歪ませ、焦りを生んだ。


 音が四方から聞こえる。ぽん、ぱん、ぱん、ぽんぽん。足音。サクサク。じゃり、じゃら。手のひらの汗。湿って水臭い。息を吸って、吐く。


 霧の中にいるので、身体が濡れた感覚がする。何がある、何が隠れている。


 集中するには背中の熱が邪魔だった。離れようとするが、シロに手を掴まれる。1人になるなと言われている。


 霧に紛れてバラバラになれば、相手に隙を見せる機会も増えるため、最悪の可能性が高くなる。それを抑え込むために、クロの腕を掴んだ。握り込まれるその力の強さで察した。


「感覚派の感覚派たる意地を、見せることだ」

「……ッチ」


 背後からため息をつかれそうな気配がした。

 腕組みをしながら言っているに違いない。お前も努力しろってんだ。


 コイツに弱いところを見せるなんて、絶対に嫌だ。クロはそんな意地を張りながら、探っていく。


 足元にある石を手の感覚だけで取り、出来るだけ低く長く飛ぶように投げた。音が返ってこないので、霧の中から抜けることは出来ないと判断した。

 

「鬼さんこちら、手のなるほうへ」


 耳元で囁かれた。


 次に嗅覚を奪われた。水の匂いや土の匂いが分からなくなる。

 聴覚が奪われるのは、鬼さんこちらの一言を聞かせるために、順番としては最後になるだろう。それまでに終わらせなければいけない。


 唇を噛んで、血を舐める。鉄臭い、何とも言えない微妙な酸っぱさ。じわとひろがる口の中に変な違和感があった。


「……?」


 花臣に握られた手を無理やり掴み返して、口元に運び小さく噛んだ。つまり花臣を噛んだ。前歯で、ガリッと血が出るまで、含む。……甘くて、苦い? こんな感じだったか?


「……っ!!!」


 頭をバシッと力強く叩かれた。腕は掴んだままだが結構な衝撃があり、広がる痛みに現実との違いを意識した。

 

「そこまでするか?」

「お前も噛んでやろうか」

「……いいわ、俺が悪かった」


 シロの口に入る自分の手を想像して、全身が総毛立つ。キモい、キモ過ぎる。感覚を確認するためとは言え、やりすぎた。


 ーーしかし、その行動で分かったこともあったが。


 この田舎に来た時から感覚は鈍くなっていたので、違和感があるのも当たり前だと勘違いしていたが、そうではなかった。


 ーー声はニセモノ。音もニセモノ。

 

 感じる全てがニセモノだ。目隠しされているのではなくて、感覚を弄られている。

 言葉で条件付けが固定され、現実と同化し、最終的には奪われた五感を取り戻すことができずに終わりだ。


 これは、純粋にゲームに勝たなければいけなかった。ヒントなしの追いかけっこだ。クソだ。本体を見つけなければ、消すことすらできないのに、それが成立していないように思える。


 ーー違和感を探せ。


 条件付けならば、奪われるときに掴め。それだけは事実として生まれなければ、怪異としての前提はない。


 霧の領域。声かけ。嘘の鬼ごっこ。相手の意思。


 ーー解決手段はそこにあった。まやかしが裏切るすべてと真実の境目。


 どこにいる。どこに隠れている。気配が分散していて、いくつもいくつも存在しているように思えた。しかし、条件付けの定義が弱く、強くはないはずだ。


 時間が過ぎ、味覚を奪われて、触覚を奪われた。


 『鬼さんこちら、手のなる方へ』。呪文のようにその声が聞こえるたび、感覚が失われていき、足元から崩れていくような気がした。


 味覚を奪われた時、一箇所掴んだ。そして、触覚で二箇所。


 ……足りない。掴み切れない。


「クソが!!」


 大声で叫んだ。体が動かせたなら、思い切り土を蹴り上げていた。


 ーーおにさんこちら、てのなるほうへ。


 終わりの音が聞こえ、絶望感が身を苛む瞬間。


「焦るな、まだある」

「……!」


 導かれ、知覚が残っていることに気付く。思考がある。そして、自然が自分を包んでいるなら、それが味方になると確信できた。


「開け」


 奥底の閉じた感覚を開く。第六感にも似た、過敏過ぎる身を開いて、箱を開ける。


 選択肢はここにあり、それ以外に可能性は広がらない。俺を支配するのは、俺だけ。


「つかんだ」


 まず、音を奪い取った。


 唾を呑む。手触りを思い出す。匂いを得た。


 あとは、目を開こう。


 そこにいるのは、4人のおかっぱ頭の子供だった。逃げていたのは、1人だけではなかったのだ。


 目の前で屈む少女たちは、目が無かった。俺たちから奪っていくつもりだったのだろう。執着するものが、その身を体現する怪異。『目隠し鬼』。それだけでなく、五感を一つずつ奪おうとするところから、相手は一人ではないと気付いた。


「反転する」


 ーーそのまま消えてくれよ。


 クロは相手側に性質を跳ね返し、自らの条件にやられて、互いの存在価値をなくし、怪異は闇に溶けた。

 これ反転に関しては、シロよりもクロの方が得意だったので、反転で返せる相手で良かった。


「……遅かったな。ダメかと思った」

「はっ、誰が」


 額に冷や汗が滲んでいる。

 しかし、それを感じさせたくは無かった。シロ相手だからだろう。


「じゃ、あとよろ」


 クロはバトンタッチした。几帳面なシロに、土地の調節諸々任せ、自分は土の上に座り込んだ。


『六根清浄急急如律令』


 眼と耳、舌と鼻、身と心を浄化して、少し落ち着いた。

 

 気脈の乱れを戻していくシロの背中を見つめて、どうしてこんな奴の相方になってしまったのだろうと思った。得意分野が分かれているからと、効率で思考を展開していくため、こういう場面になると負担が半端じゃない。


 性格も考えも全く違って、話も通じなくて堅苦しい相手だ。しかし、それでも対の相手に選ばれた。…‥真逆だからこそ、選ばれたのかもしれないが。


 人は人。誰にでも役割がある。平凡なこと、非凡なこと。

 小さなことだって、なんだって役割はあるもんだ。でもその中で、クロは特別な方ではない。感覚が鋭いだけで生きてきたところもある。万能にはなれやしないし、なる気もない。自分の身の丈に合わない仕事をすれば、簡単に死ぬ。正直言って恐ろしくないわけがない。


 しかし、こいつは違う。血統を継ぐものであり、特別。恐れよりも興味を優先する生き物だ。マジに巻き込まれるとやってられなくなる。こんな土地に来たのも、シロのせいだ。こいつが特別だから、俺まで……。


「お前とペア辞めてーわ」

「逃げたいだけじゃないのか」


 グリグリと土をいじっていた手が止まる。


「何もかも分かったつもりになってんじゃねーぞ。冷めた目付きしやがって。舐めてたら、すぐ足元を掬われっぞ」

「何も知らないふりをするお前も悪い」


 目を合わせる。


 ーー知らないふり、出来ないふりで、出来る限り責任のある立場から逃げ、真面目に役目を果たそうとしていない。


 図星を刺されて、黙った。危険な目に遭うことが恐ろしいという、どうしても弱い本能的な部分。自分の見つめ合いたくない現実を突きつける。

 クロは帽子を深く被り、目を隠す。


 帽子を被った時に薄い笑みが見えた。長い髪が晴れた霧の代わりに流れ込んだ風に揺られて、気味が悪い。昔、コイツは俺を支配しようとしているのだと思ったことがあった。だから苦手だ。


「……くっそ。年下のくせに変な顔すんな」

「……年下? 一月も違わんだろ」

「学年が違うだろうが」


 3月と4月。一月の差が年齢の差である。


「お前は高一、俺は高二。これが社会における絶対定義だ」

スキップ飛び級でもしてやろうか」

「アア?」


 シローーいや、花臣には体格でも身長でも、男らしさでも負けているので、唯一威張れる年齢の差が無に帰すなど悪夢に等しい(時頼は女顔を気にしている)。

 冗談が通じないこの男は、実際に飛び級しそうだ。成績も無駄に良いやつなので、制度さえあれば簡単に実行すると分かっていた。


「いや。こんなことより早く終わらせて降りねーと、このままじゃ野宿だぜ」

「宿くらい予約している」

「俺の分も?」

「ああ」

「……さんきゅ」


 こういう用意周到なところは認めてやらないでもない。

 



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