第17話 選択肢はそこにある
スクリーンに映る情報の山。取捨選択しながら、自分に何が必要か選ぶ。
スクロールして、スクロールして、選択を無意識にしている。履歴に残るのは、自分の思考だった。何に興味があるのか、何が嫌なのか、求めるものは何なのか。
望むものを選ぶ。知りたいことを知る。
幾千幾億。パターンはいくつもあり、その時々によって違う。知らないものを知れる喜び。しかし、その全てを受け入れきる器はない。
だから、小箱に入れて必要な時に取り出す。過敏過ぎる自分にとって、それは自分をセーブする方法。
選択肢はいつもそこにある。
♢
「……どういうこと」
優芽は、2人組を追って山の奥深くまで来た。
しかし、途中から気配を感じなくなり、急いでその場所まで向かった。
痕跡が残ってない。しかし、残っていないからこその違和感があった。
この土地は、人間の気配よりも物怪達の気配が濃密な場所だ。神域に近いとも言える。
業を寄せ集め、怪物で怪物をごった煮して、食い合って、それで秩序を保つ。境界と領域が線引きされず、欲のままに動き続けることができる空間。共有されるいにしえの忌物たちは、そうして存在することを許されている。
互いに侵蝕し合っているので、確実に何かの気配はあるべきなのだ。
優芽は地面に座り込み、しばらく感覚を研ぎ澄ます。頭がどんどん斜めになっていき、地面につきそうになる。そして、ツインテールが元の位置にぴょんと戻ったとき、優芽は目を見開いた。
「うん、うん。何もない」
強いものがいれば、甘い香りが漂っていたり、目が痛くなったり、耳鳴り、急に寒さを感じるなどの違和感がある。意識的に無視しない限り、居るのは分かるものだ。
領域に取り込み、痕跡を残さない虚のような夢魔ーー自分のような存在ーーもいるにはいるが、同類だからこそ分からないはずがなかった。……それゆえ、奇妙なのである。
「ほんと、面倒な人たちだったのね」
考えられる可能性は、いくつかある。
優芽の知らない何かが突然ここに現れて、彼らを襲い、全ての痕跡を消して去った。
あるいは、彼ら自身が痕跡を消せる何者かであること。
この二つが、主な可能性だろう。しかし、一つ目はよほどのことがなければあり得ない。そんなことがあれば、あの男が気付いて駆けつけて来ている。
「能力者? とかなのかなぁ」
祈祷師や呪術師など、霊能者の部類が世の中には存在するようだが、どこまでが本当なのかは優芽もよく知らない。遭遇したことがないので情報もないが、そのあたりの何者かではあると予想した。
夢なら暴力的に解決したろうが、優芽は状況判断を優先する。彼らが無事に戻らなければ、
愛花の話を目を見て言い返すことなく聞いていたクロという男は、話が分からない相手ではなさそうだった。周りに威圧を感じさせるような見た目。意志の強い瞳は反発感があり、何やら不満を抱いていることもーーそれが仕事関係でありそうなこともーー優芽は推察する。
何事もなかったかのように、
♦︎
『鬼さんこちら、手のなる方へ』
御伽話のモチーフにした怪異の相手。
滅多にないことだ。シロクロにとっては、霊や霊障の方が身近な存在だった。
経験値が少ないため、対処の方法も難しくなる。
時間が過ぎるほどに、状況が不利になっていくのが目に見えていた。
怪異は、限られた条件下で発生する自然現象のようなもの。特殊な性質を持った自然現象と敵対するのは、できる限り避けたい。
しかし、相手から迫ってくるのなら逃げることはできない。
「……突然すぎる登場だな」
「ここまで、何にも会わなかったことが奇跡だろ」
怪異は、発生する条件がしっかりと固定されているものほど強い。たぶん、御伽話を前提にしているこの相手は、条件下においては最悪最強だ。
土地によっては、独自の条件を持っているものもいるので、まずは敷かれたルールを確かめなければいけない。
そして、ルールを確かめるのはクロの仕事だった。
「落ち着け」
クロは下唇を舐める。
視覚情報を得られないことが平衡感覚さえも歪ませ、焦りを生んだ。
音が四方から聞こえる。ぽん、ぱん、ぱん、ぽんぽん。足音。サクサク。じゃり、じゃら。手のひらの汗。湿って水臭い。息を吸って、吐く。
霧の中にいるので、身体が濡れた感覚がする。何がある、何が隠れている。
集中するには背中の熱が邪魔だった。離れようとするが、シロに手を掴まれる。1人になるなと言われている。
霧に紛れてバラバラになれば、相手に隙を見せる機会も増えるため、最悪の可能性が高くなる。それを抑え込むために、クロの腕を掴んだ。握り込まれるその力の強さで察した。
「感覚派の感覚派たる意地を、見せることだ」
「……ッチ」
背後からため息をつかれそうな気配がした。
腕組みをしながら言っているに違いない。お前も努力しろってんだ。
コイツに弱いところを見せるなんて、絶対に嫌だ。クロはそんな意地を張りながら、探っていく。
足元にある石を手の感覚だけで取り、出来るだけ低く長く飛ぶように投げた。音が返ってこないので、霧の中から抜けることは出来ないと判断した。
「鬼さんこちら、手のなるほうへ」
耳元で囁かれた。
次に嗅覚を奪われた。水の匂いや土の匂いが分からなくなる。
聴覚が奪われるのは、鬼さんこちらの一言を聞かせるために、順番としては最後になるだろう。それまでに終わらせなければいけない。
唇を噛んで、血を舐める。鉄臭い、何とも言えない微妙な酸っぱさ。じわとひろがる口の中に変な違和感があった。
「……?」
花臣に握られた手を無理やり掴み返して、口元に運び小さく噛んだ。つまり花臣を噛んだ。前歯で、ガリッと血が出るまで、含む。……甘くて、苦い? こんな感じだったか?
「……っ!!!」
頭をバシッと力強く叩かれた。腕は掴んだままだが結構な衝撃があり、広がる痛みに現実との違いを意識した。
「そこまでするか?」
「お前も噛んでやろうか」
「……いいわ、俺が悪かった」
シロの口に入る自分の手を想像して、全身が総毛立つ。キモい、キモ過ぎる。感覚を確認するためとは言え、やりすぎた。
ーーしかし、その行動で分かったこともあったが。
この田舎に来た時から感覚は鈍くなっていたので、違和感があるのも当たり前だと勘違いしていたが、そうではなかった。
ーー声はニセモノ。音もニセモノ。
感じる全てがニセモノだ。目隠しされているのではなくて、感覚を弄られている。
言葉で条件付けが固定され、現実と同化し、最終的には奪われた五感を取り戻すことができずに終わりだ。
これは、純粋にゲームに勝たなければいけなかった。ヒントなしの追いかけっこだ。クソだ。本体を見つけなければ、消すことすらできないのに、それが成立していないように思える。
ーー違和感を探せ。
条件付けならば、奪われるときに掴め。それだけは事実として生まれなければ、怪異としての前提はない。
霧の領域。声かけ。嘘の鬼ごっこ。相手の意思。
ーー解決手段はそこにあった。まやかしが裏切るすべてと真実の境目。
どこにいる。どこに隠れている。気配が分散していて、いくつもいくつも存在しているように思えた。しかし、条件付けの定義が弱く、強くはないはずだ。
時間が過ぎ、味覚を奪われて、触覚を奪われた。
『鬼さんこちら、手のなる方へ』。呪文のようにその声が聞こえるたび、感覚が失われていき、足元から崩れていくような気がした。
味覚を奪われた時、一箇所掴んだ。そして、触覚で二箇所。
……足りない。掴み切れない。
「クソが!!」
大声で叫んだ。体が動かせたなら、思い切り土を蹴り上げていた。
ーーおにさんこちら、てのなるほうへ。
終わりの音が聞こえ、絶望感が身を苛む瞬間。
「焦るな、まだある」
「……!」
導かれ、知覚が残っていることに気付く。思考がある。そして、自然が自分を包んでいるなら、それが味方になると確信できた。
「開け」
奥底の閉じた感覚を開く。第六感にも似た、過敏過ぎる身を開いて、箱を開ける。
選択肢はここにあり、それ以外に可能性は広がらない。俺を支配するのは、俺だけ。
「つかんだ」
まず、音を奪い取った。
唾を呑む。手触りを思い出す。匂いを得た。
あとは、目を開こう。
そこにいるのは、4人のおかっぱ頭の子供だった。逃げていたのは、1人だけではなかったのだ。
目の前で屈む少女たちは、目が無かった。俺たちから奪っていくつもりだったのだろう。執着するものが、その身を体現する怪異。『目隠し鬼』。それだけでなく、五感を一つずつ奪おうとするところから、相手は一人ではないと気付いた。
「反転する」
ーーそのまま消えてくれよ。
クロは相手側に性質を跳ね返し、自らの条件にやられて、互いの存在価値をなくし、怪異は闇に溶けた。
「……遅かったな。ダメかと思った」
「はっ、誰が」
額に冷や汗が滲んでいる。
しかし、それを感じさせたくは無かった。シロ相手だからだろう。
「じゃ、あとよろ」
クロはバトンタッチした。几帳面なシロに、土地の調節諸々任せ、自分は土の上に座り込んだ。
『六根清浄急急如律令』
眼と耳、舌と鼻、身と心を浄化して、少し落ち着いた。
気脈の乱れを戻していくシロの背中を見つめて、どうしてこんな奴の相方になってしまったのだろうと思った。得意分野が分かれているからと、効率で思考を展開していくため、こういう場面になると負担が半端じゃない。
性格も考えも全く違って、話も通じなくて堅苦しい相手だ。しかし、それでも対の相手に選ばれた。…‥真逆だからこそ、選ばれたのかもしれないが。
人は人。誰にでも役割がある。平凡なこと、非凡なこと。
小さなことだって、なんだって役割はあるもんだ。でもその中で、クロは特別な方ではない。感覚が鋭いだけで生きてきたところもある。万能にはなれやしないし、なる気もない。自分の身の丈に合わない仕事をすれば、簡単に死ぬ。正直言って恐ろしくないわけがない。
しかし、こいつは違う。血統を継ぐものであり、特別。恐れよりも興味を優先する生き物だ。マジに巻き込まれるとやってられなくなる。こんな土地に来たのも、シロのせいだ。こいつが特別だから、俺まで……。
「お前とペア辞めてーわ」
「逃げたいだけじゃないのか」
グリグリと土をいじっていた手が止まる。
「何もかも分かったつもりになってんじゃねーぞ。冷めた目付きしやがって。舐めてたら、すぐ足元を掬われっぞ」
「何も知らないふりをするお前も悪い」
目を合わせる。
ーー知らないふり、出来ないふりで、出来る限り責任のある立場から逃げ、真面目に役目を果たそうとしていない。
図星を刺されて、黙った。危険な目に遭うことが恐ろしいという、どうしても弱い本能的な部分。自分の見つめ合いたくない現実を突きつける。
クロは帽子を深く被り、目を隠す。
帽子を被った時に薄い笑みが見えた。長い髪が晴れた霧の代わりに流れ込んだ風に揺られて、気味が悪い。昔、コイツは俺を支配しようとしているのだと思ったことがあった。だから苦手だ。
「……くっそ。年下のくせに変な顔すんな」
「……年下? 一月も違わんだろ」
「学年が違うだろうが」
3月と4月。一月の差が年齢の差である。
「お前は高一、俺は高二。これが社会における絶対定義だ」
「
「アア?」
シローーいや、花臣には体格でも身長でも、男らしさでも負けているので、唯一威張れる年齢の差が無に帰すなど悪夢に等しい(時頼は女顔を気にしている)。
冗談が通じないこの男は、実際に飛び級しそうだ。成績も無駄に良いやつなので、制度さえあれば簡単に実行すると分かっていた。
「いや。こんなことより早く終わらせて降りねーと、このままじゃ野宿だぜ」
「宿くらい予約している」
「俺の分も?」
「ああ」
「……さんきゅ」
こういう用意周到なところは認めてやらないでもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。