第15話 気絶男
(……!)
人が道端で急に白眼を剥いて、倒れたことの衝撃。走って駆け寄る。
目の前で気絶されたので、救急車を呼ぼうと思ったが、そもそも携帯などなく、相手が持っていても使い方を知らない愛花。周辺に頼れる民家もなく、放って帰るには不安があった。
持病か何かがあったのかパニックになりながら、奇妙な形で倒れている相手を仰向けにして、気道を確保する。胸は動いてる、呼吸も不自然じゃない。自分の手が震えているのを感じて、息を吸って吐くのを意識する。
「どうすればいい?」
「死んではいない」
「……死なれたら困るよ」
「摩耗」
「摩耗って……。救急車呼ぶ? どうしよう」
公衆電話を探すよりも、熱中症のようだったので家に帰った方が早いと、彼に倒れた相手をおぶってもらう。彼ならすぐに移動できるが、愛花以外の人間に協力的になったのをほぼ見たことがないのでーー現に背負うのでさえ、嫌がっていたーーどこかに捨てられる可能性もあると、とりあえずそれだけ頼んだ。
家に帰り、母の指導で帽子を脱がせて、汗を軽く濡らした布で拭いてもらい、脇の下、首、太ももに氷袋を包んだタオルを巻いた。唇を水で湿らせ、呼吸を見る。
これでも意識が戻らないなら、救急車を呼ぼうと思ったが、男は回復して意識を取り戻した。布団に横たわった不審者、もとい気絶してしまった人が眼を開く。
「……ア? ここどこだ」
野球帽を脱がせた素顔は、綺麗な女の人……に見えたが、普通に男の人だった。声も低くはないが、男性のもの。髪の色を抜いているのか、薄茶色に灰色を混ぜた奇妙な髪色をしていて、派手だが似合っている。
急に身体を起こすので慌てて支え、水分を渡す。
「あの、ですね。突然、倒れられまして。病院に行きますか? 危ないですし」
「病院? なんで?」
気絶したときの記憶がないようだ。とりあえず、さっきの状況を説明する。
「あー? あー、あー、あぁあ……」
自分の記憶を遡っているのか、どんどん丸まっていき、声のトーンも暗くなっていった。恥ずかしそうにしているところを見ると、割と普通の人だったので、愛花は少しだけ共感した。
頭を抱えて、倒れてからどれくらい時間が経ったのか確認されたので、20分経ってはいないだろうと伝える。
「うわぁ…、やっちまった。アイツヤバいかも。挑発にすぐ乗るのが俺の悪い癖だ。どこいるんだ、アイツ」
スマホを何やら操作している。危機迫る感じがするので、本当にヤバいと思っているのだろう。
ーーピンポーン!
玄関がガラッと開く音がした。
「あーいかちゃーん」
この声は、優芽だ。彼女は近所には住んでいないが、頻繁に遊びに来るようになった。愛花は自分から遊びに誘うこともないので、地味に嬉しいのだが、彼は彼女が来ると機嫌が悪くなる。
「騒いでるから、来たよ。うん? ……臭い。なにか、いるね」
クロ? と変な名前で呼んでくれと言った彼は、外に電話をしに行った。何やら連れが居たらしく、心配させているかもしれないとのことだった。もし、スマホで通じなければ、うちの固定電話から連絡を取ってもらおうかなと思っていた時に、優芽が来た。
彼女はクンクンと匂いを嗅ぎ、クロを寝かせていた部屋に辿り着く。どうしたのと聞かれて軽く経緯を説明すると、歓迎されない余所者が来たのねと怒ったように話した。
そういえば、問題があるのは彼だけじゃなかった。
「優芽ちゃん、手を出したらダメだよ」
「えー、ダメなの?」
「普通の人はそんなことしないから」
「『普通』って、型枠の決めつけでしょう。本当に普通の人なんて存在しないから、大丈夫だよ」
「普通の人でなくても捕まります」
彼が蘇らせてくれた彼女だが、もちろん普通のものとして生き返ったわけではなかった。人は死んだら生き返らないものだ。そんなに簡単なら愛花は苦しまなかった。生きようと必死になりはしなかった。
辻褄合わせ、と愛花が呼ぶ、あちら側の生き物が消えた時に起きる現象。そこには誰もいなかったかのように穴埋めされて、この世界には何もおかしなことはありませんでしたと、振る舞う人々。記憶すらツギハギで、それにおかしいなんて感じない。
そのあまりの違和感に恐怖したが、人と距離を置き、普通の人として慣れてしまえば、違和感もある程度無視できたことが、優芽にとってはうまく作用した。
幼少期に親の都合で、この土地から離れることになった優芽。都会へと移り住んだ彼女がまたこの土地に戻り、愛花の元に現れる。それはあの日あの時に襲われなければ、ありえた未来だ。
夢という少女は、夢魔が本当ならありえたはずの可能性を切り取った幻だったのだ。優芽の魂と体をそのまま使って、見せたもの。彼女がそのまま夢と入れ替わることで、辻褄合わせが優芽をそのまま受け入れた。
魂と肉体。愛花にとっては、よく分からないその区別。混ざった彼女は、一部夢魔の力を手に入れた。その力を使ったところを今のところ見てはいないけど、そうらしい。
優芽はあちら側の生き物になったのだ。彼女はそれを全く後悔してないと言った。愛花ちゃんにずっと会いたかったから、そばにいたかったから、彼の言うことも聞いたのだと話してくれた。
「なーんで、こんな大事な時期に要らないものが来るのかな? 燃やして捨てちゃいたい」
ゴシックロリータの格好をしている彼女がそんなことを言うと、漫画とかに載っているメンヘラみたいで怖い。彼女の服の趣味は普通だが、愛花に対の和風ロリータの服を着せるために、わざわざ揃えで着てきたらしかった。紙袋にいれて愛花の分も持ってきている。
「……大事な時期って何?」
「愛花ちゃん……、もうすぐで誕生日だよ」
「誕生日?」
誕生日なんて、小学生の時から祝ってない。そもそもいつかなんて、書類で書く時くらいしか気にしないから忘れている。母にも誕生日は気にしない様にひたすらひたすら言って、ずっと経つ。
夏休みが始まる前くらいになーんか、ハガキとか広告の何かが来てる記憶くらいしかないなと愛花は思った。生まれた日というだけで、そこまで特別だと思ったこともないのだ。毎日毎日、生きていることに必死だったから、歳を重ねていくことに喜びを感じる余裕はなかった。
「忘れちゃったの?」
悲しそうな顔をする優芽に焦る。どうして、自分の誕生日を気にするんだろうか。
「えっと、7月25日」
ツインテールがご機嫌斜めな様子。セットされた髪が愛花の顔にぶつかってきた。そのままギュッと抱きしめられる。
「愛花ちゃん、ごめんね」
「……なにが?」
「うん、待っててね」
……待つ。別に待ちたくない。彼が、優芽が、母が隣に居れば何でも良いのに。この時間が幸せだから。
「…………」
「愛花ー、大丈夫? その子、病院連れてってあげようか? 地元の人っぽくないし、ここら辺よく知らないでしょ」
「ママ」
母がやってきた。着替えがないか探してくれていたのだが、ちょうど良いサイズがなかったようだ。近場の病院でも、2、30分はかかる。
ちょうど件の人が戻ってきた。
「あ、大丈夫っす。迷惑かけました。あざっした」
電話が繋がったのか、スマホを片手に持ってポケットに入れ、もう片方の手からなにやら取り出して、愛花の手を握った。
「お礼ね」
手の中に札を握らされた。が、ほぼ何もしていないのにお金なんて貰ってたまるかと、追いかける。そして、学生の愛花には、大金すぎてヒヤヒヤした。
田舎は助け合いの文化があるのだ。助けて助けられて、生きている。毎回お金の受け渡しをしていたら、ありがたみが消える。愛花の心に微妙なしこりが残ること間違いなし。
外に出た相手にお金を返そうとするが、受け取ってくれない。
「いや、お礼だから」
「じゃあ、もうちょっと家で休憩していってください」
「え?」
気持ちよく帰ってもらおう。お金の対価は労働だ。こんな大金を返せる気はないが、気を見て返せないか試みよう。
「変なお兄さん。暑さで倒れたのに、また外に出て倒れたらどうするの? 待ち人もすぐ来ないみたいだし、中に入らない?」
「あ?」
「ほら、中に戻って。恩人を困らせないで」
「お、おお」
言い返される前に、無理やり中に押し込んだ。こういうとき、優芽がいてくれて助かった。ホッとする。
「愛花ちゃんも、時にはお礼を受け止める気持ちも必要だよ。ケースバイケース、場合によりけり。そのお兄さんからは、受け取っても大丈夫」
気にしすぎちゃうんだもんね。まぁ、そんな優しい愛花ちゃんが、私は好きだけど。
優芽に笑顔を向けられて、どぎまぎしながら、そうなのかとちょっと反省。
彼は、反応がないので隠れたようだ。影の中にもいない。
(……せっかく、作ろうと思ったのに)
♢
「しろー、おーい」
黒蜜で、フルーツあんみつを作った。優芽は和菓子が好きじゃないので、フルーツポンチ。ミックスフルーツ缶があれば簡単だ。パイナップル、みかん、白桃、黄桃。寒天に、白玉。あんこは時間が無かったので、作れなかったので、中途半端だけど。
庭でポットで育てているミントも飾って、縁側に座ってみんなで食べる。
「あまーい」
「美味いな」
相手が来たらしい。周りは木に囲まれて見えないのだが、人の気配で分かった。
この人がクロで、相手がシロって苗字を取ってそう呼んでいるのかなと思っていたが、迎えに来た人を見て、考えが変わった。
(見た目かも。ほんと、白い)
日焼けが嫌いそうな人だと、第一印象で思った。美形の基準が彼や優芽で固定されているので、顔を見ても大してなにも感じなかったが、白い服装にはこだわりがありそうだ。
「……勝手に行方不明になった末に、人の家に世話になっていたのか」
「わりぃ、わりぃ」
「本気で謝ってるか?」
「謝ってるよ」
この人もまた懐からお金を取りだそうとしたので、それは無理矢理止めた。何なのだこの人たちは! とつい言ってしまいそうになった。
「早く帰るべき。クロくんはここにいたらまた倒れるかもよ?」
いつの間にかクロと打ち解けてしまった優芽は、気軽に話しかけている。
「俺たちも仕事があんだよ、しょーがねーの」
「……へぇ。お仕事でねー。どんなお仕事?」
「環境分析系」
「ふーん」
突然、優芽がふぅーっと息を吐いた。広がる線と線が形を作り、そこにあるはずのないものを生み出す。
クロはうわっと反応し、シロは顔がひきつった。大量の羽虫が顔に近づいてきたからだった。自然の多い場所なら虫はある程度いるものだ。だが、それはあちら側の生き物だった。猫とは違う、正真正銘見えないはずのもの。
眼を見開く。普通の人が見えている。それは愛花の人生史上初めての経験。今までそんな人は周りにいなかった。
優芽の顔を見て、それが気のせいではないとわかった。
彼らは気付いていない。気付いていないからこその奇妙さが、そこにはあった。
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