第2話 2人の出会い


 大事なものを、大事なかけらを、ずっとなくしていた。


 遠い昔の思い出は、私の悪夢を呼び覚まして。



「起立、礼」

「「「おはようございます」」」


 至って普通の、ホームルーム前の朝の挨拶。

 

 その中に気怠げな顔をした少女が一人。

 下ろせば腰ほどにもなるだろう長髪を、後頭部の下で軽く結び、それを青いシュシュで括っている。絶世の美人というわけではなく、至って普通の少女の見目ではあるのだが、普通の少女には醸し出せない怪しげな雰囲気をまとい、体のバランスを片側に傾かせて立っていた。


「みんな、おはよう」


 担任の挨拶が終わり、皆が席につく。彼女もノロノロとそれにつられるように席に着いた。その様子は、側から見てもおかしく、ぽけっとしている様が見てとれる。


 彼女は木皿儀愛花、高校二年生。彼女は普通の人間ではない。

 幼い頃の過ちから、彼女は決して見えるはずのない、知ることのないはずの世界と繋がってしまった。

 先日それに関連した事件に巻き込まれ、精神的なダメージを負い、未だ回復していないところである。


 (……今日はいつにも増して、わんさか)


 空中に浮かぶ魑魅魍魎たち。

 目線を彼らと合わせないように、キョロキョロ動かす。すると、いつのまにか彼らは消えていた。


「今日は転校生を紹介する。霧立夢さん、どうぞ」


 教室のドアが開き、そこから転校生が現れた。


 教室の男子は可愛い女子が来たということで喜び、大騒ぎし、女子は女子でレベルの高そうな子が来たと敵外心、憧れ、その他諸々で声をあげる。


 愛花といえば、ぼやっとした頭で反応した。


 (……転校生? こんな時期に)


 今は、5月を少し過ぎたあたりである。少し日にちを早めれば、新学期始めに転入することができたはずなので変だなと思った。

 

 顔を上げて、転校生の顔を見てみようとすると、足元の影がザワザワと揺れた。彼女の体を震わすように。


「えっ……!」


 この動きは、愛花に憑いている彼が何かを伝えようとしている。普段ならなんの反応も返すことはない。

 しかし、ホームルーム中といういつもではありえない時間に反応がきたものだから、悲鳴をあげてしまった。


「木皿儀? どうした」


 突然叫び声を上げた愛花に反応する担任。普段静かな彼女が急に叫んだことに疑問を覚えたようだ。

 なんでもありません、虫が居ただけですと手を振って、ゴマかす。


 その時に転校生と目があった。

 地毛にしては少し薄く感じる茶髪、ぱっちりとした目。特徴的なツインテール。紫紺のジャケットに、赤と青のチェックのスカート。うちの制服とは比べ物にならないほど可愛らしいブレザー服。制服の発注が間に合わなかったのだろうか……。


 そう思いながら、見つめ合う。


 (あれ?)


 転校生は愛花を見てニコリと笑った。とても綺麗に笑う子だ、と朧げに思う。


 (この子、どこかで……?)


その時、愛花の中の曖昧で、けれど一番繊細な場所を刺激する何かが一瞬閃く。


 ーーミーン、ミンミン。ミーン、ミンミン。


 蝉の鳴き声。深い森の奥。

 暁の色、門扉の開かれた神社。どんよりとした熱気。禁忌の記憶。

 ガサガサと逃げ惑い、走る。


 ーーあいかちゃん!!


 誰かの声。伸ばされた手。でも、誰もだれも助けることができない。できなかった。……私は手をつかめない。


 (……っ!!!)


 ーー頭のてっぺんを刺すような激痛。

 全てを覆い隠すような黒いモヤに包み込まれて、その記憶はすぐさま遥か彼方へと消えた。


(……あれ、いま何考えてた?)


 愛花は先程まで考えていたことを、無理やり剥ぎ取られたかのような空白感に苛まれる。気持ちが悪い。


「霧立夢です。よろしくお願いします」


 そこで転校生が高い鈴の音のような声で、自己紹介する。

 礼をした時に長いツインテールの髪が左右にかすかに揺れた。


 (……あぁ)


 それにふと懐かしさを覚えた。嬉しくて、でもどうしようもないほど悲しくて。今にも駆け寄ってしまいたいような親しさを感じて……。

 愛花は感じたことのない感情に戸惑いながら、転校生を見つめる。



 (霧立夢ちゃん、ゆめ。……友達になれないかな)


 愛花には珍しいことに、転校生ーー霧立夢に対して興味を覚えていた。普段ならば、自分が他者に与えてしまう影響を気にして、近づこうとはしないのだが。ましてや、友達になろうだなどと思うことはない。

 しかしどうしてか、愛花の中には彼女とは友達にならなければと言う気持ちが芽生えた。



 ……足元の影はその様子を注視するように、ブルブルと震え続けている。

 


 SHR明けの短い休み時間。

 噂の転校生には沢山の生徒たちが集まっていた。この田舎に転校生がくるというのが珍しいのもあるだろうが、その雰囲気や見た目に惹かれているのだ。人に対して気後れしがちな愛花でさえ、そう感じたのだから。


「どこから来たの?」

「東京から。親の転勤で」

「へー、すごい!」

「すごくないよー」

「ここ田舎だから、何にもないのに」

「自然が豊かでいいじゃない。校舎とか大きくて、新しいからいいなって思うよ」

「まぁ、それくらいしかいいとこないとも言う」

「いやいや、ディスっちゃダメでしょ」



 転校生は丁寧に生徒たちの質問に答えていた。さっきまで敬語だったのに、もうタメ口でふざけ合っている。コミュ力の化け物か……。

 あの中に入っていくのは無理そうだ、と愛花がその様子を伺っていると、ふと転校生とまた目があった。


 夢が山のような生徒たちの間をすり抜けて、こちらにやってくる。

 改めて見ても、彼女はとても美人だった。

 鮮やかな茶髪、人によってはあざとく見えてしまうようなツインテールもその雰囲気によく似合っている。ぱっちりとした目を強調するように、長いまつ毛が囲む。ニキビひとつない顔は、どんな生活を送ればここまで完璧になるのだろうと思うほど、ツルツルな卵肌。


「今さっき目が合いませんでしたか? 名前聞いても良いですか?」


 愛花は何故夢がこちらにやってきたのか理解が追いついていなかったが、聞かれるがままに答えを返していた。


「……木皿儀愛花」

「……愛花ちゃん」


 愛花、愛花ちゃん。

 噛み締めるように繰り返される名前。そのまま、夢は愛花にこう言った。


 ーーあいかちゃんって呼んでいい? 私のことは、ゆめって呼んでほしい。


 心が何かザワザワする。けれども、繰り返される感情の名前を愛花は知らなかった。


 (……ゆめ)


 心の中で小さく彼女の名を呼んだ。口に出せば、何より馴染むだろう、その言葉。

 それを不思議に思いながらも、愛花は夢の要望に応えた。いや、それが自然なことだと思ったからなのかもしれない。


「いいよ」


 愛花がそう言うと、夢は笑った。にっこりと花開くように。

 それはまるで幻想のようで、綺麗すぎて。彼女が本当に存在しているのか、愛花は一瞬分からなくなってしまった。

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